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中編 山にまつわる怖い話 n+2026

川辺の赤いお守り nc+

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山は昼と夜で顔を変えるが、あの時歩いていたのは、昼間なら何の変哲もない低い尾根の裏側だった。

舗装もない獣道に、古い杉の葉が積もり、踏みしめるたびに乾いた音と湿った音が混じる。月は雲に隠れ、光は頼りなく、懐中電灯の円だけが足元を切り取っていた。

退屈しのぎの夜の散歩だった。眠れない夜が続いていて、布団の中で目を閉じるより、外の冷えた空気を吸う方がましだと思っただけだ。山に入るのは慣れていた。小さい頃から、裏山は遊び場で、危険な場所と安全な場所の境目は身体が覚えているつもりだった。

川の音が近づくにつれて、空気が変わった。水の匂いと、腐葉土の甘さが混じり、肌に張り付くような冷えが増す。視界の端で、何かが光った。蛍ではない。もっと低く、動かない、点のような反射だった。

山には色んな物が捨てられている。空き缶、壊れた家電、意味の分からない布切れ。だから、川辺に落ちている物を見ても、最初はそういう類だと思った。だが、近づくにつれて違和感がはっきりした。小さなお守りだった。しゃんとした赤地に、綺麗な金糸の刺繍。古びてもいない。泥土もつかず、雨露にも濡れず、石の間に引っかかるように、きらきらと誘うように横たわっていた。

触れるな、という理性の声は確かにあった。山で拾った物を持ち帰るな、昔から言われてきたことだ。それでも、その赤は暗闇の中でやけに鮮やかで、金糸は小さな星を縫い込んだみたいに瞬いていた。手袋越しでも、熱を持っているように見えた。

手を伸ばした瞬間の感覚は、今も曖昧だ。冷たかったのか、温かかったのか。指先に、軽い抵抗があった気もする。布の柔らかさではなく、何か薄い膜に触れたような感触。その次の瞬間、視界が一気に白くなった。

気が付いたら、時間が飛んでいた。夢も何もない。ただ、意識の端で、川の音だけが続いている感覚があった。

頬に、鋭い痛みが走った。乾いた音と一緒に、頭が横に揺れる。「何やってるんだい」という、しわがれた声が耳に入った。自分を探しに来た婆さんが、川辺で私の頬を叩いていた。空はすっかり明るく、朝の光が木々の間から差し込んでいる。

起き上がろうとして、身体が重いことに気付いた。関節が錆びついたみたいに軋み、舌が乾いている。腕時計を見ると、夜中に山に入ってから何時間も経っていた。そこでようやく、自分が長い時間、その場で倒れていたのだと理解した。

婆さんは何も聞かなかった。ただ、腕を引いて、家に戻るよう促した。帰り道、視界の隅で、水面を流れていく赤が見えた。あのお守りだった。朝の光の中でも、あれは妙に浮いていて、ゆっくりと下流へ運ばれていった。

不法投棄や動物の骨なんかより、よっぽど得体の知れないものが山には捨ててあるんだな。そんな、どうでもいい考えが頭をよぎった。その時は、それで終わったと思っていた。

翌日から、身体の調子がおかしかった。

熱があるわけでも、怪我をしたわけでもない。ただ、皮膚の内側に薄い膜が一枚増えたような、外界との距離感が狂った感じが続いた。水を飲めば喉を通る音が大きく聞こえ、風に当たると、冷たさが骨まで直接触れてくる。

川辺で倒れていた間の記憶は、相変わらず抜け落ちたままだった。夢も見ていない。だが、夜になると、目を閉じた瞬間に赤が浮かぶ。あの赤地の色だ。瞼の裏に滲むように広がり、金糸の輪郭だけが、はっきりと残る。

婆さんは何も言わなかった。心配していないわけではないはずだが、あの夜のことを話題にするのを、意識的に避けているようだった。山のことは、山で終わらせる。そういう線引きが、あの世代にはある。

三日ほど経った頃、洗濯物を干していると、川の方から子どもの声が聞こえた。笑っているような、呼んでいるような、判別のつかない高さの声だった。気のせいだと思っても、耳の奥に残る。水の流れる音と混じって、区別がつかなくなる。

夜の散歩は控えた。代わりに、昼間に川辺を歩いた。あのお守りは、もう見当たらなかった。増水で流されたのだろう、と頭では納得したが、胸の奥が落ち着かない。石の隙間や、木の根元を無意識に探している自分に気付く。

数日後、集落の集会所で、古い写真を整理する手伝いをすることになった。黄ばんだ写真の中に、見覚えのある赤があった。写り込んだ祭りの風景。子どもたちの首から、同じ形のお守りが下がっている。金糸の模様も一致していた。

「それ、何のお守りですか」と聞くと、場が一瞬静まった。誰かが咳払いをし、別の話題に逸らそうとする。しつこく尋ねると、年配の男が、低い声で言った。「昔、川で子どもが流れないように、身代わりに持たせてたものだ」

詳しい話は、そこから先に進まなかった。ただ、川は境目で、持っていかれやすい場所だということ。だから、赤で目立つものを持たせ、名前を書いて、帰ってこられるようにしていたこと。いつの間にか、その風習は廃れたらしい。

家に戻ると、胸のざわつきが強くなった。夕方、川の音がやけに近い。窓を閉めていても、水の匂いが入り込んでくる。赤が、また瞼の裏に滲んだ。

その夜、夢を見た。川の中に立っている。水は膝ほどの高さで、冷たいはずなのに感覚がない。足元に、いくつもの赤が沈んでいる。手を伸ばすと、金糸が絡みつく。ほどこうとすると、誰かの小さな手が、内側から握り返してきた。

目を覚ますと、布団の中に何かがあった。小さく、軽い。あの、お守りだった。濡れていない。泥もついていない。川辺で見た時と同じ、しゃんとした赤。

いつの間に、持ち帰ったのか。記憶を辿っても、空白しかない。捨てようと、手に取った瞬間、指先に、あの薄い膜の感触が戻ってきた。

捨てる場所は、決まっている気がした。

川だ。拾った場所と、同じ水に返す。それが正しい、という確信だけがあった。夜明け前、まだ空が青くなる前に、家を出た。

川辺は静かだった。霧が低く漂い、水面が見えにくい。足元の石が、前よりも多く感じる。川幅も、少し狭くなったような錯覚があった。時間帯のせいだと思おうとしたが、歩くたびに、位置感覚がずれていく。

お守りを、そっと水に落とした。小さな音も立てず、赤は水面に浮かび、ゆっくりと流れ始める。その瞬間、胸の内側で、何かがほどけた気がした。息が、深く吸える。

だが、安心は長く続かなかった。流れていく赤を目で追っていると、下流から、同じ色がいくつも現れた。一つ、二つではない。川の中央に、点々と浮かぶ赤。どれも、同じ金糸の刺繍。

背中が冷えた。これは、流されてきているのではない。上流から、ではない。足元から、湧いている。

水面に映った自分の顔を見て、違和感に気付いた。首元が、妙に軽い。手を伸ばすと、そこにあるはずの感触がない。代わりに、視界の端で、赤が揺れている。

首から下がっていた。あのお守りが。紐の感触はないのに、確かに、そこにある。

その時、思い出した。川辺で意識を失う直前の、最後の感覚。手を伸ばしたのは、お守りに向けてではなかった。水の中から、こちらに差し出された、小さな手に向けてだった。

あの夜、拾ったのではない。渡されたのだ。

川の音が、急に近づいた。足元の水位が、じわじわと上がる。逃げようとすると、身体が重くなる。皮膚の内側に増えた膜が、今度は外へ引っ張られていく。

理解した時には、遅かった。このお守りは、身代わりではない。帰るための目印でもない。数を揃えるための、印だ。

赤が一つ、川に浮かぶたびに、こちら側から一つ、抜け落ちる。だから、いつも、足りなくなる。だから、山に捨てられる。

朝日が差し込む頃、川辺には誰もいなかった。ただ、水面を流れていく赤だけが、静かに数を増やしていく。

後で聞いた話では、その日、川で子どもが助かったらしい。名前も知らない、通りがかりの大人が、手を伸ばしたのだという。

その大人が、どんな首元をしていたのか。誰も、気に留めなかった。

(了)

[出典:769 :本当にあった怖い名無し:2012/02/02(木) 15:41:01.77 ID:cR37mHE4O]

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