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抜いたのは誰か rw+3,449-0213

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父は三年前、肺がんで死んだ。

最期まで、あの人は骨董の話をしていた。金があるわけでもないのに、休みのたびに骨董市へ通い、時代のつかない小物ばかりを持ち帰る。皿も掛け軸もない。根付けや櫛、名もない細工物。家のどこに置くでもなく、仏間の押し入れに積み上げていた。

死の二日前、父は長男の俺を枕元に呼んだ。

「骨董は仏間の押し入れだ。大黒堂に持っていけ。値はつかんだろうがな。それから、風呂敷に包んだ小物がひとつある。あれは寺に持っていけ。初七日でいい。坊さんに預けろ」

「売れないなら、捨てればいいだろ」

そう言うと、父は目を細めた。息が苦しいはずなのに、はっきりとした声だった。

「捨てるな。あれは置いておくな。……俺が押さえてきたが、お前には向かん」

何を、と聞き返しても、それ以上は言わなかった。ただ、俺の顔をしばらく見ていた。頼む、とも、守れ、とも言わなかった。ただ見ていた。

葬儀が済み、四日ほどして、骨董屋を呼んだ。父の言った通り、値のつくものはなかった。紙箱に詰められた小物を前に、骨董屋は押し入れの奥の風呂敷を見つけると、手を止めた。

「これは……うちでは扱えまへん」

中身を広げると、煙草の根付けやべっこうの櫛がいくつか。その中に、赤い玉があった。サンゴだろうか。血のように鮮やかで、ほかの品より新しく見えた。

骨董屋はその玉を指で転がし、すぐに手を離した。

「お父上、よう知ってはった。寺に持っていきなはれ」

それ以上は何も言わなかった。

初七日まで、あと三日あった。その夜、俺は風呂敷を仏間の金庫に入れた。鍵をかける直前、なぜか赤い玉だけを抜き取った。理由はわからない。父の「押さえてきた」という言葉が、妙に引っかかっていた。

何を押さえてきたのか。

玉は掌に乗るほどの大きさで、光の当たり方によっては黒ずんで見えた。金庫の奥に、それだけを入れ、残りは風呂敷に戻した。

翌日、会社に出ると、机の上は未処理の書類で埋まっていた。父の看病で休んでいた分が溜まっている。昼前、小学校から電話があった。六年の息子が校庭で転び、下あごを強く打ったという。念のため検査が必要だと。

病院でレントゲンを見せられた。骨にひびが入っていた。大事には至らないと言われたが、手術の可能性もあると説明された。

家に戻った夜、三年生の娘が泣きながら廊下に立っていた。

「仏間に、人がいる」

白い着物の女が立っている、と言う。襖の前で、じっとこちらを見ていたと。

仏間の襖を開けると、誰もいない。ただ、畳の中央に赤い玉が転がっていた。金庫は閉まっている。鍵もかけたままだった。

拾い上げると、玉はひやりと冷たかった。掌の中で、わずかに脈打つような感触があった。錯覚だと思い、金庫に戻した。

その晩から、娘が熱を出した。四十度を超え、痙攣を起こした。救急搬送。医師は原因を特定できないと言った。ウイルスでも細菌でもない。血液検査も異常なし。

息子は入院、娘も入院。妻は付き添いで家を空け、俺は会社と病院を往復した。仕事で大きなミスをし、上司に呼び出された。

「集中できていないだろう」

言い返せなかった。

父の四十九日。寺で法要を済ませ、病院に向かった。娘の容体は変わらなかった。目を開けても焦点が合わず、誰の声にも反応しない。

その夜、医師から呼び出された。急変だった。

娘は戻らなかった。

帰宅したのは深夜だった。家は静まり返り、仏間だけが薄く明るかった。蛍光灯を消したはずなのに、光が漏れている。

襖を開けると、女が立っていた。

白い着物ではない。赤い。光沢のある生地で、柄は見えない。顔ははっきりしないのに、目だけがこちらを見ている。

声は聞こえなかった。ただ、頭の奥に、ざらついた感触が流れ込んできた。

——あれを、なぜ戻した。

意味がわからない。何を、と問いかけたつもりだった。

——おさえていたのは、だれだ。

女の口は動いていない。だが、言葉が続いた。

——あなたは、だれのものを抜いた。

次の瞬間、仏壇の前にあった風呂敷がほどけた。小物が散らばる。根付けも櫛も、ひとつずつ割れていく。赤い玉だけが残った。

女は消えた。

畳の上に転がる玉は、以前より黒ずんでいた。濡れたような光を帯びている。

俺はそれを拾い、金庫に入れた。鍵をかけた。

翌朝、寺に電話をした。例の風呂敷を預けたいと。住職は静かに言った。

「お父上は、何も預けておられませんでしたよ」

初七日の前、父は一度だけ寺に足を運んでいるという。何も持たずに、ただ長く話をして帰ったと。

何の話をしたのかと尋ねても、住職は答えなかった。

……あの玉は、いまも金庫の中にある。

売ることも、寺に持っていくこともできない。鍵をかけ、触れないようにしている。

だが、夜になると、仏間の奥で、金属がこすれる音がする。鍵をかけたはずの金庫が、内側から叩かれるように鳴る。

押さえていたのは、父だったのか。

それとも、父は何かを抜き取ったのか。

あの夜、俺が抜いたのは、玉だけだったのか。

確かめる勇気はない。

金庫の中から、ときどき、湿った息のような音が漏れる。

それが笑い声なのか、泣き声なのか、俺にはまだ判別がつかない。

[出典:694:2011/06/12(日) 00:52:35.15 ID:EgTf4hfa0]

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