伊勢の内宮へ向かう参道を歩いていた。
まだ若かった。何かを願いに行くというより、連れに誘われたからついて行っただけの参拝だった。砂利を踏む音が足もとから細かく返ってきて、木々の梢から漏れる光が、白く乾いた道の上をちらちらと動いていた。
人は多かったはずなのに、妙に音が遠かった。
途中、道の脇にひらけた場所があった。式年遷宮のために整えられた区画だと、あとで聞いた。まだ建物はなく、ただ新しい砂利だけが敷かれていた。そこだけが削り出されたように白く、周囲の木陰から浮いて見えた。
私はそこで、ふと立ち止まった。
何かがあると思ったわけではない。けれど目が離せなかった。空き地の奥に、光とも影ともつかない揺らぎが立った。
次の瞬間、三本の巨大な柱が見えた。
太く、高く、見上げても先がわからないほどだった。三本は、手前に二本、奥に一本という形で立っていた。ちょうど、点を三つ置いたときのような並びだった。
ただ、手前の二本がまっすぐではなかった。
参道に対して、ほんの少しだけ時計回りに傾いていた。十度あるかないか。その程度のズレだったと思う。けれど、そのわずかな角度が妙に気持ち悪かった。見ているだけで、こちらの体の中心までずらされるような感じがした。
私は息を止めていた。
すると、空から船が来た。
木でできた大きな船だった。海に浮かぶ船ではない。空の高いところから、音もなく、影だけを先に落としながら近づいてきた。船底の板目まで見えた気がする。人が乗っているようにも見えたが、目を凝らすと何もいないようでもあった。
その船は、右手前の柱の上へゆっくり降りていった。
触れる、と思った。
その瞬間、船も柱も消えた。
目の前には、ただの空き地があった。白い砂利が敷かれ、低い囲いがあり、奥に木々が並んでいる。さっきまで見えていたものがそこに入る余地など、最初からなかった。
連れは少し先で振り返り、「どうしたの」と言った。
私は「今、何か見えなかったか」と聞いた。
誰も見ていなかった。
それからしばらく、私はその話を誰にも詳しくしなかった。口にすると、いかにも神秘体験を誇っているように聞こえる。自分でも、そう受け取られるのが嫌だった。
ただ、忘れられなかった。
三本の柱。手前の二本だけが、少し傾いていたこと。空から来た木の船。右の柱に触れそうになった瞬間に、すべてが消えたこと。
それが何だったのか、私は調べなかった。
調べれば何かの説明に行き着く気がした。神話だとか、遷宮の象徴だとか、古い信仰の残像だとか、そういう言葉に収まってしまう気がした。けれど、あれはそんなふうに収まるものではなかった。
私はただ、あの角度だけを覚えていた。
十度ほど、右へずれている。
それだけが、何年経っても消えなかった。
二十年ほど前の夜、似たようなことがあった。
愛知の大縣神社の近くだった。私は車でそのあたりを走っていた。時刻は夜の八時を少し過ぎていたと思う。昼間は人の気配がある道なのに、その日はやけに静かだった。窓の外には黒い木立が続き、ところどころに民家の灯りが見えた。
参道沿いに、一軒だけ玄関の明かりがともっている家があった。
その灯りが、妙に暖かく見えた。
冬だったのかもしれない。あるいは、そう感じただけかもしれない。私は運転しながら、ほんの一瞬、その玄関の方を見た。
その瞬間、胸の奥を冷たいものが撫でた。
見えたのは、今の景色ではなかった。
粗末な着物を着た男がいた。手を縄で縛られ、前へ進まされている。若い男だった。顔は青ざめ、目だけがぎょろぎょろと動いていた。何かを言おうとしているのに、声になっていなかった。
男の少し後ろで、老女が泣いていた。
母親だと思った。
その泣き方でわかった。責めているのでも、許しているのでもなかった。ただ、そこに立っていることしかできず、身体の内側から崩れていくように泣いていた。
場面はそこで終わらなかった。
男が幼い子どもだったころが見えた。裸足で走り、友だちと笑っていた。土の上にしゃがみ込み、棒で何かを描いていた。顔にはまだ、あの怯えた目の影などなかった。
次に、赤子だったころが見えた。
小さな体を抱いている女の腕が見えた。女の視線で見ているのだと、途中で気づいた。赤子の頬に指を当て、何度も名前を呼んでいる。声は聞こえないのに、呼んでいることだけはわかった。
また場面が飛んだ。
少年。青年。誰かと争う手。逃げる背中。押さえつけられる体。縄。夜明け前の土。泣き崩れる母。
ほんの数秒だったはずだ。
けれど、その数秒の中に、男の一生が押し込まれていた。しかもそれは、男の記憶だけではなかった。母親の記憶でもあった。産んだ日の温度。初めて歩いたときの喜び。帰りが遅い夜の不安。人の口から息子の罪を聞かされた瞬間の、体の内側が抜けるような感じ。
私は車の中で、泣いていた。
悲しい話を見たからではない。
悲しみが、こちらの体に入ってきたからだ。
そのとき、はっきりとわかったことがある。
これは私の記憶ではない。
けれど、誰か一人の記憶でもなかった。
もっと長く、もっと古く、何度も同じようなものを見てきた視線だった。人が生まれ、育ち、壊れ、誰かを壊し、連れていかれる。そのたびに母が泣く。父が黙る。子が遠くから見ている。誰かが戸を閉める。
そういうものを、ずっと見ている視線だった。
助けるでもなく、裁くでもなく、慰めるでもなく、ただ見ている。
その視線の中に、私が少しだけ入ってしまった。
そう思った。
「長く見ているだけなのは、つらい」
そういう言葉が浮かんだ。
誰かに言われたのか、自分で思ったのかはわからない。ただ、その一文だけが妙にはっきりしていた。私はしばらく路肩に車を停め、ハンドルに手を置いたまま動けなかった。
目の前には、さっきの民家の灯りがまだ見えていた。
玄関の脇に、三本の細い影が落ちていた。
一本は奥に、二本は手前にあった。
そして、手前の二本だけが、ほんの少し右へ傾いていた。
伊勢で見た柱と同じ角度だった。
それに気づいたとき、涙が止まった。
怖くなったのは、そのあとだった。
私は何を見たのか。
あの男の一生なのか。母親の悲しみなのか。土地に残ったものなのか。あるいは、私が見たと思っているだけで、実際には誰かに見られていたのか。
答えは出なかった。
ただ、その日を境に、神社の灯りを見るときの感覚が変わった。鳥居の奥にある灯籠や、社務所の小さな窓明かりや、夜の拝殿に落ちる影を見ると、胸の奥が妙にざわつく。
そこに何かがいる、とは思わない。
むしろ逆だ。
こちらが、何かの中にいる気がする。
伊勢で見た木の船のことも、ときどき思い出す。
あの船は、柱に触れる直前で消えた。降りてきたのに、着かなかった。迎えに来たようにも、運んできたようにも見えた。けれど何を乗せていたのかは、わからない。
大縣神社の夜に見た男も、どこかへ連れていかれる途中だった。
あれから、私はその二つを別々の出来事として考えられなくなった。

三本の柱。
少し右へ傾いた二本。
空から来る船。
灯りの前を通り過ぎる男。
泣いている母。
そして、見ているだけのもの。
何年も経ってから、もう一度、大縣神社の近くを歩いたことがある。昼間だった。道は明るく、車も人も普通に通っていた。あの夜に見た民家がどれだったのか、もうわからなかった。
それでも、ある家の前で足が止まった。
玄関先に、細い木が三本植えられていた。
一本は奥に、二本は手前にあった。
手前の二本は、やはり少しだけ右へ傾いていた。
私はすぐに目を逸らした。
そのとき、門の内側から小さな子どもの笑い声がした。
続いて、女の人の声がした。
ごく普通の、母親が子どもを呼ぶ声だったと思う。けれど、聞いた瞬間、私はその場を離れた。声を確かめてはいけないと思った。
振り返らずに歩いていると、背中の方から、誰かが泣いている気配がした。
実際に泣き声が聞こえたわけではない。ただ、あの夜と同じものが、すぐ後ろに立っている気がした。
見守るだけのもの。
救わないもの。
救えないのか、救わないのか、それはわからない。
ただ、長く長く見つめている。
私はそれから、神社で泣いている人を見ても声をかけないことにしている。
その人が泣いているのか、何かがその人を通して泣いているのか、私にはもう区別がつかない。
それに、たまに思うのだ。
伊勢で立ち止まったあのとき、私は三本の柱を見たのではない。
三本の柱の側から、こちらを見られたのではないかと。
そしてその視線は、今も離れていない。
夜、玄関の灯りを消し忘れたときなど、ふと窓の外に三本の影が立っていることがある。
一本は奥に。
二本は手前に。
手前の二本だけが、ほんの少し右へ傾いている。
その影を見つけるたび、私は決まって涙が出る。
悲しいわけではない。
怖いわけでもない。
ただ、私の中のどこかで、私ではないものが、まだ見ている。
[出典:3 :名無しさん :2014/03/23(日)06:00:23 ID:icuQcrB1A]