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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

写らない背後 nc+

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京都のそのアパートに住んだのは、学生の頃のわずかな期間だった。

家賃を切り詰めながらも、どうしても風呂とトイレが部屋についている物件に住みたかった。理由は単純で、友人から「共同は色々と面倒やぞ」と脅されたからだ。背伸びした選択だったが、当時の自分にはそれが必要に思えた。

入居初日、段ボールも半分ほどしか開けていない夜に、風呂を使った。狭いユニットバスで、湯気がすぐに天井へ溜まり、鏡はすぐ曇る。髪を洗っている最中、泡を流そうとして顔を上げたとき、鏡の向こうに違和感があった。

自分の顔のすぐ後ろに、誰かがいる。

女だった。中腰の姿勢で、こちらを覗き込むようにして、鏡越しに目が合っていた。叫ぼうとしたが声が出ない。振り向こうとしても体が言うことを聞かない。湯の音だけが耳に残っている。反射的に、後ろへ手を伸ばした。指先が、確かに布の感触に触れた。濡れてもいない、普通の服だった。

女は何も言わず、立ち上がった。鏡の中で背丈が伸び、次の瞬間、風呂場のドアが内側から静かに開いた。そのまま、出ていった。

しばらくして動けるようになり、震える手でドアを開けた。玄関の鍵は掛かったままだった。窓も閉まっている。部屋は一人暮らし用で、隠れられる場所などない。気のせいだと自分に言い聞かせた。初日で神経が過敏になっているのだと。

だが翌日、同じことが起きた。入浴前に、念入りに施錠を確認した。ドアも窓も、すべてだ。それでも鏡には、同じ位置に、同じように、誰かがいた。視線が合い、しばらく見つめ合ったあと、またドアを開けて出ていった。体は動かなかった。時間の感覚だけが引き延ばされる。

風呂から飛び出し、鍵を確かめた。何も変わっていない。そこで初めて、部屋そのものに違和感を覚えた。急いで管理をしている家に電話をかけた。落ち着いた声で対応され、特に異変は聞いたことがないと言われた。詳しい話はそれ以上しなかった。

気味が悪くなり、部屋を出る決心をした。荷物の多くはまだ段ボールの中だったが、それをそのまま詰め直す形で準備を進めた。風呂は使わなかった。あの鏡を見るのが嫌だった。

引っ越し前日、最後の確認のつもりで押入を開けた。下段に、背の低い箪笥があるのに、そのとき初めて気づいた。箪笥と天井の隙間に、何かが挟まっている。引きずり出すと、写真屋の袋だった。

中には写真が何十枚か入っていた。すべて同じ構図だった。風呂場の鏡。中央にカメラを構える男の姿。どれも似たような写真だが、何枚か目を追ううち、違いがあることに気づいた。枚数が進むにつれて、鏡の中の奥行きが微妙に変わっている。ある写真では、背後の壁が、少しだけ暗い。別の写真では、光の入り方が違う。

そして数枚、ドアの位置がおかしいものがあった。閉まっているはずのドアが、わずかに開いているように見える。だが、はっきりとは分からない。そう見えるだけかもしれない。人影は写っていない。どの写真にも、男以外は誰もいない。

袋の底に、折り畳まれた紙が一枚入っていた。何かの札のようだったが、意味は分からなかった。

写真を元に戻したとき、急に息苦しくなった。撮っていたのは何だったのか。写るはずのない何かを、ずっと待っていたのではないか。風呂場で、自分が見たものは、本当に自分だけが見たものだったのか。考え始めた瞬間、部屋の空気が変わった気がして、袋を押入に戻し、鍵も掛けずに外へ出た。

それ以来、風呂場の鏡を見るとき、どうしても確認してしまう。背後に誰もいないことを。
そして、写っていないはずだと分かっていながら、ふと、撮られている側になっていないかを考えてしまう。

[出典:死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?/272 :LEGO:03/09/18 18:00]

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