東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲にある【祟り山】
256 :― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ― :03/08/24 00:46
倉戸(クラド)
奥多摩第2駐車場から仰ぎ見る倉戸山(くらどやま)。
その裾に当たる現在のバス停付近は、かつて悪い事がある場所として近在に知られた祟り山である。
昔、何者かが炭焼き窯の中で死んでいた。
その霊を祀るために碑を立てたが、誰が作業をしても怪我をしたり、火を出したりと非常に不首尾な事が起こる。
今もってジメジメした寂しい北面の山側で、もとは個人持ちの山で幾人もの手を渡り歩いたが、最後に埼玉県入間の医師が所有した後に都が買い上げ、公園管理団体のもとに置かれている。
御霊の尾根(ミタマノオネ)
多摩町海澤(おくたままちうなざわ)の東側の山続き、大岳山(おおたけさん)から北へ抜けた大楢峠(おおならとうげ)から城山の間にある。
山の形が位牌に似てるので、位牌山とか御霊山(みたまやま)とか呼び、非常に悪い処だという。
この山に自害沢(ジガイサワ)と呼ぶ沢があり、その昔、日本武尊が従者を十人連れてここまで来たが、何かの理由で従者たちが自害してしまった。
又は、自害したのは、旅の六部とも平家の落人ともいう。
その祟りでか、この自害沢に入って作業(山仕事)をした者は、山の中で必ず死ぬ。
それで、ここに入って死んだ者が出た家から位牌が出るから、位牌指(イハイザス)とも呼ぶ。
以前ここに、従者十人の位牌が飾ってあったという。
所有者が寶指(タカザス)と名を変えたが、誰も買い手がないので、都に売却し、今では奥多摩記念林の一部になっている。
天蓋山(テンガイヤマ)
海澤の北にある600メートル余の高さの山で、山頂近くは誰も入らないので雑木が茂っている。
昔の、野辺送りに棺の上にかざす『天蓋』そっくりの形をしている。タツガイトとも呼ぶ人もいる。
この山は、買う者、売る者、木を切る者に、悪い事があるという。
上坂(あがっさか)の人が買う算段をしていた時、三つになる子供が囲炉裏で火傷し、経過が悪くて亡くなってしまった。
天蓋山には庚申が祀られているが、この庚申様が火傷させたのだという。
病ヶ沢(ヤマイガサワ)
日原(にっぱら)、川苔谷(かわのりだに)の支流、逆川(さかさがわ)の奥にある。
周囲はかなり広い手付かずの山林で、昔、ここに宿っていた法師が命を捨てた所だとも、落人が逃げてきて首を斬られた所だともいう。
ここで一山買ってのべつに仕事をすると、必ず病気に罹ったり死人を出すという。
眼患に罹り、「銭ばかり掛かる」と言う人もいた。
町が買い上げ町有林になり、名前も(病まぬヶ沢)にしたが、誰も山仕事に行かぬという。
骨窯(コツガマ)
病ヶ沢(ヤマイガサワ)の川向こうにある所で、「そこで炭を焼くと死ぬ」というので、誰も木を切りに行かない。
太い楢がツクツクと生えていて、陰気な所だという。
他にもカワナの屋敷地、または屋敷谷戸(ヤシキド)ともいう、皿の割れた物が出る場所もあり、理由は分からないが悪いところなので、小屋掛けをしたり、作場をきる事はしないという。
カワナの屋敷地に小屋を掛けたら、天狗に小屋ぐるみ揺すられたので、以後は行かないという人もいる。
食わない作り(クワナイヅクリ)
日原川沿いの大澤部落の山の上にあり、ここでいくら耕作しても食えずに死ぬという。
以前、ここに金剛寺という寺があったという。
個人持ちの山だが、短期間に何人もの持ち主が変わっている。
位牌山(イハイヤマ)
大澤地区と同じ日原川沿いの寺地地区にある。
裏手の峰畑では塔婆山(トウバヤマ)とも呼ばれ、位牌の形だ、塔婆の形だと言ったりしている。
昔、炭焼き小屋に法印様が泊ったが、貧困に喘ぐ炭焼きが、金欲しさに殺してしまった。
あるいは、栗拾いが法印をヨキ(斧)で殺したともいうが、兎に角それ以来祟る山になったという。
大体買主に祟るが、入る者にも良くない事があり、九人でそれぞれ炭を焼いたら、どの窯もみな火が消えたという。
(了)
参考資料
日蔭の村/石川達三(1948/1/1)
昭和6年、東京市は水道貯水池を造るため小河内村を水底に沈める計画を発表する。
村長は反対する村議を諭す。しかし工事認可がなかなかおりないため保障をあてにする村民の生活は疲弊していき、彼等は蓆旗をたてて集団陳情に出かける。
漸く12年に起工式が行われるが土地買収価格は余りにも安かった。
都会文明に敗北していく一村落の哀史を、様々な人物像を織りなして力強く描く。