退院する前日の夜だった。
消灯の時間になり、ベッドの上で目を閉じたり開けたりしながら、眠るタイミングを探していた。個室は静かで、機械音もなく、空気だけがやけに乾いていた。
そのとき、廊下を歩く足音が聞こえた。規則正しく、急いでもいない。夜勤の看護師の足音とは違う。看護師はいつもノックと同時にドアを開け、ためらいなく入ってくる。だがその足音は、私の部屋の前で止まり、ドアが静かにコンコンと叩かれた。
返事はしなかった。来客があるはずもない。怖くなって、すぐに灯りをつけた。
それきり音はしなかった。
ただ、不思議だったのは、近づいてきたはずの足音が、去っていく音を残さなかったことだ。廊下は長い。どの部屋へ行くにも、必ず足音は続くはずなのに。
結局その夜は眠れなかった。
翌日、何事もなく退院した。時間が経つにつれ、その出来事は「気のせい」になっていった。産婦人科は出やすいらしい、そんな話をどこかで聞いた気もする。怖かったね、と笑い話にできる程度の記憶になっていた。
数年後、知人と怪談の話になり、私はふと思い出してあの夜のことを話した。すると、知人の一人が顔色を変えた。
彼女も、同じ産婦人科に入院していたという。しかも早産で、夜中に。
夜、ドカドカという複数人の足音がして、誰かが部屋に入ってきた。ベッドの両脇に立つ気配。怖くて目を開けられずにいると、耳元で囁かれた。
「わたしと変わって」
噂で聞いた話があると言った。数日前、死産があり、さらに母親も助からなかった難産があったらしい。
そこまで聞いて、私は何気なく確認した。
彼女が入っていた病室番号と、ベッドの位置。
完全に一致していた。
退院前日の夜、私のドアを叩いたのは、看護師ではなかった。
そして、次にそこに入ったのは、彼女だった。
私が去ったあと、そのベッドには、もう一人分の空きができていたはずなのに。
(完)
[出典:548 :可愛い奥様:2018/07/31(火) 23:40:50.73 ID:mMEbkapz0.net]