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中編 洒落にならない怖い話

蠱毒な女(こどくなおんな)【ゆっくり朗読】3900

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台湾人の俊賢とは、彼が日本語勉強で日本滞在中に友達になりました。

912:あるHPよりコピペ 投稿日:03/08/10 20:20

アメリカで教育を受け、父親は台湾の銀行の重鎮、お姉さんは結婚してカリフォルニア在住、当時は台湾に戻っていたお兄さんは、ハーバードビジネススクールの講師という、超エリート集団なおうちの人でした。

彼自身、大学卒業後は台湾に戻り、自分で出版版権のエージェントの会社をおこし、日本のアニメやマンガの版権を扱う仕事をしていました。

仕事の関係上、年に数回日本に来日していた彼とは、そのときどきに会い、日本のアニメ・マンガの情報を流しつつ、いろんな話をよくしていました。

彼は日本語、私は英語と、お互いの語学の勉強向上もあって、私たちはけっこう仲良しでした。

ある時、その日本出張に、日本のコロコロコミックの版権を持つ出版社の社長と編集と一緒に、自分のガールフレンドを連れてきました。

付き合っている人がいるが、諸事情で一族全部から付き合いを反対されている。

その彼女は、細くて小さくて、俗に言う「守ってあげたい系」の女性でしたが、感じも悪くなく、ごくごく普通の人でした。

ひとつ、幼い頃に小児麻痺にかかったため、片足が不自由で、妊娠は無理だと医者から言われているということを除けば、外国人の私には、なぜ結婚を反対されているのかわかりません。

その時の彼女は、彼が最初に勤務した出版社に勤務していて、その時の来日も仕事がらみでした。

重い口調で結婚を反対されていることを話す彼の様子に、なんでそこまで暗くなるのかよくわからないけど、大変なのねー、ということだけの理解で私は終っていました。

その年の十二月。

台湾に遊びに来いという、彼からの再三の誘いに応じ、私は友達と三人で台北に旅行に行きました。

基本的にひとりでも海外大丈夫な私なのですが、行く前から彼が異様に盛り上がり、私たちの日程をきれいに決めてしまいました。

私たちがやりたいこと、行きたいところを網羅したスケジュールを、ファックスしてきたり。

じゃあおまかせしましょうと、私と友人二人(昌子と淳子)は、何も考えずに台北いりしました。

ホテルで待っていてくれた俊賢は、早速私たちを地元で有名な北京ダックの店に連れていってくれました。

そこで、俊賢の恋人の彼女が待っていました。

私たちは楽しくおしゃべりしながら、夕食を終え、次の日からのスケジュールを打ち合わせしました。

それからは、彼の家族、友人関係が同行しないときは、必ず彼女が同行しました。

よく時間あるよなぁと思った友達が、俊賢にそれを問うと、彼女はすでに仕事を辞め自宅におり、生活の面倒はすべて彼がみているとのこと。

しかし、相変わらず彼の両親や知己は、その付き合いを反対しているとのことでした。

なぜそこまで執拗に反対されるのか、ということを別の友人が訪ねると、

「彼女は客家(はっか)だし、外省人(がいしょうじん)で、ネイティブな台湾人ではない、中国本土からきた一族だから」

という理由が返ってきました。

それで、彼の一族やら友達までがそこまで騒ぐもんかねーと、私たちは思いましたが、まぁ、個人のプライバシーにかかわる話ですし、文化や習慣の違う国のこと。

わからないこともあるでしょうと、それで納得しました。

二日目の夜

私たちは彼のお兄さんとその恋人をまじえて、お洒落な台湾料理の店で大盛り上がりしました。

お兄さんの恋人のエミリーが、私の耳元で「俊賢の恋人に会った?」と聞くので、「彼がいる時はほとんど彼女もいるよ」

と答えると、エミリーは一瞬驚いた顔をして、「彼らが付き合いを反対されてる話、知ってる?」と私に尋ねました。

「知ってるけど、どうしてだかは知らない」と答えた私に、エミリーは、「彼女の一族に問題があるのよ」

とだけ呟きました。

その後、お茶しに行こうと通りを歩いていると、突然俊賢が顔色を変えて駆け出しました。

通りの向こうから、彼女が歩いてきていました。

「待ち合わせしていたの?」と聞いた私に、俊賢は「偶然」と答えましたが、エミリーの顔色が変わり、賑やかだった彼のお兄さんが口をつぐんでしまったことを、私と友人ふたりは不思議に思いました。

当然のように私たちにジョインした俊賢の恋人は、「今日は何していたの?」と屈託なく私たちに話かけます。

場は、妙にシラケていました。

……中略……

最初は好意的であった俊賢の恋人は、私たちに対して敵対心をちらちらほのめかしてきた。

俊賢自身もなんだか、最初と比べて雰囲気がすっかり変わってしまったと私も思い始める。

で、なんやかんやあって帰国。そっからはじめます。

最後まで彼女の毒気にあてられながらも、無事帰国した私たちは、

「ま、恋人の女友達に、ちょっと嫉妬はいっちゃったってことで」

と、自分たちで勝手にケリつけて、楽しかったことだけおぼえているような状態になった、年明けの二月。

ある時から私、身体が重くてかったるくて、朝、起き上がることができないという日々が続きました。

これが本当に、どうにもこうにも具合悪い。

あまりにだらだらとそれが続くので、精密検査に行きましたが、異常なし。

おかしいなぁ、なんなんだろうと思って、少しして淳子から電話が入りました。

「百恵ちゃん、俊賢の恋人からもらったカード、どうした?」

そう、私たちは旅行二日目に、彼女から、パウチッコした観音様のような感じの女性の絵を、それぞれもらっていたのでした。

仏教の勉強をしていて、そこで買ったのよと、イタリアンレストランで彼女から笑顔で渡されたそのカード。

実は私の家族が、そういう宗教関係のものを人から貰うのを非常に嫌がり、年明け早々川崎大師の護摩焚きに際に、他の札と一緒に火に入れてしまっていたのでした。

どうにもこうにもそれを言いにくくて、もがもがしていたら……

「まだ持っているんだったら、すぐ近くのお寺か神社にもっていって、処分してもらって!」と淳子。

「何をそこまで言い出すの?」と聞く私に、淳子が話したこと。私の背筋が凍りました。

年明けから、いきなり不正出血が始まった淳子。

医者にいったが原因不明、それでも止まらず、ひどい貧血状態になってしまいました。

自分も刃物関係を扱う仕事の淳子、普段から鬼門にお清めのお塩を欠かしたことがありませんでした。

そうだ、俊賢の恋人からもらったお札が確か神様系だったなぁと思い出し、何気なくお清めのお塩のそばにその札を置いて寝ました。

朝起きて、玄関に新聞をとりにいった淳子は、蒼白になりました。

札の横で、清めの塩がきれいに溶けていたのです。真冬の二月に。

恐ろしくなった淳子は、友達に同行してもらって、その塩をつくっているお寺にいき、住職にその札を見せました。

住職がその札を持ったその瞬間。

「う!」と声をあげた住職の鼻から、たらたらと血が流れてきました。

淳子はその瞬間、貧血で失神しそうになったそうです。

「その札そのものには、悪いものはないんですって。まぁ、ああいう神聖なものをパウチするってのは常識的にだめだけど。
で、この札は人からもらったものですね?って聞かれて、これをくれた人が、すさまじい強烈なネガティブなものを持ってるって言うのよ、その住職さん。本人の意志云々じゃなくて、彼女が持つ何かがすごい悪いって。
他にもらった人がいますねって聞かれて、すぐにお寺か神社でお清めしてもらって処分するようにしないと、とんでもないことになるって言われたの!!
百恵ちゃん、いい?その住職、お祓いもできる人なのに、自分では処分できないから、上のお寺に持っていくって言ったのよ」

私は正直に、すでに自分がもらったものは、大師様で処分したと伝えました。

残るは昌子。

そういうのをさっぱり信じない昌子は、案の定手帳に入れて持って歩いていました。私と淳子の話に、「わかったー」と明るく答えた彼女。

これで一応終わりと、私たち誰もが思っていました。

六月、昌子のお母様が、突然入院しました。

良性の脳腫瘍といわれ、すぐさま手術。

無事終って医師からOKが出たその直後、またしても腫瘍が見つかり、また手術。

七月、看病に疲れた彼女のお父さんが、突然ガン末期告知。

その話を聞いた私、

「昌子、もしかしてあのカード、まだ持ってるんじゃないでしょうね?」

「……持ってる。手帳に入れたままになってる……」

そう答えた昌子。

神社やお寺に行く時間がないというので、事情を書いた手紙にお金をつけて、持っていくだけ持って行けと私と淳子で言い、昌子はすぐさまそのとおりにしました。

一ヵ月後、開腹検査をした彼女のお父さんの胃は、ガンがあった形跡だけがケロイド状に残っているだけで、ガンは発見されず、あとかたもなく消えました。

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その年の夏、俊賢と彼女は結婚しました。

私のところにも招待状が来ましたが、私は彼らとの付き合いを完全に絶ちました。

そして半年後、淳子が台湾に遊びに行き、俊賢の両親の家に招かれたそう。

笑顔で迎えてくれた俊賢のお母様から、俊賢と彼女の結婚について、結局最後には自分も折れたが、父親だけは頑として反対していたこと、それでも結婚式をするとなったその一月前、突然父親が心臓発作をおこし亡くなったことを聞いたそうです。

その後、みんなが口をつぐんだ彼女の存在。

それは一体何だったんだろうと思っていた私に、ある人が話してくれたこと。

「中国には蠱毒と呼ばれる一族がいて、蟲や動物を使って、まじないや呪いをほどこす人たちが実際いる。たぶんその彼女は、その一族なんじゃないかな。
実際、高い能力を持つのは女性に多く、その人たちは蟲や動物を使わなくても、その思念だけで、呪いをかけたりすることができるって話も聞くよ。
話を聞いていると、その相手の男性、まさに魅入られたって感じするしね。関わりをすべて絶ったのは、正解だったと思うよ。まさに命に関わることになってたと思う。
でも、たぶん彼の一族は、彼女のそういうのに取り込まれていくだろうなぁ。お兄さんとか、無事だといいね。
子供できないって言ってたみたいだけど、蟲を使うその種の人は、一子だけもうけてその力を伝えるって話もあるから、たぶん子供生まれるよ。
その一子ってのは、女だろうね。蟲つかいは、基本的に女性の一族だから」

それから二年後。

仕事関係で本当に偶然話す機会のあった、俊賢から聞いた言葉。

「百恵!僕、父親になったんだ。そうなんだ、彼女子供ができない体だって言ってたけど、赤ん坊が生まれたんだよ。僕、父親になったんだ。娘ができたんだよ」

(了)

 

蠱毒とは?

蠱毒(こどく)とは、古代において用いられた、虫を使った呪術のこと。蠱道(こどう)、蠱術(こじゅつ)、巫蠱(ふこ)などともいう。

犬を使用した呪術である犬神、猫を使用した呪術である猫鬼などと並ぶ、動物を使った呪術の一種である。

代表的な術式として『医学綱目』巻25の記載では

「ヘビ、ムカデ、ゲジ、カエルなどの百虫を同じ容器で飼育し、互いに共食いさせ、勝ち残ったものが神霊となるためこれを祀る。この毒を採取して飲食物に混ぜ、人に害を加えたり、思い通りに福を得たり、富貴を図ったりする。人がこの毒に当たると、症状はさまざまであるが、一定期間のうちにその人は大抵死ぬ。」

と記載されている。

性質

・家に富みを運んでくれる。
・定期的に生け贄をささげないと、かわりに食われる。
・剣や火では殺せない。
・遠くに捨てても戻ってくる。
・捨てるには、蠱毒がくれただけの財と同じ価値の財と共に、捨てなければならない。

使用法

性質を利用して、呪うべき相手のところへ、少しの金品と共に蠱毒を送りつける。

そうすると蠱毒は相手のものとなり、養えぬままに、食われてしまう。

また、蠱毒を食べることにより、蠱毒のパワーを手に入れることができる。
(甕の中のヒエラルキーの頂点にたつことになるため)

歴史

古代中国において、広く用いられていたとされる。どのくらい昔から用いられていたかは定かではないが、白川静など、古代における呪術の重要性を主張する漢字学者は、殷・周時代の甲骨文字から蠱毒の痕跡を読み取っている。

「畜蠱」(蠱の作り方)についての最も早い記録は、『隋書』地理志にある

「五月五日に百種の虫を集め、大きなものは蛇、小さなものは虱と、併せて器の中に置き、互いに喰らわせ、最後の一種に残ったものを留める。蛇であれば蛇蠱、虱であれば虱蠱である。これを行って人を殺す。」

といったものである。

中国の法令では、蠱毒を作って人を殺した場合あるいは殺そうとした場合、これらを教唆した場合には死刑にある旨の規定があり、『唐律疏議』巻18では絞首刑、『大明律』巻19、『大清律例』巻30では斬首刑となっている。

日本では、厭魅(えんみ)と並んで「蠱毒厭魅」として恐れられ、養老律令の中の「賊盗律」に記載があるように、厳しく禁止されていた。

実際に処罰された例としては、769年に県犬養姉女らが不破内親王の命で蠱毒を行った罪によって流罪となったこと(神護景雲2年条)、772年に井上内親王が蠱毒の罪によって廃されたこと(宝亀3年条)などが『続日本紀』に記されている。

平安時代以降も、たびたび詔を出して禁止されている。

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