十年前、従弟が事故で死んだ。
夜の街道でカーブを曲がり損ね、ガードレールを越えて落ちたという。即死だったと聞いた。都会で働き、本家とは距離を置いていた男だった。
葬式の夜、本家の叔父が言った。
「お前が継ぐことになる」
その家では、代々、末子が家を継ぐ。長男でもなく、次男でもない。必ず末の男児だ。理由は誰も口にしない。ただ、そうしなければならないとだけ伝えられてきた。
本家の屋敷は山沿いにある。玄関脇に、かつて座敷牢と呼ばれた部屋がある。今は物置同然だが、そこだけ空気が湿っている。葬儀の合間、叔父はその襖に一度だけ視線をやった。
「うちはな、末子でなければいけない理由がある」
話は江戸の末期にさかのぼった。
西塔家の当主に嫁いできた女がいた。春という娘を産み、その後、山で遭難した西洋人と関わった。女は戻ってきた夜、「天狗に、はらまされた」と言い残したという。
やがて男児が生まれ、女は死んだ。子はユキハルと名付けられた。
白い肌に茶の髪、青い目。村では見たことのない顔立ちだった。父はその存在を外に出さず、座敷牢に閉じ込めた。世話をしたのは姉の春だけだった。
成長するにつれ、父はユキハルを客に差し出した。金のためではない。苦しめるために。
春は止めようとしたが、やがて他家に嫁がされることが決まった。春が嫁入りを告げた夜、ユキハルは姉を連れ出し、山へ逃げた。
湖のほとりで、二人は戻らなかった。
翌朝、村人が遺体を見つけた。父は姉の着物の乱れを見て狂い、ユキハルの死体を切り裂き、骨を祠の前に投げ捨てたという。
それからだ。
屋敷のあちこちに春が立つようになった。座敷牢の中、蔵の前、井戸の脇。いつも、何かを洗うように手を動かしていたと伝わる。
父はやがて蔵の前で喉を掻き切って死んだ。血の跡は何度削っても薄く残った。
それ以来、末子が継ぐ。理由を問う者はいない。問う前に、何かが起きるからだ。
従弟が死んだあと、長男が継ぐという話が出た。俺の弟はその直後、交通事故で半身不随になった。風呂場で溺れかけたとき、水面に映った影が自分のものではなかったと弟は言った。
結局、俺が本家に入り、簡単な祀り直しをすることになった。形式だけの儀式だと叔父は言った。
その夜、屋敷に泊まった。
真夜中、井戸のほうから水音がした。覗くと、少女がひとり、古い桶に茶碗を浸していた。緑がかった着物。目尻と頬に小さなほくろ。
振り返った顔は、絵のように整っていた。
声をかける前に、少女は深く頭を下げた。謝るようにも、迎えるようにも見えた。
そして、いなくなった。
井戸の水面には、月が揺れているだけだった。
翌朝、祠の前の土を少し掘り返した。骨らしきものは見つからなかった。ただ、土は妙に白かった。俺はそれを春の墓の隣に移した。
それから春を見た者はいない。少なくとも、口にする者は。
だが、井戸のそばに立つと、ときどき水音がする。桶が触れ合う、かすかな音だ。
末子が継ぐ家は、まだ続いている。俺には息子がいる。長男だ。次は、次男が生まれなければならないと言われている。
祠の前の土は、雨のあとに少しずつ減る。
誰が掘っているのかは、確かめていない。
従弟は何も知らなかった。弟は今も歩けない。
俺は継いでいる。
井戸の水は、昔よりも深い。
[出典:568 :本当にあった怖い名無し:2013/01/30(水) 04:28:00.10 ID:NtJ16ww9O]