知り合いの話。
とある鄙びた峠道を歩いていると、いつの間にか犬が一頭、後をついてきていた。
痩せた白い体毛の犬で、首には大きな風呂敷包みを提げている。首輪の代わりなのだろうが、紐の結び方が妙に人の手慣れを感じさせるものだった。
立ち止まると、犬は彼の顔を見上げ、クンクンと鼻を鳴らした。腹をすかせているのだろうと思い、持っていた魚肉ソーセージを半分に割って差し出した。
犬は嬉しそうに尻尾を振り、夢中でむしゃぶりついた。その拍子に、首元が緩んだのか、風呂敷が外れて地面に落ちた。
軽い金属音がした。
風呂敷の口がほどけ、中から小さな円形のものが転がり出てきた。古銭だった。しかも一枚二枚ではない。土にまみれたもの、妙に光沢を保ったものが混じり、見た目以上の量がある。
思わず息を呑んだ彼をよそに、犬は食べるのをやめ、困ったようにこちらを見ていた。その表情があまりに人間じみて見えたため、彼は慌てて古銭を拾い集め、元どおり風呂敷に包み直した。
持ち上げると、想像以上に重い。
首に結び直してやると、犬は彼の手に頭を擦りつけ、振り返ることなく早足で峠道を下っていった。
しばらくして、休憩していたところに一人の登山者が通りかかった。雑談のついでに、さきほどの犬の話をしてみた。
「変わった首輪をした白い犬を見かけまして」
登山者は一瞬だけ足を止め、どこか戸惑ったような顔をした。
「それ、多分、おかげ犬ですよ」
そう前置きして、彼は語った。昔、お伊勢参りに行けなかった人が、自分の代わりに犬に餌代やお賽銭を持たせ、伊勢神宮まで向かわせた風習があったこと。無事にたどり着いた犬は御札をくわえて帰ってきた、という話が各地に残っていること。
話の筋はよく通っていた。妙に、淀みがなかった。
だが登山者は、そこで少し言い淀んだ。
「ただ、この峠で見かける犬は……昔からなんですよ」
白くて痩せていて、首に風呂敷を巻いている。子供の頃にも見たことがある。同じ道、同じ姿だったと彼は言う。
「地元じゃ、伊勢に行き着けず、ずっと迷ってるんだろうって話になってます」
その瞬間、彼は違和感を覚えた。
「昔から」と言うには、その犬の首にあった古銭は新しすぎた。江戸のものに混じって、明らかに時代の違う刻印があった。しかも、量が多すぎる。餌代と賽銭にしては、不自然なほどに。
そう口にしかけた彼を遮るように、登山者は慌てて付け足した。
「もちろん、本当に同じ犬かどうかなんて分かりませんよ。幽霊ってわけでもなさそうですし。ただの田舎の与太話ですから」
そう言って、彼は足早に去っていった。

その背中を見送りながら、彼はふと気づいた。
登山者の話の中に、妙な点があった。おかげ犬の説明が、まるで見てきたかのように具体的だったこと。古銭の話を一切していないのに、最初から風呂敷の中身を知っているかのようだったこと。
それ以来、彼はその峠道を通るたび、無意識に白い犬の姿を探してしまうという。
ただ一度も、再会はしていない。
それでも時折、道端に落ちている硬貨を見つけると、なぜか拾って持ち帰らなければならない気がしてしまうそうだ。
理由は分からない。
ただ、首元が少し重く感じる日が、最近増えているという。
(了)
[出典:704 :雷鳥一号 ◆jgxp0RiZOM :2014/11/08(土) 20:51:26.99 ID:yJ0I1P2A0.net]
おかげ犬(犬のお伊勢参り)

参考資料
最近では、自分自身の過去と向き合うことを「巡礼」と呼ぶらしいが、こちらは正真正銘の巡礼の話である。ときは江戸の時代、ところは伊勢神宮。だが、ここでお参りを行ったのが犬であったというから、只事ではない。
最初に犬の伊勢参りが行われたのは、明和8年(1771年)4月16日の昼頃のこと。突然、犬が手洗い場で水を飲んでから本宮の方へとやって来て、お宮の前の広場で平伏し拝礼する格好をしたのである。その場にいた神官たちにとって、これはまさに事件であった。
犬の飼い主は山城国、久世郡槙の島に住む高田善兵衛という者。つまりこの犬は、飼い主の元を離れ、山城の国のからはるばる伊勢までお参りにきたのである。
「境内に犬を入れるな」とは、古くからの伊勢神宮における決まり事であった。犬が死んだり、お産をしたり、死肉片をくわえてきたりすることも、全て穢れとされてきた。だが、その法すらも簡単に破られてしまったのである。そしてその後も、犬の伊勢参りの目撃談は、続々と頻出することになる。
当時、ほとんどの人が「一生に一度はお伊勢参りに行きたい」と思っていた時代である。式年遷宮のある年などは、とくに参拝者も多かったという。しかし、伊勢参りに行けるのは、ある程度生活にゆとりがある大人がほとんど。女性、奉公人や子供たちは行きたくてもなかなか行くことが出来なかったのだ。
これら庶民の伊勢参り願望は、しばしば「抜け参り」という行為を発生させた。仕事も何もかも放り出し、親や主人にも黙って、仲間と示し合わせて伊勢へ向かう。その抜け参りがさらに大規模になると、「御蔭参り」と呼ばれた。冒頭の犬は、御蔭参りの集団の後を追いかけていくうちに、うっかり伊勢神宮まで来てしまったのではないかと目されている。
だがその後は、主人が自分の代わりにと犬に思いを託して行かせたケースなども登場する。一旦飼い主のもとを離れた犬には、「えらい犬だ」「伊勢参りの犬だ」とみんなが感心して銭を施してくれる。重くなりすぎて犬も大変そうだと、周りの人が銭を運ぶ。まるでお祭り騒ぎのうちに、事が運んでしまうのだ。
日本の犬の単独旅行、最長距離記録も伊勢参りの犬によって樹立されている。幕末の嘉永年間に3年間の月日をかけて、青森・黒石と伊勢神宮との間を往復したのだ。その距離、推定で約2400Km 。しかも、このケースが凄いのは、誰かの勘違いがきっかけであったらしいということだ。
この犬を偶然見かけた人が、「もしかしたら、これが噂に聞く伊勢参宮の犬ではないか。」と思う。そこで、どこの犬か誰でもわかるようにその犬と出合った場所、を木札に書き記して首から下げ、それから道中使えるようにと銭の穴にひもを通し、首にまいてやる。これにて、立派な「伊勢参りの犬」の出来上がりというわけなのだ。
誰かが、この犬を伊勢参りの犬ではないかと思った瞬間、本当に伊勢参りが始まる。荷物が増えれば、宿場から宿場へ、皆が運んでくれる。善意の人たちが至る所にいた時代。犬にしてみたら、さぞかし迷惑であった可能性もある。善意と悪意は、まさに紙一重だ。
さらに本書では、犬だけではなく、豚や牛の伊勢参りについても言及されている。しかも豚にいたっては、広島から船で瀬戸内海を抜け、潮岬をまわり熊野灘に出ることによって、伊勢神宮へやってきたというから驚く。豚が伊勢参りをした年は式年遷宮の年。願主は豚に代参させてまでも伊勢参りをしたかったのかもしれない。
伊勢参りをはたした犬の多くが、白い犬であったという点も見過ごせない事実である。古来より白犬には霊力があると言われてきた。日本武尊は信濃で道に迷った時、白犬に導かれて美濃に出たとされてきたし、平安時代、関白・藤原道長は法成寺を建立し、白い犬をお供にお参りした。
その霊力の真偽はともかく、白い犬の伊勢参りの話が広まるにつれ、その後も白い犬ばかりを参宮させようとする力学が働く。極端な話、白い犬が伊勢の方向へ歩いているだけで、「この犬は伊勢参りしようとしているのではないか」と思い込んでしまうことも起きかねなかったのだ。
人々が「伊勢参りの犬」と認識しない限り、犬は伊勢に向かうことも帰ることもできない。犬たちは周りの人たちが期待しているように行動すれば、やがてうまいものにありつけることも知っていたものと思われる。それを「お参り」という行為に結びつけて解釈したのは人間の方なのである。犬の伊勢参りは人の心の生み出した産物でもあったのだと著者は言う。
そんな犬の伊勢参りだが、明治になって間もなく途絶えてしまうことになる。文明開化とそれに伴う洋犬至上主義が、まさに犬の飼い方まで変えてしまったのだ。最後のものと思われる犬の伊勢参りは明治7年、東京日本橋・新和泉蝶の古道具屋渡世の白犬によって記録されている。やがて犬の伊勢参りは、そういう事実があったことさえ人々の記憶から抜け去ってしまうこととなった。
それにしても、犬の伊勢参りが行われていた時代の日本、まさに魅惑のワンダーランドである。伊勢神宮の厳粛さと、犬・豚・牛の参拝という猥雑さが織りなす、奇跡的なスペクタクル。信じることが苦行の道のみにあらず、信仰と娯楽が十分に共存していた時代の話。まるでお伽話のようなノンフィクションであった。
美しい共同体と、そこにあったケミストリー。これは過去の日本人の姿と向き合うことで見えてくる、「喪失の物語」でもある。
[出典:http://honz.jp/24933]
