中編 未解決事件

【未解決事件】青ゲットの殺人事件【ゆっくり朗読】

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かなり古い事件だけど

36: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/10/12(土) 02:57:10.41 ID:R99SveKW0

赤い外套だかちゃんちゃんこだかを来た男が、家族を一人ずつ急用を装っておびき寄せて殺した事件もあったよな。

子どもだけが預けられた近所の住人の機転で助かったってやつ。

赤毛布の男事件

昭和10年代、福井のある村で、ある小売商の家に夜半10時頃、訪問者があった。本家からの使いです、といって表戸を叩くので、細君が起きて出てみると、赤毛布を頭からすっぽりかぶって、本家の提灯を持った男が軒先に立っている。本家で急病人が出たから、呼んできてくれと頼まれたというのだ。
急いで亭主はその男とともに家を出ていった。
本家からその家までは8キロほどある。亭主を送りだしてやった妻は心配しながらも、子供たちを再度寝かしつけて、自分もうとうととした。しかし2、3時間後、また戸を叩く音がした。
出ていくとまた赤毛布の男である。彼は「病人はとても朝までもたなそうだから、女房も呼んでくれと言われ、迎えに来た」と言った。細君はすわ大変とばかりに、子供と親しい近隣の家にあずけて男とまた一緒に出ていった。
すると1,2時間たって、今度は子供を頼んだ隣家の戸を叩く者がいる。また赤毛布の男で、顔は見えない。
「両親が、子供も連れてきてくれというので迎えに来た」
と男は言った。しかしその家の細君は、こんな夜中に子供に風邪をひかせては大変だし、もうぐっすり眠っているから明日にしておくれ、と言った。男は再度頼んだが、彼女は頑として応じなかったので、赤毛布の男は不承不承、帰っていった。
ところが数日後、この小売商の夫婦は惨殺されて河に投げこまれているのが発見されたのである。
犯人があの赤毛布であることは明らかである。
が、物取りにしてはひとりひとり誘い出すなど、念が入りすぎている。また子供まで誘い出して殺そうとしたことなどから考えるに、怨恨としても相当根の深いものだ。
本家の提灯を持っていた、ということからしてすぐに犯人は割れるものと思われたが、結局何ヶ月たっても犯人の見当はつかず、迷宮入りになってしまった。

72: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/14(日) 22:44:07.16 ID::3Q+4S1yJ0.net

青ゲット殺人事件

事件自体が無くて、都市伝説(というか、ただのお話)だっただけじゃないの?
ソースとして貼られている昔の記事は事件を報告した新聞記事に全然見えないから。

ソースとされる北國新聞明治39年2月14日の記事だけど、新聞記事じゃなく週刊誌みたいな感じがする。

そしてそれ以外のソースも無いとなれば、きちんとしたソースがでるまでは信憑性を疑ったほうがいいと思うよ?

いくつか詳しい当時の記事が出てきてから、もう一度それを読んで考えてみればいいじゃん?

66: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/14(日) 22:35:40.12 ID::K1hp59Jr0.net
なんか、本家の人に呼ばれているって使いが何回も来て。ついていった人が殺されてたのってなんだっけ。教えて下さい詳しい人。

74: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/14(日) 22:45:33.23 ID::2Sx31z2s0.net
>>66

これかも?

時は明治39年(1906年)の2月11日、吹雪の夜に事件は起きた。
夜9時ごろ、福井県三国町(当時)の船問屋「橋本利助商店」を見知らぬ男が訪れた。
ほおかむりをして、さらに上から青毛布をかぶっていて、顔が見えないようにしていたという。
男は店の番頭の加賀村吉を呼び出した。
村吉の本家からの使いで、村吉の親戚のおばあさんが倒れたので村吉を迎えにきたという。村吉は男と連れ立って店を出た。
その後、村吉の自宅に青い布の男が現れた。
男は村吉に告げた内容を口にして、村吉の母・キクを連れ出した。
その1時間後にまた村吉の自宅に現れ、今度は村吉の妻・ツオを同様に連れ出した。
さらにしばらくして、村吉の2歳の次女まで連れ出そうとした。
この時、村吉の自宅にはツオに次女の子守りを頼まれていた隣の家の女性がおり、夜が遅いこと、外は吹雪であること、なにより不審に思った女性は次女を渡さなかったという。
一夜あけた2月12日の早朝。
あたり一面に雪が降りつもっていた。
三国町と新保町にかかる橋の中央の雪が真っ赤に染まっていた。
付近の川からツオとキクの遺体が発見されたが、村吉の遺体は発見されなかったことから、最初は村吉の犯行が疑われた。
だが、残された血痕もが多量であったため、殺害されたものと断定したが、村吉の行方はわからずじまいだった。
奇妙な点は犯人が3度も村吉の自宅を訪れていることだ。
2歳の幼い次女までも連れ出そうとしたことから、村吉の家族全員を殺害しようとしていたことがうかがえる。
金品は一切奪っていない。
村吉一家に強い恨みを抱いていた者の犯行であると考えられたが、捜査は進展しないまま、大正10年(1921年)に時効を迎えた。
この事件を題材にして松本清張が「家紋」という小説を書いている。

76: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/14(日) 22:47:46.60 ID::K1hp59Jr0.net
>>74
それですそれです、ありがとうございます

161: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/15(月) 00:57:39.92 ID::1OF370Wa0.net
>>74
なぜわざわざ一人づつ連れ出して殺害したのだろうか?
村吉の家に押し入って家の中で皆殺しにしなかったのだろうか?
どちらにしても不気味で恐ろしい事件だな。

82: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/14(日) 22:50:24.92 ID::BHkJKfrN0.net
>>66
これが青ゲットじゃないのか?

96: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/14(日) 23:01:48.54 ID::2Sx31z2s0.net
>>82
なんか、赤毛布事件とも言われてるみたいだけど実際は青毛布だったみたいね。

そんで関連性はわからんが数年後近所で大捕り物があったみたい。

福井県坂井郡三国町(現坂井市)大字大門 旅人宿兼魚商、四郎兵衛長男 由太郎(26)なる精神病者は
25日朝7時、父と口論の末、これを斬倒し素裸となりて大鉞(オノ)をふるい廻り、人さえ見れば斬付け
約30分の間に24人を斬り、いよいよ阿修羅の勢いにて荒れ廻るより、町家いづれも戸を締むるに至りし。
同8時40分、20名の警官包囲してようやく取り押さえたり。
読売新聞 1910年7月27日朝刊 (明治43年)

こっちの事件は商店と村吉家の中間地点だとさ。

青ゲット事件は北國新聞で報じられてて(2月14日付)明治39年で確定っぽい。

98: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/14(日) 23:05:38.67 ID::BHkJKfrN0.net
>>96
なんか昔の新聞の語り口って怖く感じるな。
表現力が豊かなんかな、背筋がゾクッとする。

131: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/15(月) 00:13:06.06 ID::NOLACbgT0.net
>>96
青ゲットのソースは北國新聞のそれだけでしょ?
全国紙の朝日も読売も明治初期に開始だから、
一晩に3人も殺害されるような事件なら取り上げられてるはず。
実際に明治43年の福井の事件は読売に書かれてる。
ならば元になる事件はあったかもしれないど伝言ゲームで歪曲されているか、もしくは元事件そのものも無いんだよ。

おそらく大元の出典は『三国警察署沿革誌』で、それを元に『福井県警察史』が書かれ、それを元に『三国町百年史』となる。

それが真相。

139: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/15(月) 00:27:28.72 ID::eRNOzlFD0.net
>>131
それは提灯が足されたり青毛布が赤毛布に変容した部分について記していると読んでいた。
大元に事件そのものが記載されているかどうかについて触れた文脈ではなかったような。
出典をあたって確かめて事件が存在しないということなら北國新聞が謎になるね。

159: 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2016/08/15(月) 00:54:33.49 ID::p2/P9U4/0.net
>>131
単にソース元が取り上げたのが地元の新聞だったってだけで、大手新聞も記事にしてはいんたんじゃね?
そもそも今と全く時代が違うから、三面記事にしかならないしな。

戦後の昭和30年代でさえ、中学生女子が家族二人を毒殺した事件が甲子園の勝ち負け以下の扱いの社会面記事だったりするんだぜ?
今じゃセンセーショナルに報道されてること間違いなしだけど。

※以下Wikipediaでの記載

青ゲットの殺人事件

1906年(明治39年)に発生した殺人事件である。殺人罪としての時効を過ぎた為に未解決事件の一つとして扱われている。

犯行

午前5時頃、当時はもちろん防犯カメラも無かった為、容姿はよく分かっていないが、青いゲット(毛布)をかぶった35歳くらいの男が問屋を訪ね、番頭の加賀村吉(30歳)に「近所の叔母が病気になったので来てくれ」と言った。村吉はこの時大雪であったことなどから男を信用し、付いて行った。

その後、同様の手口で村吉の自宅から母・キク(59歳)を連れ出し、さらにその後、村吉の妻・ツオ(25歳)も連れ出した。男は村吉の次女(2歳)も連れ出そうとしたが、妻が連れ出される前に隣家の女性に留守番と子守りを頼んでおり、男との応対をした女性が次女の連行を拒否。そのため次女は助かった。長女は子守りとして他家に居たために留守であった。

遺体発見

青ゲットの男に連れ出された3人は、その後いつまでたっても戻らず、調べると新保村の親戚には誰も病人などなく、使いの者を頼んだ事実もないことが分かった。

三国警察署に置かれた捜査本部は、九頭竜川一帯の大掛かりな捜索を行い、村吉家裏手の竹田川に係留してあった小船の船べりに、血痕が付着しているのを発見した。

そして小船から少し下流の川底から、妻ツオの遺体が沈んでいるのが見つかった。さらに翌日には母キクの遺体が九頭竜川の河口付近に沈んているのが発見され、引き上げられた。

しかし、村吉の遺体はその後の捜索でもついに発見することは出来なかった。

その後

村吉の遺体が発見されなかったことから、村吉主犯説が捜査本部の中でも取りざたされたが、新保橋の血痕が1人分にしては多すぎることなどから、やはり村吉も殺害され遺棄されたという判断になった。

状況や証言から捜査本部が見立てた事件の経過は、まず青ゲットの男は店から村吉を連れ出して、新保橋に差し掛かったところで殺害して川へ落とした。次に自宅を訪れ母キクを連れ出し、同じく新保橋で殺害して川に落とした。続いて妻ツオを「舟で対岸の新保村へ渡す」とでも言って船べりに誘い出し、殺害して川へ遺棄した。その後、娘も連れ出そうとしたが隣家の女性に拒まれて失敗した、というもの。

捜査本部は男が一家を次々に連れ出して、残忍に殺害していることから、村吉に強い恨みを抱いた者が犯人の可能性があると推理した。しかし村吉は真面目で酒も飲まず、良く働き若くして番頭に取り立てられるなど大変評判は良かった。結局村吉を恨んでいる者は見つけることが出来ないまま、捜査は暗礁に乗り上げた。

そのまま捜査は進展することなく、1921年にはついに時効を迎え、迷宮入りとなってしまった。ところが、事件から20年過ぎた1926年12月12日、京都府警に窃盗の罪で逮捕されていた谷本仁三郎という男が、「自分がこの事件の真犯人である」と告白した。

「20年ぶりの真犯人判明」と報道されたが、窃盗の前科が多数ある窃盗犯の谷本が犯したにしては不自然な点が多かった。まず窃盗目的だとして、このような手のかかる事をわざわざする必要が無く、強盗するにしても普通に押し入れば良く、複数回に分け連れ出して殺害する意味が無い。事実、犯人は金品を盗ることが出来ないままに終わっている。また、逮捕された谷本が証言した他の事件においても、「でたらめを述べている節が二、三ある」と警察が疑問を呈していることからも、谷本の証言は怪しく、真犯人とは考えにくい。

しかし、すでに時効を迎え捜査資料も散逸していたことから、結局真相は解明されないままに終わった。

[出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/青ゲットの殺人事件]

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