炎は通報から十分も経たないうちに見えたという。
東北自動車道の闇の中で、まっすぐ立ち上る赤い柱だけが異様に静かだった。
友人は無線の音量を下げ、アクセルを踏み込んだ。近づくにつれ、焼けたゴムと鉄の匂いが喉を刺し、目の奥が痛んだ。
中央分離帯に突き刺さった乗用車は、形を失っていた。赤黒い塊の内側に、四つの影が折り重なっている。消防が鎮火した後、炭化した遺体が確認された。父、母、妹、長男。歯科記録で三人の身元は特定できた。だが長男は、頭部が激しく損傷し、確認不能と記された。
数日後、少年が署を訪ねてきた。制服の襟を握りしめ、震えた声で言った。
「ニュースで、僕が死んだって……でも、僕は生きています。僕は誰なんですか」
事故資料の長男と年齢も顔立ちもよく似ていた。だが歯形は一致しない。血液型も違う。記録上、別人だった。
「家族の顔を言ってみろ」と問われると、少年は言葉を探した。父の顔は思い出せると言う。だが目の色が曖昧で、声の高さが決まらない。母の笑い方は覚えているが、どこで笑っていたのかが思い出せない。妹の名前を口にしたあと、ふと黙り込み、「あれ」と呟いたという。
家を調べると、生活の痕跡は薄かった。食器棚は整いすぎ、冷蔵庫は空。寝室の布団は畳まれたまま埃をかぶっている。近隣の住人は言った。「あの家? 最近は灯りもついていなかった」「家族なんて、見たことあったかしら」
それでも少年は繰り返した。
「僕は加藤家の長男です。事故で死んだはずの」
病院へ移送される直前、彼は友人の袖を掴んだという。
「僕の歯は、ちゃんとありますよね」
友人は答えなかった。
事故現場の報告書には、黒焦げの長男の写真が一枚だけ残っている。炭化した顔は判別不能。だが、その胸元には焼け残った制服のボタンが写っていた。署を訪れた少年が着ていたものと、同じ学校のものだった。
後日、再照合のために少年の歯型を取り直した。最初の記録と微妙に違っていた。担当医は「計測誤差だ」と言ったが、友人はその夜、灰皿を見つめたまま動かなかった。
「黒焦げの長男は誰だったんだろうな」
そう言ったあと、低く続けた。
「いや……あの少年のほうが、誰だったんだろう」
さらに小さく、ほとんど聞き取れない声で。
「最初に歯型を照合したのは、俺なんだ」
彼はそれ以上語らなかった。
それから数か月後、事故資料のデータベースを確認した別の隊員が、妙なことに気づいたという。死亡者名簿の長男の欄に、事故発生日より前の日付で「確認済」の記録が一度だけ存在していた。担当者名は空白だった。
私はその話を聞いた夜、ふと考えた。もしあの少年が本物だったなら、黒焦げの遺体は誰だったのか。だがもし、あの遺体こそ本物だったのなら、署を訪れた少年は何だったのか。
そして、もう一つだけ残る。
事故現場で最初に長男の歯を確認したのは、友人だ。
あのとき、焼け焦げた口の中に、歯は本当に残っていたのか。
友人は煙草の火を消すと、天井を見上げた。
「もしかすると、あの家族は事故から逃げていたんじゃない。俺たちのほうが、何かを見間違えたのかもしれない」
彼の視線の先には、何もない白い天井があるだけだった。
だが私は、そこに黒い影が貼りついているように見えた。
それ以来、ニュースで事故の映像を見ると、つい口元に目がいく。
歯は、ちゃんと残っているだろうか。
(了)