『呪われた人形』がある。
大きさは野球ボールほど。茶色く、怪獣ともぬりかべともつかない、どこかの放送局のマスコットに似た布製の人形だ。
前の持ち主は、俺がバイトしているバーの常連だった。
この店は、客が妙な話や妙な物を持ち込むことで知られている。ママが怪談好きで、否定も説明もしない。ただ聞いて、受け取って、棚に置く。それだけだ。だから人形も、数年前から店にあったらしい。
常連は言った。
「これ、呪われてる」
理由は単純だった。
この人形は、とにかく動物に狙われる。噛まれる。攫われる。飲み込まれる。
もともとは拾い物だという。
孫と散歩中、道端の巨大なクモの巣に引っかかっているのを見つけた。母親は嫌がったが、孫が泣いて欲しがったので連れ帰った。洗濯機で洗われ、干され、孫の宝物になった。
その頃から、妙なことが続いた。
干している最中にカラスが何度も寄ってくる。近所の犬に奪われては埋められる。鳥に攫われかけ、猫に咥えられ、友達に盗まれる。
極めつけは、青大将だった。
人形が行方不明になり、数日後、家の裏で腹の異様に膨れた蛇が死んでいた。嫌な予感がして腹を裂くと、中から出てきたのは人形だった。
野生の蛇は、動かない物は基本的に食わない。
さすがに気味が悪くなり、捨てようとした。だが、思い出したのがこの店だった。
「ここなら、置いてもらえるかもしれない」
そうして人形は、バーの住人になった。
「だからね、呪われてるのよ」
ママはそう言って、人形を両手で包んだ。
その日はマスターの代わりに俺が店を開けていた。客はいない。こういう時間は、決まってママのオカルト話になる。
「でもね。戻ってくる呪いじゃないの。捨てたら捨てっぱなし。破れたら破れっぱなし」
実際、彼女は一度捨てている。
ゴミネットを被せ、縛り、収集日まで待った。だが回収前に見に行くと、大きな鳥が人形をつついていた。近づくと逃げたが、人形は腹を裂かれ、綿が飛び出していた。
「かわいそうでしょ」
彼女は家に持ち帰り、縫い直したという。
今では傷跡はほとんど見えない。
「最初はツギハギだったんだけどね。馴染んできたみたいで」
さらっと、妙なことを言う。
「昔はカウンターに置いてたの。でも酔っぱらいに何度も食べられかけてね。それでテレビ棚に移したの」
人形が、こちらを向いた気がした。
「金庫に入れれば安全なんでしょうけど。それも可哀想じゃない」
その瞬間、人形が両手を振り上げた。
『サンセイ、サンセイ』
ママの腹話術に似た声だった。
「外の景色、見たいわよね」
『ミタイ』
彼女は、迷いなく人形を俺に差し出した。
「大事にしてね」
『ヨロシクネ』
冗談だと思った。
だが、受け取った人形は妙に暖かかった。
「……本音は?」
「最近ね。この子、ハエとか蟻がたかるの」
彼女は笑ったが、冗談だとは言わなかった。
それで人形は、俺のものになった。
今はカブのキーホルダーだ。
ママが尻にチェーンを縫い付けたせいで、ぶら下げると逆さまになる。万歳の姿勢で、常に下を向いている。
「頭に血が上りませんかね」
「頭に針通すのも、どうかと思ってね」
それ以来、出かけるときは必ず一緒だ。
特に何も起きない。ハエも蟻も寄ってこない。
ただ、一度だけ。
鍵ごと犬に奪われた。
別の日には、酔っぱらいに「熱々のハンバーグに見えた」と齧られかけた。
それだけだ。
ある夜、帰宅して鍵を外そうとしたとき、気づいた。
人形の口元が、少しだけ湿っている。
赤い糸で縫われた口の内側に、何か黒いものが詰まっている。
引き抜くと、硬く乾いた欠片だった。
見覚えがある。
俺のカブのキーの、歯の先端。
いつ落としたのか、思い出せない。
鍵は、なぜかちゃんとポケットにあった。
人形は、逆さまのまま揺れている。
万歳の姿勢で、口を閉じて。
『ヨロシクネ』
あの声が、頭の中でだけ、もう一度聞こえた。
[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「かれき ◆UtLfeSKo」 2018/06/28]