村の外れ、山へ続く細い道の途中に、その木は立っている。
杉でも楠でもない。名を与えようとした者がいなかったのか、あるいは与えられなかったのか。幹は異様に太く、根は地表を押し割るように広がり、雨の後には土が持ち上げられたまま乾いてひび割れる。子どもがよじ登ろうとすれば、必ず誰かが止めた。折ってはいけない。触れてはいけない。理由は教えない。ただ、そう決まっている。
例外は一つだけだった。
悩みを抱えた者だけは、その木に近づいてよい。
それは村に住む者なら誰でも知っている習わしだったが、誰が決めたのか、いつからそうなのかを説明できる者はいなかった。古い記録にも、はっきりした由来は残っていない。ただ、木は「耳を貸す木」と呼ばれていた。
誰にも言えないことがあるとき、人は夜明け前に木のもとへ行く。村がまだ目を覚ましていない時間でなければならない。鳥の声が混じる頃合いは避けられ、完全な暗闇が少しだけ緩む瞬間を選ぶ。日中に近づくことは、強く禁じられていた。
木の前に立ったら、両手を背中に回す。幹に触れていいのは耳だけだ。額でも頬でもない。耳を幹に押し当て、目を閉じ、三つ数える。その間、声を出してはいけない。話しかけてもいけない。願い事を思い浮かべるのも、よくないと言われている。
ただ、聞くだけだ。
耳を当てると、確かに音がある。風が枝を揺らす音。樹液が内側を移動する微かな気配。地面の下で根がきしむような、遠い振動。それらが重なり合い、何かが応じているように感じられる瞬間がある。だが、それが何かだと考えようとした途端、数は終わる。
三つ数え終えたら、すぐに立ち去る。振り返ってはいけない。木のもとで泣くことも禁じられている。涙を落とすと、木が重くなると言われていた。何がどう重くなるのか、誰も説明しなかった。
村人はよくこう言った。
木は答えをくれない。だが、重さを分けてくれる。
この言葉は慰めとして使われることもあったが、励ましの調子ではなかった。事実を述べるような、少し距離を置いた言い方だった。
習わしには、もう一つの決まりがある。
木に耳を貸してもらった者は、その日のうちに誰かに食事を奢らなければならない。金額に決まりはない。店でも家でも構わない。ただし、一人で食べてはいけない。必ず誰かを伴うこと。
誰に奢ったかを、村の者はあまり覚えていない。ただ、奢らなかった者の話は、はっきりと覚えている。
昔、村にいた男がいた。よく怒る男で、理由はいつも些細だった。ある朝、その男が木のところへ行ったのを見た者がいる。夜明け前だったという。男はその日、誰にも食事を奢らなかった。夕方、家で一人、飯を食っていたらしい。
翌日から、男は怒らなくなった。
正確には、怒る理由を口にしなくなった。何に腹を立てていたのかを思い出せないようだった。顔つきは穏やかになり、争いごとからも距離を取るようになった。それを良い変化だと受け取る者もいたが、男自身は戸惑っているように見えた。
しばらくして、その男は村を出た。
理由を聞かれたとき、男は少し考えてからこう言った。
何を悩んでいたのか分からなくなった。それが不安だ、と。
村では、それ以上この話を広げなかった。誰かが木のことを話題に出しかけると、別の者がさりげなく話を変えた。
近年、木の根元の地面が、以前より低くなっていることに気づいた者がいる。根が露出しているわけではない。ただ、同じ高さのはずの石が、昔より沈んで見える。気のせいだと言う者もいる。雨のせいだという者もいる。
だが、木の近くで泣いた者の話は、必ず途中で止まる。
村では、誰かが強い怒りや悲しみを抱えているとき、静かにこう言う。
木のところへ行ったか。
それは勧めの言葉のようでいて、確認にも聞こえる。行っていないと答えると、誰かが必ず頷く。行ったと答えると、それ以上は聞かれない。
木は村の所有物ではない。名札も立て札もない。誰も枝を切らず、祀りもしない。ただ立っているだけだ。それでも、人は耳を当てる。
耳を当てるという行為が、何かを自分の中へ入れる動作であることを、誰も口にしない。木が何を聞いているのか、木が何を返しているのか、そのどちらについても説明はない。
ただ一つ確かなのは、木に行った者は、必ず誰かと食事をするということだ。そしてその席で、何を話したのかを、後になってはっきり思い出せない者が多い。
耳を貸す木は、答えを与える存在ではない。
答えを急がせない存在でもない。
考えることそのものを、どこかへ預けてしまう場所だと、最近ではそう感じる者もいる。しかし、それを確かめに行く者はいない。悩みがない状態で木に触れることは、今も禁じられている。
木は今日も立っている。
重さを受け取り続けているのか、それとも、すでに満ちているのかは分からない。
(了)