年長さんの頃の話だ。
その日は婆ちゃんの家に泊まっていて、夜中にひどく怖い夢を見た。内容はもう覚えていない。ただ、目を開けた瞬間に胸の奥がぎゅっと縮んで、このまま一人でいたら何かが起きると確信するような、子供特有の理由のない恐怖だけが残っていた。
客間は真っ暗だった。障子の向こうも、廊下も、何も見えない。婆ちゃんの寝ている居間に行けば安心できると分かっていたが、廊下の暗さが怖くて足がすくんだ。だからわざと、音を立てた。幽霊に見つからないようにするというより、自分がここにいると知らせるために、ばたばたと大きな足音を鳴らして走った。
居間は明るかった。襖を開けると、裸電球の下で婆ちゃんが大きなストーブを拭いていた。ヤカンが置ける、冬になるといつも使っているやつだ。夜中なのに、火は入っていないのに、婆ちゃんは何事もない顔で布巾を動かしていた。
「どないした?」
きょとんとした顔でそう言われた瞬間、張り詰めていたものが一気にほどけた。情けなくなって、べそをかきながら夢の話をしようとした。その夢でな、と言いかけたところで、婆ちゃんの手が止まった。
「夢の話は、そのまましたらあかん」
いつもの調子より低い声だった。
「口に出したら外に出てきよる。怖い夢なら尚更や」
そう言って、くどくどと説教を始めた。夢は人の内側にあるもので、言葉にした瞬間に居場所を失うとか、名前を呼ばれたら振り向くのと同じや、とか、子供にはよく分からない理屈を重ねられた。ただ一つはっきり覚えているのは、婆ちゃんが最後にこう言ったことだ。
「口に出す前に、ゆめゆめそらゆめ言うとき」
言われた通り、「ゆめゆめそらゆめ」と唱えた。すると、不思議なほどきれいに、さっきまで胸を締め付けていた夢の内容が消えた。どんな怖いものを見たのか、思い出そうとしても何も浮かばない。
嘘ついたと思われるのが怖くて、本当に見たんだと必死に訴えた。婆ちゃんは何も言わず、私を抱き締めて、背中をとんとんと叩いてくれた。年長にもなって甘えるのは恥ずかしい、そんなことを考える余裕が戻ってきたのを覚えている。婆ちゃんの手は昔から魔法みたいで、気が付いたらそのまま眠ってしまった。
次に目を覚ました時、私は客間の布団にいた。朝日が障子を白く染めていて、夜中の明るい居間が夢だったみたいに思えた。
朝ご飯の時、婆ちゃんに叱られた。
「寝入り端にバタバタ走ってからに」
心臓が跳ねた。怖い夢を見たから婆ちゃんのところに行こうとした、と説明すると、婆ちゃんは箸を動かしたまま笑った。
「深う息して、頭から布団被るやろ。ほんで十数えたら寝て忘れるわ」
それで終わりだった。夜中に抱き締めてくれたことも、夢の話をするなと言ったことも、まるで覚えていない様子だった。
不思議に思いながらも、これが普段の婆ちゃんだ、と妙に納得してしまった。夜中の優しい婆ちゃんは、私が怖い夢を見たから作り出した都合のいい記憶なのかもしれない。そう考えると辻褄は合った。
ただ、その日から何度か、婆ちゃんの家で同じ夢を見た。内容はやはり思い出せない。でも目を覚ますたび、耳の奥に残る言葉があった。
夢の話は、そのまましたらあかん。
誰の声だったのかは分からない。朝になって聞いても、婆ちゃんはいつもと同じように笑って、そんなこと言うた覚えはないと言った。
今でも、怖い夢から覚めた時、無意識に口の中で唱えてしまう。
ゆめゆめそらゆめ。
それを言うたびに、忘れてはいけない何かまで、一緒に消えていく気がしてならない。
[出典:64 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/06/09(火) 14:34:53.19 ID:NgmldWB30.net]