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二十三分間の祈り rw+2,896-0209

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……あの日の教室の匂いを、いまでも思い出せる。

窓から吹き込む八月の朝の空気は生温く、どこか鉄の匂いが混じっていた。鉛筆と汗、それから――血のような。実際に血があったわけじゃない。けれど、あれはもう教室じゃなかった。ぼくたちの「居場所」は、ほんの二十三分で、別のものに変わってしまった。

最初に泣いていたのは、見慣れた先生だった。三学期の途中から担任になった、地味でやさしい女の先生。ぼくらの名前を、ちゃんと呼んでくれていた人だ。しゃくり上げるように泣き、机を叩きながら、「この子たちに罪はないんです」と繰り返していた。白目を剥いていたのが、なぜか強く印象に残っている。人が本気で泣くと、顔はああなるんだと思った。

時報が鳴った。ぴしりと、空気が縫い直されたみたいだった。音に合わせて扉が開く。

入ってきたのは、別の女だった。制服のような服。どこにでもありそうで、どこにも属していない色。足音を立てずに教壇の前へ出ると、最初の先生の肩に手を置いた。そのまま、何も言わせず、教室の外へ連れていった。

ぼくたちは、ただ見ていた。

「みなさん、おはようございます」

その人は、初日の先生みたいに微笑んだ。ぼくの名前を呼んだ。隣の子、前の席の子。運動が得意なこと、好きな給食、飼っているペット。知らないはずのことを、当たり前みたいに言った。三日で覚えたらしい。ぼくらは、怖いというより、どう反応していいかわからなかった。

「ここに書かれている言葉、意味を知ってる人はいる?」

黒板の上の額を指さす。そこには、大きな文字が三つ並んでいた。

――平等、自由、平和。

誰も手を挙げなかった。わからなかったわけじゃない。だからこそ、黙っていたのかもしれない。それが、もう「使われていない言葉」だと、子どもなりに感じていた。

「その服……変わってる」

後ろの席の女の子が言った。悪意はなかった。

「そう?でも、気に入ってくれて嬉しいわ。じゃあ明日から、みんなでこれを着ましょう。同じ服なら、朝、迷わなくて済むもの。これが平等よ」

教室が静まり返る。

「それ、平等じゃない」

声が出たのは、ぼくだった。

「ただ言われた通りにするだけだ」

教師は、怒らなかった。むしろ、少し嬉しそうに頷いた。

「そうね。好きな服を選ぶのも自由。あなたの言う通り。でもね……自由には、責任が伴うの」

二日前、父さんは学校に呼ばれた。母さんは「少し話を聞いてくるだけ」と言った。ぼくは、その言い方が嫌だった。話を聞くだけで、連絡が途切れることがあるのを、知っていた。

「先生、これ……」

机の奥から、切り抜きを出した。誰にも見せないつもりだったものだ。大人の世界で、決まりが静かに変わり始めていること。理由も説明もないまま、前と同じ顔で、前と違うことが始まっていること。

「決まりって、勝手に変えていいの?」

教師は一瞬だけ考える素振りを見せた。

「間違っているなら、変えなきゃいけないわ。ねえ、間違ってるって、誰が決めるの?」

答えは、用意されていなかった。ただ、胸の奥が冷えた。

教師は笑って言った。

「明日から、お泊まりよ」

ご飯がおいしくて、部屋がきれいで、みんな一緒だと。子どもたちは歓声を上げた。ぼく以外は。

「食べたいもの、ある?」

カレー、オムライス、プリン。声が弾む。

「じゃあ、目を閉じてお祈りしましょう。お願いすれば、もらえるかもしれないわ」

くすくす笑いながら、目を閉じる子どもたち。ぼくは、ほんの少しだけ、まぶたを開けていた。

教師が、机の間を歩いていた。一人ひとりの前に、何かを置いていく。

「目を開けて」

机の上には、本当にお菓子があった。歓声と拍手。

「先生が置いたんだ」

ぼくの声は、小さかった。

「そうよ。でもね、私は指示された通りに動いただけ。だからこれは、上から与えられたものなの」

拍手は、さらに大きくなった。

気づくと、みんながぼくを見ていた。褒めていた。賢い、よく考えてる、立派だと。

「クラス委員、お願いしようかしら」

断る理由が、見つからなかった。

「じゃあ最初の仕事よ。あの額、外して」

「でも……」

誰かが言いかけた。

「本当に大切なのは、形じゃないでしょう。言葉は、心の中にあればいいの」

ぼくは額を外し、窓から投げた。下で、木が砕ける音がした。歓声。拍手。

手のひらに、ささくれができていた。赤くにじんでいた。

時計を見る。二十三分、過ぎていた。

教師は、新しい教科書と服を取り出した。

「古いものを捨てた人から、取りに来て」

一番に立ち上がったのは、ぼくだった。

……それから十年。

いま、ぼくは教室に立っている。配られる服も、教科書も、もう誰も不思議に思わない。最初は目を伏せる子もいる。でも大丈夫。二十三分あれば、顔は上がる。

みんな、祈るのが好きだ。
目を閉じて、差し出されたものに感謝する。
誰が置いたのか、なぜそこにあるのか、考えなくなる。

この国では、二十三分のあいだに、居場所が整う。
祈りは便利だ。
未来を、静かに揃えてくれる。

[出典:514 :1:2009/06/15(月) 02:32:02.65 ID:fkjTQUvs0]

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