これは、高速道路交通警察隊に所属する友人から、私が直接聞いた話だ。
その夜のことを語るとき、彼は決まって煙草に火をつけ、灰皿に目を落としたまましばらく黙り込む。煙がやわらかく揺れながら天井へ溶けてゆくのを眺めているうちに、あの現場の焼け焦げた匂いをまた思い出すのだろう。私は彼の横顔を見ながら、耳を澄ませるしかなかった。
深夜、通報を受けた彼が東北自動車道を走らせたとき、遠くに炎の柱が見えていたという。近づくにつれ、焼け付くゴムと鉄の臭いが車内まで押し寄せてきて、息をするのも苦しいほどだった。中央分離帯に突き刺さるように停まった乗用車は、赤黒い火の塊に変わっており、車体の形すら判別が難しかった。消防が到着するまで彼はただ見守ることしかできず、やがて鎮火したあとに姿を現したのは、真っ黒に炭化した四つの遺体だった。
父、母、妹、そして長男。焼けた車内に折り重なるように残された姿は、誰が誰か判別することすら困難で、見ているだけで吐き気を催すほどだった。
後日の鑑定で、遺体は東京都西多摩地方に住む加藤正とその家族だと特定された。歯科記録との照合で確認できたという。原因は居眠りかハンドル操作の誤りとして処理され、表向きには何の疑問も残らなかった。
ところが数日後、友人は別の課の課長に呼び出された。妙な顔をして椅子に腰を下ろした課長は、ためらいながら口を開いた。
「少年が署を訪ねてきた」
課長の言葉に耳を疑ったという。少年は怯えた顔でこう言ったのだ。
「僕、ニュースで死んだことになっていました。でも、僕は生きています……僕は誰なんでしょうか」
少年の話を整理すると、こうだった。朝、目を覚ましたが家には誰もいなかった。いつまで待っても家族は帰ってこず、連絡しても応答がない。不安のなかテレビをつけると、自分の名前が「死亡者」として報じられていた。父母、妹と共に、東北道で黒焦げの遺体になったと。あまりのことに混乱した彼は、すがるように警察署を訪ねたのだという。
友人は事故の資料を引っ張り出した。確かに父母と妹の身元は歯の治療痕から確認できた。だが、長男については記録にこうあった。
「頭部が激しく損傷し、確認不能」
背筋に冷たいものが走ったと彼は言った。
課長が続けた話はさらに奇怪だった。少年の顔立ちは、事故で死亡したとされる加藤家の長男によく似ていた。だが歯形を照合すると一致せず、別人である可能性が高いと判明したのだ。
「君は誰なんだ」
そう告げられたとき、少年は青ざめ、錯乱し、叫びながら床に崩れ落ちたという。最終的に警察病院の精神科に送られ、そのまま入院することになった。

さらに不可解なことが続いた。加藤家の家を調べても、生活の痕跡が不自然なほど乏しかった。食器棚はきれいに片づけられ、冷蔵庫には何も入っていない。引き出しにも衣類や日用品は少なく、まるで長い間、誰も暮らしていなかったように見えたという。近隣の住人は「最近は家族を見かけなかった」と口を揃えた。
それでも少年は「自分は加藤家の長男だ」と譲らなかった。ベッドの上で虚ろな目をしながら、繰り返す言葉はいつも同じだったという。
「僕は死んだはずなのに、どうしてまだここにいるんですか」
語り終えた友人は、煙草の火をもみ消しながら言った。
「黒焦げの長男は誰だったんだろうな。そして、あの少年は……本当に何者だったんだろう」
彼の声には疲労と困惑が滲んでいた。
一族が事故で死んだというのは確かに事実だ。だが、焼け焦げた長男の正体は不明のまま。病院に収容された少年は、いまも錯乱状態から抜け出せずにいる。
そして私の頭に残って離れないのは、友人がぽつりと洩らした言葉だった。
「もしかすると、加藤家はあの事故で死んだんじゃなく、もともと何かから逃げていたのかもしれない」
彼が見上げた天井の白さの向こうに、黒い影が張り付いているような気がした。
――私もそれ以上は問い返せなかった。
(了)