俳句をやっていると話すと、決まって少し意外そうな顔をされる。
中学校の国語教師が、休日に公民館で老人たちと俳句を作っている。それを想像すると、妙に地味で、少し滑稽に見えるのかもしれない。
けれど私には、その地味さがちょうどよかった。
平日は、生徒の作文に赤を入れ、読解問題の答え方を教え、保護者からの連絡に言葉を選び、職員室では余計な一言を飲み込む。言葉を扱う仕事なのに、仕事で使う言葉はたいてい固く、角が丸められ、誰にも引っかからないように削られている。
その点、俳句はよかった。
たった十七音の中に、余計な説明を入れる余地がない。見たものを見たまま置く。聞こえた音を、音のまま残す。うまくいった句は、自分で書いたはずなのに、自分のものではないような顔をして紙の上に立つ。
四年前、私は地域の俳句会に入った。
きっかけは、勤務先の中学校に通う生徒の保護者からの誘いだった。月に二度、日曜の午後に公民館へ集まり、互選で句を選ぶ。年に二度、近場の神社仏閣や名所へ出かける吟行会もあった。
会員は十人にも満たない。ほとんどが退職した男性で、女性は私を含めて三人だけだった。年齢差のせいか、私は妙に可愛がられた。草の名前、旧仮名の使い方、季語の癖。そういうものを教わる時間は、教師でいる時間よりもずっと息がしやすかった。
その年の五月、連休中のよく晴れた日に吟行会があった。
行き先は、郊外の山あいにある古い神社だった。名前は伏せる。今でも、その名を声に出す気になれない。
主祭神は菊理媛命だと聞いた。縁結びや和解にゆかりのある神様だ、と師範が車内で説明した。運転していたのは、大学で非常勤講師をしていた男性会員で、私たちはその大型バンに乗り合わせて向かった。
「今日の席題は立夏。もう一句は自由題でいきましょう」
師範がそう言うと、後部座席から何人かが「立夏か」「少し早いな」などと呟いた。私は窓の外の新緑を見ながら、句帳の端に「立夏」とだけ書いた。
そのときだった。
後ろの席で、新沼さんが低い声で言った。
「……あそこは、あまり詠まない方がいいかもしれませんね」
新沼さんは七十近い男性で、背筋がまっすぐ伸びていた。かつて商社に勤めていたらしく、言葉の選び方が洗練されていた。句もいつも静かで、どこか乾いている。私は彼の句が好きだった。
「詠まない方がいいって、神社をですか?」
私が振り向いて訊くと、新沼さんは一瞬だけ困ったような顔をした。
「いや、すみません。変な言い方をしました」
それきり、彼は窓の外を見て黙った。
神社に着いたのは午前十一時を少し過ぎた頃だった。
駐車場から石段を上がると、境内の木々は若葉で明るく、風が吹くたびに光が細かく揺れた。山あいの神社にありがちな湿り気はあったが、陰気ではなかった。むしろ、あの日の境内は不自然なほど澄んでいた。
参道の脇には、名のわからない白い花が咲いていた。誰かが「卯の花ではないか」と言い、別の誰かが「いや、違う」と笑った。私も句帳を取り出し、花の形を見ながら言葉を探した。
そのとき、少し離れた場所で新沼さんが立ち止まっているのに気づいた。
彼は小さな祠の前にいた。本殿へ続く参道の脇、苔むした石垣の陰に、ひっそり置かれた祠だった。木の観音扉は閉じていて、前には古い榊が供えられていた。けれど榊の葉は、まだ青いのに、先だけが黒く縮れていた。
新沼さんは祠を見ているのではなかった。
句帳を開き、そこに何かを書こうとしていた。
私は声をかけようとしたが、ちょうど師範が「まずは本殿にお参りしましょう」と言ったので、そのまま列について歩いた。
本殿の前の手水舎で、私たちは順番に手と口を清めた。柄杓から落ちる水が、石の水盤に澄んだ音を立てた。
その音を聞いた瞬間だった。
耳の奥で、何かがひとつ余った。
五音でも七音でもない。句を作るとき、自然に数えてしまう音の感覚が、そこで一拍だけずれた。水の音が、聞こえた通りに数えられなかった。
顔を上げると、新沼さんが本殿の前で膝をついていた。
倒れたのではない。自分からしゃがみ込んだように見えた。彼は句帳を左手で押さえ、右手の鉛筆を紙に当てたまま、じっとしていた。
「新沼さん?」
師範が近づいた。
その直後、新沼さんの肩が小さく震えた。口元から、黒っぽい血が糸のように落ちた。
誰かが悲鳴を上げた。
私は駆け寄ろうとして、足が止まった。新沼さんの目がこちらを向いていた。白目を剥いていたわけではない。意識があるようにも見えた。ただ、私たちの誰も見ていなかった。
彼は、紙の上を見ていた。
「まだ……」
そう聞こえた。
「まだ、足りない」
次の瞬間、山の向こうで雷が鳴った。
空は青かった。雲はほとんどなかった。それなのに、雷鳴だけが境内の底を叩くように響いた。参道脇の祠の扉が、ぱたり、と開いた。
ひとつだけではない。
見える範囲にあった小さな祠の扉が、順に開いた。風はなかった。鳥も鳴いていなかった。開く音だけが、妙にはっきり聞こえた。
師範と数人の男性が新沼さんを支え、社務所へ運んだ。私はその場に残された句帳を見た。
見てはいけない気がした。
けれど、教師という職業のせいか、紙に書かれた文字があると、どうしても目が拾ってしまう。
句帳には、途中までの句が書かれていた。
上五だけだった。
それも、鉛筆で強く書きつけられていて、紙が少し破れていた。

私は読もうとした。
その瞬間、師範が私の手から句帳を奪うように取り上げた。
「見ないでください」
それは命令だった。
私は何も言えなかった。
やがて雨が降り出した。大粒の雨だった。さっきまでの明るさが嘘のように、境内は灰色に沈み、木々の葉から水が激しく落ちた。濡れた苔の匂いに、鉄のような臭いが混じっていた。
社務所から神官が出てきた。師範が句帳を見せると、神官の顔から血の気が引いた。
「どこで」
神官はそれだけ言った。
師範が祠の方を指すと、神官は目を伏せた。
「こちらでは、声にしてはいけないものがあります」
神官の声は、雨音に混じってほとんど聞こえなかった。
「書いてもいけない。数えてもいけない」
数えてもいけない。
その言葉だけが、妙にはっきり耳に残った。
午後の句会は中止になった。新沼さんは救急車で運ばれ、私たちは昼食にもほとんど手をつけないまま、車に戻った。
神社を離れると、雨はすぐに止んだ。窓の外には、行きと同じ初夏の光が戻っていた。車内では誰も話さなかった。私は膝の上で句帳を閉じたまま、指先だけを動かしていた。
五、七、五。
五、七、五。
数えないようにしようとすると、余計に数えてしまう。
その夜、新沼さんが亡くなったと連絡があった。
次の句会は、公民館の和室で行われた。出席者は少なかった。新沼さんの席だけが、いつも通り空けられていた。
師範は句会の前に、短く話した。
「あの神社には、昔から避けられている音があります」
誰も顔を上げなかった。
「言葉というより、音です。意味は関係ないそうです。地名や人名に含まれることもある。何かの拍子に、句の中に入ることもある。あの場所では、それを五音に整えてはいけない」
「新沼さんは、それを知っていたんですか」
私が訊いた。
師範は少し黙ってから、首を横に振った。
「知っていたのか、思い出したのか、呼ばれたのか。そこは分かりません」
「その音は、何なんですか」
誰かが言った。
師範は答えなかった。
代わりに、新沼さんの句帳から破り取ったらしい一枚の紙を見せた。そこには何も書かれていなかった。正確に言うと、書かれていた部分が四角く切り抜かれていた。
「神官に預けました。残してはいけないと言われました」
「見たんですか」
私の声は、自分でも驚くほど低かった。
師範はこちらを見なかった。
「見ました」
それ以上、誰も訊かなかった。
その日から、私は神社を句に詠まなくなった。
鳥居、手水、榊、鈴、石段。そういう言葉を句帳に書こうとすると、指が止まる。別にその言葉が禁じられているわけではない。頭では分かっている。けれど、言葉を置くと、そこから勝手に音が並びはじめる。
五音に収まる。
七音へ伸びる。
下五へ戻る。
その作業そのものが、ひどく危ういものに思えるようになった。
俳句会にも、しばらくは通った。だが、以前のようには楽しめなかった。誰かが句を読み上げるたびに、私は音を数えてしまう。よい句ほど、怖かった。よい句は、こちらが止める前に整ってしまう。
一年ほどして、私は俳句会を辞めた。
表向きの理由は仕事が忙しくなったから、ということにした。実際、学校は忙しかった。授業、採点、進路指導、保護者面談。俳句のことを考えずに済む日も増えた。
それでも、言葉から逃げることはできなかった。
私は国語教師だからだ。
ある年の夏前、中学二年生に俳句を作らせる授業をした。
季語をひとつ選び、身近な景色を十七音で書く。毎年やっている単元だった。生徒たちは面倒くさがりながらも、案外よく書いた。下手な句も多い。説明しすぎる句、ただの日記になっている句、季語を入れただけの句。私はそれらに赤ペンを入れて返していった。
その中に、一枚だけ、妙に静かな句があった。
作者は、普段ほとんど発言しない男子生徒だった。作文も短く、感想文もいつも規定字数ぎりぎりで出す子だ。
句は、きれいだった。
きれいすぎた。
上五が、ひどく引っかかった。
私は赤ペンを持ったまま、しばらく動けなかった。何が悪いのか分からない。意味は普通だった。季語も正しい。字も丁寧だった。ただ、声に出そうとすると、喉の奥が乾いた。
音を数えてはいけない。
あの神官の声が戻ってきた。
私はその句を声に出さず、黙って目で追った。
五、七、五。
きちんと収まっていた。
収まりすぎていた。
私は赤ペンで、上五の横に小さく「別の表現も考えてみよう」と書いた。だが、書いたあとで、自分が何を直させようとしているのか分からなくなった。
次の授業で、その生徒がノートを持ってきた。
「先生、ここ、どう直せばいいですか」
私は答えられなかった。
生徒は私の顔を見て、少し困ったように笑った。
「先生が赤で書いてくれたやつ、読めなくて」
ノートを見ると、私の赤字がにじんでいた。
別の表現も考えてみよう。
そう書いたつもりだった。
けれど、そこには別の五文字が書かれていた。
私はそれを読まなかった。読めなかった、と言う方が正しい。目は文字を拾っているのに、頭が意味にする前に、体が拒んだ。
生徒は首をかしげた。
「これ、何て読むんですか」
私は赤ペンで、その部分を塗りつぶした。
強く、何度も。
紙が破れるまで塗った。
教室は静かだった。誰も騒がなかった。誰も笑わなかった。ただ、生徒たちが一斉にこちらを見ていた。
その中の何人かが、唇だけを動かしていた。
音を数えている顔だった。
その日から、私は俳句の授業を他の教材に差し替えた。理由は適当に作った。管理職にも何も言われなかった。
けれど、たまに廊下で聞こえる。
生徒たちが、ふざけて五七五を作っている声が。
「先生、聞いてくださいよ」
そう言われるたび、私は笑って通り過ぎる。
今も私は、その音を知らない。
知らないままでいることが、安全なのかどうかも分からない。
ただ、文章を書いているとき、ふとした拍子に指が止まることがある。言葉と言葉の間に、妙な空白ができる。そこへ何かが入りたがっている。
今、ここまで書いた文章の中にも、何度かそれに近い並びがあった。
気づくたびに削った。
削ったつもりでいる。
けれど、自分ではもう分からない。
声に出して読まない方がいい。
特に、五つに区切れるところは。
[出典:2012/02/02(木) 22:59:36.84 ID:LmP+DcSK0]