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中編 r+ ほんとにあった怖い話

黒い手形のある肩 r+3,988

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職場の同僚と居酒屋で飲んでいたときに語った話を、そのまま書き写す。

あれから二十五年以上が過ぎたが、今も脳の底で黒い水が鳴っている気がする。

高校二年から三年に移る春休み、三月。北浜と天満橋のあいだ、大川と堂島川、土佐堀川に切り裂かれた中之島の縁で、私はひとり暮らしのような放埓さで友人たちと日を溶かしていた。空は薄鼠、川面は鉛のようで、橋桁だけが白く乾いていた。

最初の音は電話だった。家の黒い受話器が震え、耳に貼りついたまま冷える。

『斉藤くん、健二と昨日一緒じゃなかった?』

健二の母親の声は、鍋の底の焦げのようにくぐもっていた。私は反射的に否定した。昨日は会っていない。素っ気なく、事務的に、いつものやりとり。よくある確認の一本。彼は時々ふらっと消える癖がある。そんなふうに思い込もうとした。

けれど、その日のうちに別の友人の家にも同じ電話が入っていたことがわかった。私は順番にダイヤルを回し、誰かが彼を見たかどうか、薄い希望を貼り合わせるみたいに訊ねて回った。誰も会っていない。誰も知らない。夜になって、健二の母親は警察に捜索願を出した。

翌日、呼ばれたのは私ではなく、彼の母親だった。大阪市内の東警察署から電話があり、『二日前に川で飛び込みがあったようで……遺留物があるので確認に来てほしい』と告げられたという。

遺留物はスニーカー。内側に脱いだ靴下まで丸めて入れて、天満橋の真ん中にきれいに揃えて置いてあった、と。遺書はない。目撃者もいない。なのに、靴だけがきれいに並んでいる。

私は家の下駄箱を開け、同じ型の靴がないことを確かめた。冷蔵庫の軋む音が腹に響いた。電話の向こうで担当の警官は硬い口調で言った。『聞き込みはしていますが、飛び込んだと断言できない。失踪の可能性もある。しかし、時間が経つと発見は困難になる。ご希望があれば、川をさらいます』

その夜、私は健二の家に行った。畳は湿っているように感じられ、仏間の襖がわずかに呼吸する。母親は状況を話し、私たちは口々に希望を並べた。ひょんな顔して二、三日で戻るさ、と笑ってみせた。笑いは喉の奥で固まった。

一週間が経ち、川をさらうことになった。私は家族と、仲のよかった友人三人と一緒に現場へ向かった。現場は冷たい匂いがした。警官、消防団の人々が無言で集まり、鍵のついたロープを岸と船から投げ、引く。投げ、引く。ダイバーはいない。引き上げられるのは、破れたビニールや折れた傘、捨てられた椅子の脚。誰かが溝から古い歯車を拾い上げ、また捨てた。

地元の消防の男がぼそりと言った。ここは身投げが多い。しかも遺体はなかなか上がらない。水は飲み込んだものを長く手放さないのだと。

結果は出なかった。私たちは安堵と失望の薄い膜に包まれて帰った。あの膜は今も破れない。

捜索は三日続いたが、手伝ったのは初日だけだった。二日目からは家族だけが出た。四日目、打ち切りになった。警察からの連絡を待つようにと言われた。

その夜、電話が鳴った。私は飛びついた。受話器の向こうで沈黙が膨らみ、私は健二の名を繰り返した。沈黙がぎゅっと細くなったとき、声が落ちてきた。

『見つけて……お願い……』

切れた。糸が切れるみたいに。手のひらに汗がこびりついた。私はすぐ健二の家に電話を入れ、友人にも電話をかけた。同じ時刻、同じ言葉の電話がそれぞれにかかってきていた。恐怖は、きれいに揃えられた靴のように、整然としていた。

その一時間後、友人の達彦から電話があった。彼の知り合いの霊感の強いおばさんから連絡が来たという。ふだん連絡を取り合っているわけでもないのに、開口一番、こう言ったそうだ。

『達彦、あんたの知り合いに、こんな子いてへんか?』

おばさんは失踪した健二の特徴を言い当て、さらに続けた。失踪の翌日の夜から、枕元に高校生くらいの男の子が立つようになった。最初はよくあることだと流していたが、毎晩現れて、表情が日に日に険しくなる。何かを必死に訴えている。胸騒ぎが治まらない。悪い方に引っ張られている。急がないと戻れなくなる、と。

私たちはもう一度、現場に行くことにした。捜索というより、場所の見当をつけるためだった。夜、おばさんの家に集まり、そこから四人でタクシーに乗った。おばさんは小さな折り紙包みをいくつか渡してきた。中に塩が入っている。

『嫌な感じがしたら、足下と自分にかけなさい』

おばさんは言った。大阪は空襲でたくさんの人が川に落ちた。数えきれない身体が水面を埋め尽くした。無念は積もって重くなり、やがてひとつの塊になる。同じ無念を増やすために、群れは人を引き込む。心に隙があると、からだの端から入り込む。そういう場所がある。ここもそのひとつ。

『悩んでるときは近寄ったらあかん。あんたら今日は目的があるからまだええ。けど気ぃ抜いたら持っていかれる』

タクシーは中之島の明かりを縫って走り、一本西の天神橋で停まった。降りた途端、おばさんは早足で橋の中央に向かいはじめた。私たちが声をかけても返事がない。肩に手をかけた瞬間、知らない低い声が飛び出した。

『離せ』

手は簡単に振りほどかれ、私は背中から冷えた。慌てて後ろから抱きつくと、おばさんの口が別の名前を叫んだ。『#%&’……』人名のようで、聞き取れなかった。引きずられた。足裏に橋の板の振動が伝わる。三人がかりでようやく止めた。私は塩を投げつけた。指の間から白い粒がこぼれ、暗がりに吸い込まれた。しばらくして、おばさんが力の抜けた声で言った。

『もう、大丈夫』

汗で湿った髪が額にはりついていた。『あんたらが止めてくれへんかったら、私も健二くんの二の舞やった』

その言葉に、私の膝が少し笑った。おばさんは続けた。ここにいるものは強い。ふだんは心の隙を狙うが、霊感の強い人間は別口だ。扉が最初から開いている。彼らにとって入りやすい。今日、私が来たことも、目的も、全部知られている。『また健二を見つけさせたくない……そう言うてきた』

帰るべきか迷った。けれど、おばさんは首を振った。『今夜しかない。放っといたら、あの子は混ざる』

私たちは天神橋の中央から中之島公園へ降りた。塩をふり、残りを握りしめる。おばさんは『まだ特定できへんけど、公園より下流の気がする』と言った。階段は湿っていて、靴底にぬめりが移った。橋の下をくぐる直前、おばさんが小声で言った。

『早う、くぐり』

そのとき、橋脚のほうから笑い声がした。『ふふふっ』くぐもっているのに、頭蓋の内側を爪でこするように鋭い。私たちは小走りで抜けた。抜けきったところで、今度ははっきりした声が来た。冷静で、やけに大きい。

『帰れ』

振り向くと、黒ずくめの老人が立っていた。顔の輪郭だけがくっきり浮いている。私は勝手にホームレスだと思い込み、安堵しかけた。おばさんが私たちに覆いかぶさるようにして囁いた。

『あれ、見たらあかん。死神や。目ぇ合うたら連れていかれる』

私たちはいっせいに目を伏せた。息を止めると、胸の内側で血が音を立てる。ゆっくり離れた。おばさんの声が少し震えた。『今日はやめよ。私だけで改めて見るわ』

帰りのタクシーで、おばさんは唐突に言った。

『あんた、さっき目ぇ合うたやろ』

吊るし上げられたのは友人のひとりだった。『うん』と小さく頷いた彼の左肩の上着に、家に着いてから黒い手形が浮かんでいるのを見た。汚れではなかった。沈んだ水の色が、掌の形で布に染みこんでいる。おばさんは上着を預かり、『お祓いしとく。あんたは二度とあそこに近寄ったらあかん』と言った。私たちも塩を浴びた。私は帰り道で、肩の骨が一本余計にあるような気がして、何度も振り返った。背後の空気が少し重かった。

ここまでがその夜のことだ。後日談は乾いた紙のように音を立てる。

その後、おばさんからの連絡は途絶えた。日付は進むが、時間は固まったまま動かない。健二の行方は、沈黙に包まれたままだった。失踪からおよそ一ヶ月後、道頓堀川で遺体が見つかった。中之島公園の突端から下流に百メートルほどの分岐を南へ入ったところらしい。私は息を吐いた。安堵か、落胆か、名前のない感情だった。葬儀で香りが喉に刺さった。

達彦が報告の電話をおばさんにかけたが、つながらなかった。両親が心配して、おばさんの姉に連絡した。あの日以来、入院しているという。姉が異変に気づいて救急車を呼んだ。原因は不明。見舞いに行ったが、おばさんは昏睡していた。翌日、亡くなった。

私は病院の白い壁を見た。白いのに暗かった。死因について詳しくは知らされなかった。姉は涙の海に沈んでいた。私は何か言おうとして、舌を噛んだ。同じ言葉は二度と役に立たない。『ありがとうございました』とだけ言った。口が乾いた。

以上が出来事のぜんぶだ。因果は結び目を見せない。おばさんの死と、あの夜の橋の声のあいだに線を引ける自信はない。ただ、もしあの夜、おばさんがいなかったら、私の左肩にも、黒い手形が残ったかもしれない。それだけは確実に思える。

後記として、いくつかの疑問が今も残っている。健二がもし橋から飛び込んだのだとしたら、あの日は昼過ぎまで雨が降って川は増水していたとはいえ、公園の突端は近かった。上がることがまったく不可能だっただろうか。飛び込む直前、直後の目撃談が一つもないというのも奇妙だった。靴だけがきれいに並ぶとは、誰かに並べられたのではないか。警察の担当者も、あれだけ交通量のある橋で全く目撃がないのはおかしいと言っていた。

私は答えを持たない。けれど、ときどき夜更けに目を閉じると、受話器の向こうの沈黙が戻ってくる。『見つけて……お願い……』の声は、確かに健二の声だった。願いは叶ったのか。それとも、あの群れが『見つけるな』と叫んだのか。私にはわからない。どちらにせよ、遅かった。

供養はした。友人たちと線香を束にして火をつけた。煙はまっすぐ昇り、天井でよどんだ。私は胸の奥でゆっくりと塩を撒くような気持ちで、名前を心の中で繰り返した。健二。健二。返事は来ない。返事が来なくていいと、思い直す。

時々、橋を渡る。仕事で近くに行く用事があると、遠回りして天満橋に足を向ける。欄干に触れると、鉄は乾いて冷たい。川は何も言わない。風が水面を逆なでする。橋の中央に立つと、胸の奥で小さな鈴が鳴る。『帰れ』という声に似ている。本当に風の音なのかどうか、私は確かめない。確かめたところで、足下に置かれた靴のきれいさだけが残る気がするから。

ひとつだけ、誰かに伝えるとしたらこれだ。あの界隈に行くなら、塩を持っていけ。心に隙があるときは近寄るな。白い粒は、生きている者の側に重みを戻す役目を持っている。私はいつでもポケットに小さな折り紙包みを忍ばせている。ときどき指で押す。紙越しに小さな結晶の角が触れる。私はそれで、ようやく地面に触れている実感を得る。

最後にひとつ、誰にもまだ話していないことがある。健二の葬儀が終わった夜、家に戻ってコートを脱いだとき、左肩の裏地にうっすらと、手形のような影があった。外に回る光では見えない。内側にだけ浮かぶ黒い花。私は塩を取り出して、静かに肩に振りかけた。白い粉は裏地と皮膚のあいだに落ちたはずなのに、床にはひと粒も落ちなかった。あの夜から今日まで、肩は時々重くなる。河の重さが、骨に移ったのかもしれない。

それでも私は歩く。橋を渡るたび、息を整え、欄干から視線を外し、足下を見つめる。靴紐は固く結ぶ。きれいに揃えて脱がれることのないように。あの声がまた鳴るのを、私はどこかで待っているのかもしれない。人は時々、自分でもわからない方向へ耳を傾ける。だから私は、ポケットの塩を指でつぶす。つぶれない。結晶は、思ったよりも強い。

――以上が、私の話。笑い話にはならない。けれど、夜更けに思い出すと、どこかで必ず水の音がついてくる。あれは川なのか、電話線の中を流れる声なのか。どちらでもいい。私は受話器を置いたまま、時々耳を澄ませる。鳴らない電話の前で、鈴のような音を待つ。呼ばれても、今度は行かない。そう心に決める。だが、人の心は川に似ている。決めた通りには流れない。だから私は、今も塩を持ち歩く。

[出典:701 : 本当にあった怖い名無し 2009/10/11(日) 07:11:22 ID:zGEa3u1U0]

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