ポケットの中の川砂
ポケットの中にはいつも川砂が入っていた。
現場を歩くたびに靴の隙間から砂が入り込み、いつのまにかポケットに溜まる。夜、タコ部屋のような寮に戻って作業ズボンを脱ごうとすると、ジャラジャラと砂が畳の上にこぼれ落ちた。東北の川砂とはまた違う、東京の泥と油の混じった砂だ。俺はそれを手のひらで受け止め、しばらく眺めてから窓の外に捨てる。それが毎晩の儀式だった。
俺の名前は清助という。山形の奥まった寒村の生まれで、中学を出てすぐ集団就職の列車に乗った。昭和四十年代の話だ。ホームには母親が立っていたが、泣かなかった。泣くには、俺たちの村は貧しすぎた。泣く余裕があるなら稼いでこい、というのが村全体の空気だった。
上野駅に着いたとき、俺はまず匂いに驚いた。なんともいえない、人間と排気ガスと食い物が混じり合った匂い。村の朝の空気とはまるで違う。俺はリュックを抱えながら、この匂いの中で生きていくのかと思った。
配属されたのは、城東の土建屋だった。
会社の正式名称は長ったらしかったが、誰も使わず、ただ「組」と呼ばれていた。社長は五十がらみの恰幅の良い男で、開襟シャツの胸元からのぞく首筋に、青い刺青が見えた。背中には倶利伽羅紋々を背負っているという噂で、社員たちは社長のことを「おじさん」と呼んだ。会社というより、ヤクザの事務所に就職したと知ったのは、入社してしばらくしてからだった。
「おまい、現場監督な」
最初の朝礼で、おじさんはそう言った。俺はヘルメットを渡された。真っ白な、線のないヘルメット。先輩たちのヘルメットには三本の赤い横線が入っていた。
「あの線は何ですか」
隣の先輩に小声で聞くと、鼻で笑われた。
「格の違いだよ、格の」
俺のヘルメットには何も入っていない。無印だ。だから俺はのちに、自分のことを「無印の現場監督」と思うようになった。肩書きだけは監督でも、実際にやることはドカタと変わりなかった。
まかないのおばちゃん
寮は置き場の敷地の一角に建てられた、プレハブ造りの細長い建物だった。
廊下の幅は大人一人がやっと通れるほどで、両側に畳二枚分ほどの個室が並んでいる。「個室」とは名ばかりで、薄い板一枚で仕切られているだけだから、隣の鼻息まで聞こえた。
朝と晩の食事は、まかないのおばちゃんが作ってくれた。
おばちゃんは四十代半ばくらいで、色白の細面だった。かつてはきれいな人だったのだろう、と思う。ただ、目の下にいつも深い隈があり、焦点の定まらない目で、鍋をかき混ぜた。
最初の夕食で、俺は困惑した。
白米が黄色かった。おかずの煮物は色はついているが味がしない。みそ汁は薄すぎてお湯に近い。そして魚の煮付けは、生臭さがすさまじく、ひと口食べて箸を置いた。
「食えねえの?」
先輩の岸本さんが横から言った。
「は、はあ、ちょっと……」
「慣れろ。慣れたら食えるようになる」
岸本さんは黄色い飯を口に掻き込みながら言った。ただ、岸本さん自身も魚の煮付けには箸をつけていなかった。
忘れられないのは、ライスカレーの日だ。
黄色いご飯に、黄色い汁。具はじゃがいもと人参の欠けらが数個。スプーンでかき混ぜると、汁はすぐにご飯に染み込んで消えた。カレーというより、カレー粉をお湯で溶いたものをかけたような感じだ。
その日、福神漬けのガラス容器が並んでいた。手作りだとおばちゃんが言った。ガラス越しに見ると、汁が妙に濁っている。継ぎ足し継ぎ足しで長年使い回しているような、褐色の濁りだ。
俺はスプーンで取ろうとした。
容器の中で、何かが動いた。
よく見ると、白い小さなものが蠢いていた。
蛆虫だった。
俺はスプーンをそっと置き、何もなかったような顔で飯を食い終えた。それ以来、俺はおばちゃんのメシにほとんど手をつけなくなった。
ある日、それが社長に告げ口された。
「清助、飯食わねえってのはどういうこったい」
おじさんは俺を詰め所に呼びつけた。怒っているというより、面倒そうな顔だった。俺は正直に話した。飯の黄ばみのこと、魚の臭いのこと、そして福神漬けの中で動いていたもののこと。
おじさんは黙って聞いていた。そして、ため息をついた。
それから間もなく、まかないは廃止された。
俺はほっとしたが、その分、薄給から食費を捻出しなければならなくなった。近くの定食屋で一番安いものを頼み、腹が減っても我慢した。博打で給料を取られた月は、三日に一度しかまともな飯を食えなかった。
ずいぶん後になって、俺はおばちゃんのことを聞かされた。
おばちゃんの夫は、先代のおじさんに莫大な借金をしていた。返せなくなったとき、夫婦ごと「差し押さえ」られた。夫は土木現場で働かせられ、妻はまかないをさせられた。
おばちゃんはもともとお嬢様育ちだったという。結婚後も台所には立たず、すべて家政婦に任せていた。包丁の持ち方も、米の研ぎ方も、知らなかった。
だから、あの飯はまずかったのではない。おばちゃんは料理というものを、何一つ知らなかったのだ。
俺はそのことを知ったとき、長いこと黙っていた。
おばちゃんが鍋をかき混ぜていた姿を思い出した。焦点の合わない目。あれは病んでいた目だった、と今は思う。自分がどこにいるのかも、何をしているのかも、分からなくなっていたのかもしれない。
あの蛆虫入りの福神漬けは、おばちゃんが正気でいられなくなった証拠だった。
俺はあのとき、何も言えなかった。
上司と金槌
上司の名前は横田といった。
三本線の入ったヘルメットを被り、現場では常に怒鳴り声を上げていた。機嫌のいい日というものを、俺は一度も見たことがない。
ある朝、俺は現場内の掃除をしていた。
ゴミを集め、半分に切ったドラム缶に入れて燃やす。俺は火を見ながら、横田さんがこっちに来るな、と思っていた。なぜかそういう日は分かる。朝から横田さんの足音が重く、詰め所を出てくるときの背中が尖っていた。
案の定、背後から気配がしたと思ったら、いきなり頭を殴られた。
メガネの上から、平手で。
眼鏡が飛んで、地面に落ちた。一方のレンズにヒビが入った。
「おまいよぉ、アレ、やってねえじゃねぇか!」
俺には何のことか分からなかった。だが、そのまま「分かりません」と言うと、もっと殴られることは分かっていた。
「あわわ……アレ、って、なんですか?」
「てめぇ!ふざけんなこのヤロー!」
バシッ、と再び殴られた。
殴り終えると、横田さんは細かく指示を出す。それが横田さんのやり方だった。先に指示を出して理解させてから怒るのではなく、まず殴って、後から喋る。俺は何度も思った。順番が逆だろうと。
壊れたメガネを買い直す金がなかったから、しばらくは裸眼で現場を歩いた。目が悪い俺には地獄だった。
その日も、視界がぼんやりしたまま型枠解体の手元をやっていると、足の裏に激痛が走った。
釘を踏み抜いたのだ。
地下足袋の薄い底を、一本釘が貫通した。俺は痛みに耐えながら、その場にしゃがんだ。情けない話だが、涙が出た。
「おう清助、消毒してやっから足みしてみろ」
型枠大工の親方が声をかけてきた。親方は五十がらみの小柄な男で、現場では数少ない「まともな人間」だと俺は思っていた。
地下足袋を脱いで見せると、足の裏に小さな穴が開き、じわじわと血が滲んでいた。
次の瞬間、親方は金槌で傷口を叩いた。
俺は声も出なかった。消毒すると言ったのに、なぜ金槌で叩くのか。恐怖で顔が青ざめていると、親方がニヤリと笑った。
「ブルってんじゃねえよ。こうやってな、血ぃ出してバイキン外に出さねえと破傷風になっちまうからな」
それから親方は、五円玉を傷口にあてた。マッチ棒の火薬をほぐして五円玉の穴に詰め、ライターで点火した。
シュッ、という音がした。
一瞬で傷口が焼かれた。
俺は歯を食いしばって耐えた。親方は何も言わず、立ち上がって仕事に戻った。
その傷は、その後一度も化膿しなかった。
不思議な人だ、と思った。口は悪くても、手は優しかった。
夜の現場
冬になると、青森や北海道から出稼ぎの職人が来た。
左官工たちだ。彼らは仕事はできたが、素行が悪かった。飯場に戻ると酒を飲んで騒ぎ、喧嘩をし、夜中に怒鳴り声を上げた。近隣の住民から苦情が来て、警官が夜にパトロールをするようになった。それでも彼らは静かにならなかった。
その頃、俺は夜の現場巡回を命じられていた。
懐中電灯を持って、暗い現場を一人で歩く。足場が組まれた建物の影は昼間とまるで違う顔をしていた。コンクリートとパイプと木材が複雑に絡み合い、光を飲み込んでいた。
ある夜、現場の暗がりから声が聞こえた。
近づくと、二人の男が血まみれになって組み合っていた。出稼ぎの左官工だった。俺は近くの公衆電話まで走り、救急車を呼んだ。
それからだ。俺は彼らに目をつけられた。
現場でいろいろ注意をしたことがあった。安全管理のためだった。しかし彼らには若造のノウガキとしか聞こえなかったらしい。
「うるせえぞ、ガキ」
「もう一回言ってみろ、殺すぞ」
足場の上から、金槌が落ちてきたことがある。俺の三十センチ先に刺さった。「手が滑った」と上から声がした。
ある夜、暗い通路でのこぎりを首筋に突きつけられた。
「次に俺に何か言ったら、どうなるか分かるよな」
俺は動けなかった。背中を壁に押しつけられながら、金属の冷たさを首に感じていた。
「……わかった」
それだけ言った。
男は笑って去っていった。
その夜、便器が真っ赤になった。
血尿だった。最初は傷かと思ったが、体のどこにも傷はない。ストレスが体の中で爆発したのだと、後に医者に言われた。
俺は便器の前にしゃがみ、しばらく動けなかった。
この世の終わりかと思った。二十歳になったばかりの俺には、血まみれの便器があまりにも非現実的に見えた。
外では出稼ぎの男たちの笑い声が聞こえた。
ちんちろりん
現場詰め所では毎晩、博打が行われた。
横田さんを筆頭に、先輩たちが集まって花札やちんちろりんをやる。俺も付き合わされた。「付き合う」というのは建前で、実質的には断れない空気があった。
一度の賭場で給料まるごと負けたことが何度かある。
財布の中が空になっても、俺は顔に出さないように努めた。弱みを見せると、もっと搾り取られる気がしたから。
ただ、本当にひもじかった。
昼の弁当代が出ない。缶コーヒー一本が贅沢になる。腹が減った状態で現場を動き回ると、足元がふらつく。鉄骨の上や足場の端を歩くとき、それは命取りになる。
俺はこっそり、現場の端に溜まった川砂を触る癖がついた。
理由はよく分からない。砂の感触が、なぜか落ち着かせてくれた。東北の川の砂も、こんな感じだったかもしれない。故郷の川の、夏の水の冷たさを思い出す。
ポケットにそっと砂を入れた。それが癖になった。
俺はその砂を、東北から来た土産だと思うことにした。
一張羅
集団就職で上京するとき、母親が背広を買ってくれた。
鼠色のウールの背広だった。「一張羅」というやつで、母親が小銭を積み立てて買ってくれたものだと後から知った。
東京に着いた最初の夜、俺はその背広をハンガーに掛けた。
それからずっと、掛けたままだった。
現場には着ていけない。帰る場所はタコ部屋だ。どこかに出かける金も時間もない。休みは盆暮れだけで、そのときは帰省した。帰省には作業着で帰った。背広を着るのは恥ずかしいような気がして。
あの背広はいま、どこにあるのだろう。
着もせずに、それでも捨てられなかった。
砂と月
現場監督の仕事に慣れてくると、不思議なことがあった。
嫌なことは山ほどあったのに、現場そのものは嫌いになれなかった。
更地だった場所にコンクリートが打たれ、鉄骨が組まれ、壁が立ち、屋根がかかる。その過程を毎日見ていると、自分が何かを作っているという実感があった。横田さんに殴られても、出稼ぎ者に脅されても、建物だけは少しずつ形になっていく。
俺のヘルメットには線がない。無印のままだ。
だがある日の夕暮れ、型枠大工の親方が俺に言った。
「清助、おめえ最近いい目してんな」
俺はよく意味が分からず、「はあ」と返した。
「現場を見る目だよ。前はびくびくしながら歩いてたろ。今は違う。現場の流れが見えてきてんだ、おめえに」
俺はそのとき、少しだけうれしかった。
夜、寮に戻ってズボンのポケットを探ると、また川砂が入っていた。今日は量が多い。俺は手のひらに砂を受け止め、月明かりにかざした。砂粒がかすかに光った。
東京の砂だ。
俺が歩いてきた場所の砂だ。
俺は窓を開けた。夜風が入ってきた。
手のひらの砂を、夜の空気の中に放った。砂は風に乗ってさらさらと散っていった。
どこかに落ちて、また誰かのポケットに入るかもしれない。
俺はしばらく窓の外を眺めた。
東京の空は光害で星が見えにくいが、その夜だけはなぜか、二、三粒の星が見えた。
(了)
この物語は、ある時代の建設現場を生きた若者の記憶をもとに書かれた。
昭和という時代を泥と砂にまみれて駆け抜けた、無数の「無印」たちへ。