五年前の夏、中島が死んだ。
学校では、精神を病んで自分で首を吊ったことになっていた。
そういうことにされた、と私は今でも思っている。
あの日、中島はたしかに死んだ。
なのに、そのあともしばらく、私たちは中島と顔を合わせていた。
中学二年の終わりだった。
私たちのいる町では、進学も就職も、だいたい家で決まる。
何を継ぐか、どこに残るか、それだけが先にあって、学校は昼間の置き場みたいなものだった。
中島も私も、菊池も、ただ退屈していた。
空き家の話を持ち出したのは中島だった。
山の手前にある古い屋敷で、前の持ち主が首を吊ってから誰も住んでいないという。
肝試しにもならない近場の噂だったが、その日は他にやることがなかった。
屋敷の中は妙に静かだった。
古い家特有の軋みもなくて、歩いているのに、自分たちの足音だけが遠かった。
埃っぽい匂いの中に、濡れた髪みたいな臭いが混じっていたのを覚えている。
二階の奥に、小さな部屋があった。
書斎なのか物置なのか分からない、窓の高い部屋だった。
机が一つだけあって、その上に写真が置かれていた。
家族写真らしかったが、顔の部分だけが黒く塗りつぶされていた。
中島がそれを裏返した。
乾いた音がして、写真の下から紙切れが落ちた。
紙ではないとすぐ分かった。
細く切った髪の束だった。
何本もまとめて糸で縛ってある。
そのとき、すぐ後ろで、誰かが喉を鳴らした。
咳でも声でもない。
痰が絡んだみたいな、浅い、湿った音だった。
私は振り向かなかった。
振り向いたら駄目だと、そのときだけははっきり分かった。
理由はない。ただ、そうしないとまずいと思った。
菊池が小さく「あれ」と言った。
中島が返事をしなかった。
もう一度、喉の音がした。
今度は少し近かった。
私はたまらず入口のほうを見た。
中島が立っていた。
さっきまで机の前にいたはずなのに、いつの間にか部屋の出口にいた。
暗くて顔はよく見えなかった。
ただ、目だけが分からなかった。
見えていないのではなく、そこだけ最初から無かったみたいに、つるりとしていた。
菊池が叫んだ。
それで全部が崩れた。
逃げた記憶がほとんどない。
気づいたら外の道まで転がるように走っていて、菊池がしゃがみ込んで吐いていた。
踵から血が出ていた。
靴下が破れていて、丸く歯形みたいな跡が付いていた。
中島はそのあと家に帰された。
少し様子がおかしいだけだと、大人はそう言った。
次の日から学校には来なかった。
三日後、菊池が死んだ。
夜中に急に苦しみ出して、そのままだったらしい。
詳しいことは聞かされなかったが、葬式で見た菊池の足首には包帯が巻かれていた。
それから中島の家の前を通ると、二階の窓に人影が見えるようになった。
昼でも夜でも、同じ場所に立っている。
背格好は中島なのに、顔だけが暗くて見えない。
私は一度だけ、近くまで行った。
確かめたかったわけではない。
見てはいけないものを見たまま、何も知らない顔で学校に通うのが気持ち悪くなっただけだ。
門の前に立ったとき、二階の窓が少し開いた。
そこから、あの音がした。
喉の奥で、ひゅう、と鳴る。
苦しそうなのに、呼吸ではない。
誰かの真似をして、うまく出来ていないみたいな音だった。
逃げた。
その日の夜から、私も夢に中島を見るようになった。
夢の中の中島は、いつも同じことをしている。
暗い部屋で、机に向かって自分の髪を切っている。
切った髪を揃えて、何かの形に並べている。
顔は見えない。
見えないまま、喉だけ鳴る。
しばらくして、中島も死んだ。
首を吊ったと聞かされた。
最初の話と同じだった。
まるで、最初からそこに戻すみたいに。
そのあと私は町を出た。
進学でも就職でもなく、ただ離れたかった。
何年も帰らなかった。
先月、祖父の初盆で久しぶりに戻った。
駅前の売店で、昔付き合っていた子に会った。
顔を見るなり、あの家のことを覚えているかと聞かれた。
その瞬間、喉が鳴った。
自分の喉の奥からだった。
乾いた、浅い、あの音だった。
その夜、熱が出た。
ほとんど眠れず、何度も目を覚ました。
朝方、枕元の棚に置かれた祖父の位牌に、一本だけ細い髪の毛が張りついているのを見つけた。
黒くて、短かった。
私の髪ではなかった。
そこでやっと分かった。
忘れたから終わる話ではない。
あれは、覚えている人間の数で形を保っている。
一人減るたびに、残った誰かの近くへ寄る。
だから書く。
中島が死んだあとも、中島はしばらく帰ってきていた。
それを知っているのは、もう私しかいないかもしれない。
もしここまで読んで、喉の奥に引っかかるような息苦しさを覚えたなら。
水を飲んでも治まらない、細い音が混じるなら。
たぶん、次はあなたの番だ。
(了)