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父になる前の夜 rw+7,923

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アパートに帰り着くと、郵便受けに手紙が入っていた。

色気のない茶封筒に墨字の宛名。泰俊からのものだと一目で分かった。これで三十通目になる。前回から少し間が空いていたが、文字に力は残っている。元気だと思いたかった。

部屋に入り、封を切る。外の整った字とは違い、便箋の中の文字はところどころ崩れていた。読み進めるうち、俺は視線を外し、数年前のことを思い出していた。

山深い田舎道を走った日のことだ。運転に不慣れな俺がハンドルを握り、助手席の泰俊は黙って前を見ていた。免停中だと言い張り、代わる気配を見せない。目的地の看板が見えたとき、妙な安堵と、理由の分からない嫌な予感が同時に胸をよぎった。

町で友明と合流したあと、さらに山へ入ると告げられた。誰も運転したがらない。役割が噛み合わない旅だった。観光でも肝試しでもない。魔物を封じるための同行だと、そのときになって知らされた。

寺の裏にある井戸。木の棒と竹籠で塞がれた口。住職が亡くなる七日目に封が解け、出てくるものがあるという。見える者は少ないが、音は誰にでも聞こえると年配の男は言った。夜、子猫の鳴き声が続いた。助けたい衝動が湧き上がるのを、泰俊が無言で押し止めた。

翌夕、井戸のそばの木に吊られた遺体。薪。藁縄。臭いがないことが不気味だった。夜、竹籠が崩れ、棒が落ちる音が響いた。何十もの鳴き声が重なり、見えない何かが遺体へ集まっていく。泰俊の顔色が変わった。彼だけが見ていた。

炎が上がり、鳴き声は消えた。灰と骨が井戸へ落とされ、新しい封が組まれた。終わったはずだった。だが、泰俊は井戸の横に立ち尽くし、女の子がいたと言った。蜘蛛の足と頭を持つ、四、五歳の裸の子だと。

そのとき、彼は小さく息を吐き、「名前を呼ばれた気がした」とだけ言った。誰の名前かは言わなかった。聞き返す前に、彼は口を閉じた。

帰宅後、泰俊は高熱を出し、姿を消した。文通が始まった。手紙には、井戸で見た「女の子」に取り憑かれているとあった。原因は名前だと書かれていた。初代の僧と同じ名を持つこと。親と認識されたのだと。

だが、ある手紙には、妙な一文が混じっていた。

《呼ばれる前に、こちらから名を与えてしまった気がする》

続きは、何度も書き直した跡で塗り潰されていた。

やがて、住所が届いた。「待っている」とだけあった。指定された寺は結界に囲まれ、庭に歪んだ気配が座っていた。奥の部屋で、痩せた泰俊に会った。握り返す手の力だけが、まだ生きている証だった。

祖父の和尚は言った。完全に封じるには、泰俊が井戸の底へ降りる必要があると。俺は見送った。井戸の底で、彼女は成長した姿で現れ、「父上」と呼んだという。経本を掲げ、泰俊は言葉を告げた。やがて、青い光だけが残ったと。

ここまでが、泰俊の最後の手紙に書かれていた内容だ。

俺は便箋を置き、窓を開けた。夜の空気は静かだった。子猫の声はしない。胸の奥の重さが、少し和らいだ気がした。

そのとき、机の引き出しから紙の擦れる音がした。

引き出しは閉まっている。開けると、見覚えのない便箋が一枚入っていた。墨の匂いが新しい。宛名はない。文字は幼い。だが、確かに俺に向けられている。

「かえったよ」

行間に、細い線が何本も引かれている。数える気にはならなかった。視線を外すと、部屋の隅が暗く沈んで見えた。そこから、かすかな「ミャー」という音がした気がした。

気のせいだと思い、便箋を元に戻した。だが引き出しを閉める前、もう一行、増えているのに気づいた。

「つぎは だれ」

俺は引き出しを閉め、鍵を掛けた。鍵穴の奥で、何かが触れ合う音がした。

鍵を掛けたまま、しばらく動けなかった。音は小さい。それでも確かに、乾いた何かが擦れ合っている。

気のせいだ。
そう思うには、音の間隔が妙に規則正しかった。

時計を見ると午前二時を少し回っている。あの寺で、子猫の声が聞こえ始めたのも、この時刻だった。

引き出しに背を向け、布団に入った。目を閉じても眠気は来ない。冷蔵庫の唸り。配管の軋み。外を走る車の音。その合間に、混じる。

ミャー。

今度ははっきり聞こえた。距離が測れない。部屋の中に、音だけが浮かんでいる。

布団を被り、耳を塞ぐ。それでも、声は続く。甘ったるく、間延びして、呼びかけるように。

ミャー……ミャー……

呼ばれている。
そう理解した瞬間、背中に冷たい汗が流れた。

泰俊の手紙の一節が頭をよぎる。
《音は誰にでも聞こえる》
《名を与えた方が、先に父になる》

目を開けたくなかった。だが、閉じた瞼の裏に、井戸の縁が浮かぶ。闇の中で、細い足が何本も蠢く。

声が変わった。

「……まんま」

喉が勝手に鳴った。息を殺すと、声はすぐ近くに寄ってくる。距離が縮まるたび、床がわずかに軋む。

布団の端が、ほんの少し持ち上がった。

そこから先は、覚えていない。

気がついたのは朝だった。布団の中で、身体は固まったように動かなかった。声も音もない。いつもの部屋だ。

夢だったのか。
そう思いかけて、右手の甲に違和感を覚えた。

細い引っかき傷が三本。
数えなかった。

その日、何事もなく終わった。夜、引き出しを開ける。

便箋は二枚に増えていた。

「ここは せまい」
「おそと いきたい」

行間の線は、昨日より多い。

数日後、泰俊から手紙が届いた。宛名の字は弱々しい。

《すまない。
君の名前を、伝えてしまった》

理由は書かれていなかった。謝罪だけが重ねられていた。

その夜、声は一つではなかった。床を、壁を、天井を、内側から叩く気配。耐えきれず玄関へ向かった。

ドアノブに手を掛けた瞬間、背後で声がした。

「……つぎは」

振り返らなかった。振り返ってはいけないと、身体が理解していた。

俺はアパートを出た。

その日から戻っていない。安いビジネスホテルを転々とし、鍵付きの引き出しのない部屋を選んだ。

だが、音はついてきた。

三日目の朝、フロントから小さな封筒を渡された。茶色。墨字。宛名は俺の名前だった。

中の便箋には、整いすぎた字で、こう書かれていた。

「場所が変わっても、意味はない」

封筒の裏に、もう一行。

「名前を呼べば、道はつながる」

その夜、夢を見た。井戸ではない。壁のない空間。影が集まり、形を作ろうとしている。

女が立っていた。

「父上」

違う。
だが、否定する前に、影が一斉に動いた。

目が覚めたとき、喉が焼けるように痛かった。

翌朝から、毎晩一件だけ着信が入る。番号は変わる。だが、最後の数字は揃っている。

昨日、出てしまった。

無音の向こうから、声がした。

「……よばないで」

今朝、郵便受けに手紙が入っていた。宛名はない。代わりに、細い線が八本。

俺は、その手紙を開けていない。

開けたら、俺が父になる気がする。

それでも、鍵穴の奥で、何かが触れ合う音がする。
ここは、まだ外だ。

それでも、音は聞こえる。

ミャー。

(了)

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