長編 怪談 都市伝説

ナナシ・シリーズ【全8話】まとめ【ゆっくり朗読】3200

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第一話 ナナシ

今から数年前、僕と僕の友人だった人間が、学生だったころの話。

ときは夏休み、自由研究のため、友人……仮にナナシとするが、僕はそのナナシと、心霊現象について調べることにした。

ナナシはいつもヘラヘラしてるお調子者で、どちらかといえば人気者タイプの男だった。
いるかいないかわからないような陰の薄い僕と、何故あんなにウマがあったのかは、今となってはわからないが、とにかく僕らは、なんとなく仲がよかった。

なので自由研究も、自然と二人の共同研究の形になった。

また、心霊現象を調べようと持ち掛けたのは、他ならぬナナシだった。

「夏だし、いいじゃん。な?な?」

しつこいくらいに話を持ち掛けるナナシに、若干不気味さを感じながらも、断る理由は無かったし、僕はあっさりOKした。

そのとき僕は、ナナシはそんなにオカルト好きだったのか、そりゃ意外な事実だな、なんて、くだらないことを考えていた。

「どこ行く?伊勢神トンネルとか?」

僕は自分でも知っている心霊スポットを口にした。

しかしナナシは首を横に振った。

「あんな痛いトコ、俺はムリ」

そのナナシの言葉の意味は、僕は今も理解ができないままでいる。

何故『怖い』ではなく『痛い』なのか、今となっては確かめようがない。

だが、ナナシは確かにそう言った。

話を戻すが、ナナシは僕が何個か挙げた心霊スポットは、全て事々く却下した。

意見を切り捨てられた僕は、いい加減少しムッとしてきたが、ちょうどそのときナナシが言った。

「大門通の裏手にアパートがあるだろ。あそこにいこう」

そのアパートの存在は僕も知っていた。

もっとも、心霊スポットだとかオカルトな意味じゃない。

天空の城ラピュタとかに出てくるような、蔦や葉っぱに巻かれたアパートで、特に不気味なアパートってわけではないが、入居者はおらず、なのに取り壊されることもなく、数年……下手したら数十年、そこに在り続けているアパートだ。

「あんなとこ行っても、なんもねーじゃん。幽霊がいるワケじゃなし」

「いいから。あそこにしよう」

ナナシは渋る僕を強引に説き伏せ、結局、翌日の終業式のあとに、そのアパートに向かうことになった。

時刻は午後4時36分。僕らはアパートの前にいた。

終業式を終え、昼飯を食べてから、しばらく僕らは僕の部屋でゲームなんかをしたりした。

何故すぐにアパートに向かわなかったのか、向かわないことを疑問にも思わなかったのか、あの時の僕にはわからなかったし、今の僕にもわからない。

ただ、すぐにあのアパートに向かわなかったことを、僕は未だに後悔している。

否、あのアパートに行ってしまったことを、後悔してるのかもしれない。

とにかく、しばらく遊んだあと、唐突にナナシが「さ、そろそろかな」と言い、僕はナナシに手をひかれてあのアパートに向かった。

そのときのナナシの横顔が、なんだか嬉々としていたような、逆に悲しげなような、なんとも言えない表情だったことを、僕は忘れないだろう。

そして、僕らはアパートに着いた。

ナナシはひと呼吸置くと

「終わった、な」と言った。

その言葉の意味がよくわからなかった僕は、ナナシに聞き返したが、ナナシは無言のまま僕の手を引いた。

いつものナナシじゃない。お調子者のナナシじゃない。

そんな不安が胸元にチラついたが、ナナシは構うことなくアパートの階段を上る。

そして、『302』とプレートのついた部屋の前に立った。

異様な空気が僕の背中を掠めた。

「ナナシ……?」

ナナシは答えないで、ドアの前にあった枯れた植木鉢から鍵を取り出し、ドアを開けた。
するとそこには、『人間だったもの』があった。

「うぁあぁあぁあっ!!!」

僕は大声を上げてヘタリこんだ。

玄関先には女のひとが倒れていて、はいずるように俯せている。

その体の下からは、夥しい量のまだ生々しい赤黒い血が、水溜まりのようになっている。
僕はガタガタ震えながら、ナナシを見た。

でも、ナナシは

「あはははははははははははははははは!!!!!!」

笑っていた。

僕はナナシが発狂したのかと思ったけど、そうじゃなかった。

「見ろよ!!これが人間の業なんだよ!!ラクになりたくて死のうとしたって、死ぬことにまだ苦しむんだ!!この女、2日も前に腹をかっさばいたんだぞ!!2日だぞ!!2日も死ねなくて、痛い痛いって死んだんだ!!『痛い苦しい助けて』って、声も出ないのに叫びながら死んだんだよ!!!!死にたくなって腹を切ったのに、死にたくないなんて我が儘もいいとこだ!!」

ナナシが早口でまくし立てる。

僕は死体よりも血よりも何よりも、ナナシが凄くこわかった。

「死にたくないなら死ぬんじゃねぇよ!!!!死にたくなくても死ぬんだから!!!!馬鹿馬鹿しいにも程がある!!!神様なんていやしない!!!助けてくれるやつなんか、世界が終わっても来やしないんだよ!!!!」

ナナシは叫び続けた。

僕はナナシに必死にすがりついて、わけのわからないことを口走りながら泣いた。

しばらくして我にかえると、ナナシが僕の頭を撫でていた。

「警察、呼ばないとな」

ナナシはそう言った。さっきまでの凄まじい形相のナナシはいなかった。

でも、僕の友達だった、ヘラヘラ笑うお調子者のナナシも、もうどこにもいなかった。

僕らは警察を呼び、簡単に事情を聞かれて、家に帰された。

僕らは一言も口を聞かぬまま別れた。

その日、僕はいろんなことを考えた。

何故ナナシは、あのアパートに行こうと言い出したのか。

何故ナナシは、あの女のひとが2日前に自殺を図ったことを知ってたのか。

何故ナナシは、あの部屋の鍵の場所を知ってたのか。

ナナシがつぶやいた「終わったな」って、なんだったのか。

オカルト的な考えになるが、きっとナナシは、死人の声みたいなものが聞こえるんだろう。

死ぬ間際の断末魔なんかが、聞こえるタチなんだろう。

ナナシが「終わったな」って呟いたとき、あの女のひとは死んだんだろう。

鍵の場所も、あの女のひとの生き霊みたいなものが助けてほしくて、教えてくれたんだろう。

でも、僕らは間に合わなかったのだ。

僕はそう考え、凄く悲しくなった。

僕らが間に合わなかったせいで、あのひとは死んだんだ。

まだ、助かったかもしれないんだ。

僕らが早く行っていれば………………

そこまで考えて、僕はひとつの疑問が浮かんだ。

もし、もしさっきの仮説が正しくて、ナナシに不思議な力があるなら、何故ナナシは、すぐにアパートに向かわなかった?
何故ナナシは、すぐに警察なり救急車なりを、昨日の時点で呼ばなかった?
否、否否否。ナナシが早口でまくし立てていただけで、本当に自殺かどうか実際はわからない。

ましてあの部屋には、血溜まりと死体はあっても、凶器なんかは見当たらなかった。

否、否否否。それ以前に、それ、以前に、僕らが部屋に入ったあの時点で、本当にあのひとは死んでいたのか?
もしまだ死んでなかったなら。そして、自殺じゃなかったなら。

そこまで考えて背筋が凍った。

それからしばらく、僕はナナシとマトモに喋ることができなかった。

その後ナナシと僕は、ある事件をきっかけに永遠の断絶を迎えるが、それはまた別の話。

第二話 落ちていくモノ

あの悪夢のようなアパートでの事件から数カ月が経ち、僕とナナシはまたお互いに話をするようになっていた。

初めのほうこそ多少ギクシャクしたが、結局ナナシに不思議な力があろうがなかろうが、あの女の人がどうであろうが、ナナシはナナシで、僕の友達だということに変わりはない。

僕はあの日のことは記憶の底に沈め、ナナシと普通に話すようになった。

ナナシも、今までと同じようにヘラヘラ笑って話掛けてきて、僕らはすっかり以前のような関係に戻っていた。

そんな矢先のこと。

そろそろマフラーやらを押し入から出さないとな、なんて時期の授業中、それは起きた。
教室では窓際の最前列に、目の悪かった僕と委員長の女の子、その後ろに、ナナシとアキヤマさんと言う女の子が座っていた。

その頃、その窓際席の僕ら4人は、授業中に手紙を回すのをひそかな楽しみにしていた。
つまらない授業の愚痴や、先生の悪口を小さいメモに書いて、先生が見ていない隙にサッと回す。

もしバレても、委員長がごまかして僕らが口裏を合わせることになっていたし、端とはいえ、前列で手紙を回すのはちょっとしたスリルだった。

そしてそれは、たしか3時限目あたりの国語の授業中。

どこの学校にも一人はいるであろう、バーコードハゲの教師が担当で、今にして思えば大変失礼だが、僕らは彼の髪型をネタに手紙を回していた。

くだらないことをしていると時間が過ぎるのは早く、すでに何枚か紙が回され、授業も半ばを過ぎた。

そのときだった。

教科書に隠しながら手紙を書いていた僕は、ドン、と何かに背中を突かれた。

どう考えてもそれは後ろの席のナナシで、まだ書いてるのに催促かよと、僕は少しムッとしながら振り返った。

するとそこには、眉間に皺を寄せた凄まじい形相で、僕に何かを向けているナナシがいた。

手には開いたノートがあり、真ん中にデカデカとマジックで『窓』と書いてあった。

思わず窓を見ると

「ひっ……」

人と、目が合った。

蛙のような体勢で落下してきたその人は、顔だけをこちらに向けていた。

恐怖か苦痛か屈辱かわからない、むしろ全て入り交じったような悶絶の表情を一瞬見せて、その人は消えた。

「うわぁああっ!!!」

僕ではない誰かが叫んだ。叫んだのとほぼ同時に、ドシン、と音が響く。

しばらくフリーズしていた教師やクラスメート達も、2、3秒して騒ぎ立て、窓に駆け寄り出す。

僕はその様子を茫然と見ながら、フラッシュバックを感じていた。

まただ。またナナシが、人の死を言い当てた。

僕は震えながら、ゆっくりとナナシを見た。

ナナシは震えもせず騒ぎもせず、窓の前に立っていた。

遠い目で窓を見ている。僕はナナシに駆け寄った。

「ナナシ、あれ……」

縋るように駆け寄った僕に、ナナシは振り返ることもせず言った。

「お前、なにか見た?」

なにか。そんなの解りきっているというのに、白々しく尋ねてくるナナシに僕は無性に腹がたった。

「当たり前だろ!!お前が窓を見ろって言ったんじゃないか!!おかげで僕は目が合ったんだ!!見たんだぞ!!あの人が堕ちる一瞬を!!!」

僕は、あの死に行く人と目を合わせてしまったのだ。

悲痛と苦痛に染まった、間もなく死ぬであろう見知らぬ人と、目が合った。

一生トラウマになりそうな表情を見たのだ。

「なら、いよいよオカルトだな」

ナナシは言った。

僕にはその言葉の意味がわからなかった。わかりたくもなかった。

だが

「見てみなさいよ、下」

さっきまで黙っていたアキヤマさんが、僕に言った。

僕は恐る恐る、人を掻き分けて下を見た。

そこには、こちらを向いて目を見開き、苦悶の表情を浮かべながら、体を不思議な方向に曲げた死人がいた。

ドス黒い血が彼女の白いブラウスを赤茶に染めていて、僕は思わず目を反らした。

そして、気付いた。

僕は彼女と目が合ったんだ。それは確かだ。あの表情は夢じゃない。

蛙のような、這うような姿勢で彼女は落ちて来た。そして僕を見ていた。

……なら、何故彼女は、『こちらを向いて』死んでいるのか。

俯せに落ちたはずの人間が、何故仰向けに死んでいるのか。

空からたたき付けられた人間が、まさか寝返りなどできるはずもない。

まして、あの数秒間で、誰かが動かしたはずもない。

否、それよりも、どんな飛び降り方をすれば、『蛙のような体勢』に落下することができるのか。

否、どんな飛び降り方をすれば、『蛙のような体制で、こちらを向いて落下できる』のか。

その疑問が浮かんだとき、震えは一層強まり、首筋に冷たい何かを感じた。

不意にナナシが口を開く。

「死んだ先に何がある。救いなんてあるはずないのに。闇から逃れても、闇しかないんだ」

その言葉には、恐ろしいくらい感情が篭っていなかった。

アパートのときよりも、数倍僕はナナシを怖いと感じた。

赤い海に浮かびながら、僕らを見上げる曲体の死人より、ナナシの言葉が怖かった。

その後、席替えがあり、僕が窓際になることは二度となかった。

第三話 手

学生時代、まだ桜も咲かない3月のその日。

僕はクラスメートのアキヤマさんという女の子と、同じくクラスメートの友人の家に向かっていた。

友人は仮に名をナナシとするが、ナナシには不思議な力があるのかないのか、とにかく一緒にいると、奇怪な目に遭遇することがあった。

そのナナシがその日、学校を休んだ。

普段はお調子者でクラスの中心にいるナナシが、学校を休むのはすごく珍しいことで、心配になった僕は放課後、見舞いに行くことにした。

そこに何故か「私も行く」と、アキヤマさんも便乗したわけだ。

とにかく僕ら二人は連れだって、ナナシの家に向かった。

ナナシの家は、学校から程遠くない場所にあった。

僕はナナシと親しくなって1年くらい経つが、たまたま通りかかって「ここが俺ん家」と紹介されることはあっても、自宅に招かれたことはなかった為、少しワクワクしていた。
ナナシの家は、今時珍しい日本家屋で、玄関の門柱には苗字が彫り込まれていた。

「……やばい家」

アキヤマさんが呟く。

僕はこのとき、確かにヤバイくらいでかい家だな、なんて思っていたが、今にして思えば、アキヤマさんが言っていたことは、全く違う意味を持っていたのだと思う。

それは今となっては言える話で、あのとき僕がこの言葉の意味に気付いていれば、僕らとナナシには別の未来があったかもしれない、と悔やまれるが、それは本当に今更なので割愛する。

呼金を鳴らし

「すみませーん」と声をかけた。

しばらく無音が続いたが、1、2分後に扉が開き、背の高い女の人が出て来た。

僕とアキヤマさんは、自分たちがナナシのクラスメートであること、ナナシの見舞いに来たことを伝えた。

女の人は「ありがとう」と笑うと、ナナシの部屋に案内してくれた。

部屋に入ると、布団にくるまって漫画を読んでいるナナシがいた。

僕らに気付いたナナシが、ヘラヘラ笑ってヒラヒラと手を振る。

案外元気そうな姿に、僕は安堵した。

「なんだよお前、元気なんじゃないか」

僕は笑ってナナシに話掛けた。

アキヤマさんは黙って鞄を置くと、部屋を見回した。

「なんでアキヤマがいんの」

ナナシが小声で僕に尋ねた。僕もなんとも答えられず

「まあまあ」とわけのわからない返答をした。

ナナシの声は、小声だからというのもあるだろうが、かなり掠れていて痛々しい程だった。

見た目と違い、かなり酷いのかと心配になったその時

「ナナシ。あれ、何」

アキヤマさんが、口を開いた。

アキヤマさんが指差した場所には、コルクボードがあった。

眼鏡をかけて改めて見ると、何枚もの写真と、何枚かの手紙やプリントが貼られている。
なかには、僕らが授業中に回していた手紙もあった。

「なんだよ、わざわざ飾ってんのかよ」

ナナシが手紙をとっといてくれたことが、なんだか無性に嬉しかった僕はナナシを肘でつついた。

しかし、アキヤマさんはニコリともせず

「そうじゃなくて、その真ん中」と続けた。

僕は目線を真ん中に向けた。

するとそこには、異様な写真があった。

「……え」

それは、どう見ても心霊写真です、といった感じの写真だった。

写っていたのは、ナナシと先程の背の高い女の人で、見事な夕日を背景にしている。

そこまでは、なんらおかしくなかった。

おかしいのは、ナナシの一部。否、ナナシを囲むもの、というべきか。

女の人にもたれ掛かるようにしたナナシの顔の両端に、白いものが写っている。

それは手のような形をした、白い靄だった。

「ナナシ、これ……」

「ああ、それか」

少しガタついてる僕に、ナナシは漫画を置いて向き直った。

その表情は哀しそうで、そしてどこか嬉しそうでもあった。

「それは、母さんと撮った最後の写真なんだ」

ナナシはそう言って語り始めた。

「俺の隣が母さん。2年前に、死んだ」

ナナシは少し俯いて言った。

「その写真撮った次の日に、その写真撮った屋上から飛び降りた」

淡々とした言い方だったが、それはナナシが背負ってきた悲痛が全て凝縮したような、切ない響きを持っていた。

見事な夕焼けを背にして笑う親子。まさかそれが、翌日には哀しい別れ方を迎えるなんて哀し過ぎる。

「その写真、母さんの誕生日に棚整理してたら見つけてさ。半年くらい前。
2年前に現像して見たときは、たしかに何も写ってなかったんだけど、 そんとき改めて見たら、その靄が写ってて」

僕は黙って聞いていた。アキヤマさんも、じっと写真を見つめて黙ってた。

僕は今更、ならばさっき会った女の人は何だとか、わかりきった追求をする気はなかった。

ナナシといたら怖い体験をするってのは、それこそ今更だったし。

きっと、死んだあともナナシのお母さんは、ナナシが心配でこの家にいるんだろう。

遺して来たナナシが心配なんだろう。そう思った。

「その靄、手の形してるだろ?俺も最初は怖かったけど、見てるうちに、きっと母さんが俺を守ってくれてんだ、って思ってさ。
その手が、きっと俺を守ってくれてるんだ、って思って」

ナナシは、そう言って笑った。

「だから、飾っちゃってるわけ。マザコンぽくてアレだけどな」

ナナシは掠れ声でそう言うと、いつもより少し照れたようにヘラッと笑った。

僕はうっかり泣きそうになるのをグッと理性で押さえ

「このロマンチストが」なんて馬鹿馬鹿しいツッコミを肘で入れた。

ナナシとは怖い体験も何度かしたけど、この話を聞いて、やっぱり僕はナナシを好きだと思った。

僕らを見て『ありがとう』と笑った、ナナシのお母さんの顔を思い出す。

僕はナナシとずっと友達でいよう、あのお母さんのぶんもナナシの傍にいよう、と心底思った。

そのとき

「元気そうで何よりだわ。明日は学校で会いたいわね」と、アキヤマさんが唐突に言った。

一瞬にして先刻までの感動ムードが吹っ飛ぶ。

アキヤマさんはそんな空気変化を無視し鞄を抱えて

「お大事に」と一言掛けると、部屋を出た。

僕は一瞬呆気に取られたが、我に帰り、慌ててアキヤマさんを追い掛けた。

「また明日な!!!」

ナナシに声を掛けると、ナナシはいつものヘラヘラした笑顔で手を振った。

それを見届けてから、僕はアキヤマさんを追い掛けて広い廊下を走った。

あの女の人は、もういなかった。

僕がナナシの家を出たとき、アキヤマさんはすでに数十メートル先を歩いていた。

僕は必死でアキヤマさんを追い掛け、並んだところでその肩を掴んだ。

「アキヤマさん!!」

「……なに」

アキヤマさんは振り返る。その顔に表情はなく、異様なくらいの冷たさを感じた。

「なんで、あんな言い方したんだよ。ナナシが可哀相じゃん、お母さんが……」

そこまで言って、僕は何も言えなくなった。

アキヤマさんが、嫌悪と怯えを入り交じらせたような形相で、僕を睨んでいたからだ。

「……アンタ、本当にあれが『守り手』だなんて思ってんの?」

アキヤマさんが強い口調で言った。

その真っ直ぐに向けられる視線は、信じられないとでも言うように僕を刺していた。

「だって……それしか」

「本当にそう思ってんならシアワセね」

アキヤマさんは心底馬鹿にしたように言い放った。

「アタシにはあの手が、ナナシの首を絞めようとしているようにしか見えなかったわ」

そう言うと、アキヤマさんは足を早め帰っていった。

曲がり角を曲がって見えなくなるアキヤマさんを呆然と見送りながら、僕はあの写真を思い出していた。

夕焼けを背にした親子。その翌日に飛び降りて死んだ母。息子の首元にかかる手型の靄。
そして、良好そうな体調の割に、酷く掠れたナナシの声。

もし仮にアキヤマさんの台詞が真実なら、僕らが見たあの人は、ナナシをどうするつもりだろう?
耐え難い悪寒と戦慄を感じ、僕は走った。

嫌な予感が現実にならないのを祈りながら、ナナシの家が見えなくなるまで走った。

翌日、ナナシはいつもどおり学校に来ていたが、声はさらに掠れていた。

このときすでに、カウントダウンは始まっていたのかもしれないが、やっぱりそれは、今更の話。

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第四話 本

今日は、僕がナナシと体験したなかで、1番気色悪かった話をしたいと思う。

幽霊とか死体とかそんなものより、僕はあの日のことが怖かった。

学生生活も残り半年あまりとなった頃。

その頃すでに僕らは、進学組と就職組に別れ、それぞれの勉強を始めていた。

僕とナナシは進学組、アキヤマさんは意外にも就職組で、その頃は次第に疎遠になっていた。

「イイの見つけた」

その日、視聴覚室に篭って勉強をしていた僕に、青灰色のボロい本を携えたナナシがヘラヘラ笑って近づいてきた。

その本は、どうやら図書館の寄附コーナーから、ナナシがパクってきたらしい。

僕らの地元にあるその図書館は、木々に囲まれた公園の端に建っており、なかなか貫禄がある。

また、よく寄附本が集まり、なかには黒魔術なんかの怪しい本も集まる。

ナナシいわく、その中にたまにアタリがあるそうだ。

「で、それはアタリなわけだ」

「アタリもアタリ、大アタリだ」

ナナシは笑った。

普段はお調子者でヘラヘラしてて、クラスの人気者なナナシだが、ある日を境目に、オカルト好きな本性を見せるようになっていた。

「これ、革が違うんだよ」

ナナシが嬉々として本の表紙を摩った。僕も触れてみたが、たしかに普通の本よりザラザラした革表紙だった。

「なんだよコレ」

聞いてもナナシは答えなかった。ヘラヘラ笑いながら、革を撫でている。

そしておもむろに本を開くと

「さあ、始めようか」と言った。

ナナシは僕にあの本を渡すと、視聴覚室の隅に立つよう命じた。

僕は今から何が起こるかもわからないまま、素直に隅に立った。

ナナシは本から切り取ったページを片手に、すごい早さで黒板いっぱいに文字を書き出した。

英語なのか漢字なのかわからないが、みたことのない文章や図がズラリと並ぶ様は相当薄気味悪い。

おまけにナナシは一言も喋ることなく、まさに一心不乱といった様子でカツカツと黒板にチョークを滑らせている。

「ナナシ、何だよこれ」

ナナシは答えない。

やがて書き終えたのか、ナナシがこちらに向き直る。

その顔はいつものヘラヘラした笑顔だが、何かが違う気がした。

「それ、読んで」

ナナシが本を指差す。雰囲気からして洋書かと思ったが、中は意外にも日本語で書かれたものだった。

なんと書かれていたかは今はもう覚えていないが、なんだか意味を成さないような不気味なものだったと思う。

それでも、怖いもの見たさもあったのか、僕は書かれた文章を読み上げた。

そのとき、聞き慣れた声がした。

「あんたたち何してんの?」

窓枠に寄り掛かり僕らに声を掛けてきたのは、他ならぬアキヤマさんだった。

「面白そうじゃない、あたしも混ぜてよ」

窓枠に足をかけ、中に入ろうとする。

怪しい行為をしていた最中だったので、ちょっと僕もビビッたが、久しぶりにアキヤマさんと話せることが嬉しくて、僕はアキヤマさんに駆け寄った。

そのとき

「アブないぞ、ソレ」

ナナシがアキヤマさんを指差した。そのナナシの物言いにカチンと来た僕は、ナナシに抗議した。

「ソレってなんだよ、おま……」

「よく見ろよ、ソレはどっから来た?」

「どこって窓からに決まって……」

そこで、めちゃくちゃ遅ればせながら気付く。ここは視聴覚室。

……3階だ。

コレはアキヤマさんじゃない。

そう気付いた瞬間、ソレは酷く歪んだ笑顔で、体をクネクネさせながら僕に近づいてきた。

白目に赤い筋がたくさん浮かび、それでも口元は笑っている。

「うぁあぁあぁあ!!!!!!」

僕は無我夢中でソレを払いのけ、外に押し込み、窓を閉めた。

途端、けたたましいくらいにガラスを叩く音がする。

……内側から。

「ナナシ!!!ナナシ!!」

僕は半狂乱になりながらナナシを呼んだ。ナナシなら助けてくれる、と漠然に思った。

でも、ナナシは僕を見て笑っていた。

「ははははは!!最高だよお前!!!!!」

僕は本気でナナシに殺意を抱いた。

気がついた時、僕は汗だくになって床にヘタリこんでいた。

ナナシが自分のTシャツで、汚いものを拭くかのように僕の顔を拭っていた。

「結局、あの本は何だったんだよ」

叫び過ぎて掠れた声で、僕はナナシに聞いた。

ナナシはヘラっと笑うと

「降霊術みたいなもんさ」と言った。

「会いたいものを呼び出せる呪文と方位がのってる。
さすがに犬皮使ってる本だから、ヤバそうだとは思ったけど。
いろんなヤバイモンが詰まってるよ、コレ」

ナナシは笑って言った。

「俺じゃなくて、本持ってたお前の会いたいやつが出て来たのは誤算だったな。まあ、中身は違うけど。
お前、よっぽどアキヤマに会いたかったんだな」

ナナシはそう言うと、またヘラヘラ笑いながら本を抱えて歩いて行った。

ちょうど下校の鐘が鳴って、僕もナナシの後を追う。

前を歩くナナシの背中を見ながら、僕は思った。

『いろんなヤバイモンが詰まってるよ、コレ』
『俺じゃなくて、本持ってたお前の会いたいやつが出て来たのは誤算だったな』
そこまでしてナナシは、一体なにを呼び出したかったんだろう?
その答えを知ることになるのは、もう少し先の話。

第五話 目の合わない人形

学生時代、二学期も半ばに差し掛かった頃。

僕らのクラスでは、なぜか『学校の怪談』というアニメが大流行し、今更ながらオカルトブームが訪れていた。

女子はこぞっておまじないなどにハマりだし、男子は肝試しに出掛けた。

僕としては、今まで友人のナナシと体験してきたことのほうがよっぽど怖かったし、当のナナシも今までの体験談を話すこともなく、いつものようにヘラヘラして皆の話を聞いていたから、何も言わなかった。

散々出まくった都市伝説にキャーキャー言うクラスメイトたちを見ていると、『知らぬが仏』って本当に名言だなあ、と思っていた。

そんなとき、唐突に声をかけられた。

「今日、俺ん家来ないか?」

それは、ヤナギと言うクラスメイトからの誘いだった。

ヤナギは、親父さんが貿易だか輸入なんたらだかの会社の社長で、まあ、いわゆるお金持ちだった。

でも金持ちにありがちにな厭味がなく、むしろサバサバして皆から好かれていたし、僕やナナシも仲良くしていた。

「なんで突然?」

僕が尋ねると

「ウチの親父が、珍品コレクター、っての?なんか不気味なモンばっか集めててさ。
いわくありげな物もあるから、見に来ないかなぁと思って」

と、ヤナギは言った。

すると、いつの間にかナナシが僕の隣に立っていて

「行く行く。ぜひともお邪魔します。俺もこいつも、そうゆうの好きでさぁ」

と、僕の肩をつかんで引き寄せ、僕の意思や意見は完璧無視で誘いを受けやがった。

こうして、僕らはヤナギの家にお邪魔することになった。

「ここなんだよ」

放課後、馬鹿デカいヤナギの家に着くなり、僕らは地下室に案内された。

地下室と言っても、じめじめした嫌な雰囲気はなく、特に怖いことが起こる予感はしなかった。

正直、ナナシといると変なことばかり起こるので、来るまでは不安だったのだが。

「今日は親父いないから、まあゆっくり見てけよ」

ヤナギが地下室の鍵を開ける。

なんだかんだ言いながら、押し寄せていた期待感に心臓をバクつかせていると、ドアが開いた。

「……ん?」

しかし、中には期待していたようなおかしなものはなかった。

古い本や、ちょっと大きな犬の剥製、振り子時計なんかが置かれているだけだった。

「べつに珍品じゃないんじゃね?」

もっとこう、動物の生首だとか奇形物のホルマリン漬けだとか、殺人鬼が使っていた刀だとかを想像していた俺は、なかばがっかりしながら言った。

しかし、隣に目をやると、ナナシが笑っていて僕はゾッとした。

いつものヘラヘラした笑顔ではなく、あの不気味な歪んだ笑顔だった。

「まあ、そうでもないんだよ」

ヤナギはそんなナナシの様子に気付くことなく、僕の発言に答える。

「たとえばこの振り子時計。
これは、どっか外国の殺人鬼の物でさ、この扉の中に、殺した人間の指の骨を入れて集めてたらしいよ。
こっちの剥製は、飼い主の赤ん坊を噛み殺した犬らしいし、 この本は、自殺した資産家が、首をくくるときに踏み台にしたものなんだと」

ヤナギがスラスラと不気味な話をし出す。

つまりヤナギの親父さんは、そうゆういわくつきの物をコレクションしてるわけだ。

「まあ、本当かどうかはわかんないけどさ」

ヤナギは笑った。

そのとき

「なあ、これ、何?」。

ナナシが何かを見つけた。

それは、ちょっと煤けていたけど、立派な女の子の人形だった。

フランス人形か何かだろうか、青い瞳を伏せている。

「ああ、それか」

ヤナギが人形を持ち上げる。

「これは特に不気味なもんじゃないんだけど、変わった作りがしてあってさ」

ココ、と、ヤナギが人形の瞳をつつく。

「なんか、角度や色が細かく計算してあって、絶対に目が合わないようになってんだよ」

なるほど、確かに目が合う人形は山ほどある。

というか、むしろ人形とは目は合うものだが、絶対目が合わない人形とはめずらしい。

僕も人形をヤナギから受けとり、目を見てみた。

確かに、微妙に目の焦点がズレて見える。

「へぇ。こいつは面白いな」

僕は人形を色んな位置に移動させて、目を合わせようと試みた。

けど、やはり目が合わない。どこか違う方を見ている。

そのとき気付いた。

どんなに移動させようと、角度を変えようと、目の合わない人形。

その人形が、僕から目をそらし見ている一点。それはナナシだった。

「え?え?」

僕は場所を変え角度を変え、立ち位置を変え、人形を動かした。

しかし、どんなにそれらを変えても、目の合わない人形はナナシの方を見ていた。

どの位置に立っても、ナナシがいる方に目線が向いている。じっと睨みつけるように。

おかしい。

オカシイオカシイオカシイ。

僕はパニックになって人形を揺さぶっていた。怖くて怖くて仕方なかった。

どうしてナナシの方を見るのか。どうして。そのとき。

「ホラ、いい加減にしろ」

ナナシが僕の手から人形を奪うと、元の場所に置いた。僕は汗だくになっていた。

「悪いなヤナギ、こいつ夢中になると我を忘れるから。
でも面白いな、親父さんのコレクション」

ナナシがヤナギに詫びを入れ、ほかに話を振る。ヤナギも特に何か疑う様子もなく、話をしている。

それでも僕は、やっぱり人形を見ていた。

人形は、やっぱりナナシを睨みつけていた。

しばらくお喋りをして、僕とナナシはヤナギの家を後にした。

帰り道、僕はナナシに思い切って言った。

「ナナシ、あの人形……」

「ずっと俺のほう見てただろ?」

やっぱりナナシはわかっていた。ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら僕を見る。

「なかなかお前も、だいぶカンがよくなったじゃねぇか。俺の教育の賜物だ」

などとふざけたことを抜かすナナシに腹を立てつつ、半ば呆れて僕は言った。

「お前、よく怖くないよな」

するとナナシは、ハッと鼻で笑うと

「俺はお前の後ろに突っ立てた、手足がやたら折れ曲がった女のが怖かったぜ?ベキベキベキって、聞こえてきそうでさ」と言った。

僕は急速に体が冷えてくのを感じた。

「ん?知らなかった?」

ナナシはケラケラ笑って

「『知らぬが仏』って、ホント名言だよな」と言った。

どこかで聞いたセリフだと頭の隅で感じながら、僕は走ってその場を去った。

それから僕がヤナギの家に行くことは、二度となかった。

第六話 サヨナラ

気ままな学生生活も終りに近付き、いつしか学校を卒業し、仲の良かったクラスメイト達とも、連絡を取り合ったのは最初だけ。

僕も進学先の場所に合わせて一人暮らしを始めたりと、忙しかったこともあり、次第に誰とも疎遠になっていった。

『あいつ』とも、ある一件以来何の接触も持たなくなった。当然といえば当然のことだ。
仲良くしていた日々を思えば懐く、愛しく感じる。

でも、『あいつ』のしたことが正しかったと言い切る自信はなかったし、許せないと感じる僕もいた。

そんなことを時折考えながら過ごしていたある時、今からまだ二年くらい前のことだ。

僕は卒業に向けて提出物の準備をしていた。

進学するつもりはなく、就職することをを決めていた為、それに関する膨大な書類や、何枚もの履歴書、就職希望先に関する資料などが山のようにあった。

それにいちから目を通し、書くものは書き、提出する物は分けて…………
そんなことをしていたら、ふと地元に帰りたくなった。現実逃避がしたかったんだと思う。

その日のうちに荷物をまとめて、ギリギリ最終列車で地元に向かった。

列車に揺られながら、窓からだんだんと見えて来る地元の風景に胸が踊った。

見慣れた風景なのに、やたらと懐かしい。

そのとき、ふと巨大な墓地が見えた。地元にある霊園だ。

真っ暗なのにハッキリ見えたのは、提灯を持った行列のようなものがあったからだった。
始めは人魂がと思ったが、列車が近付くにつれて、人間が提灯を持って並んで歩いてるのがわかる。

「こんな時間に墓参りか……?」

僕は気になって、駅に着くなり荷物を持ったまま霊園に向かった。

霊園に着くと、提灯の集団は見えなくなっていた。どうやらだいぶ先へ進んでいったらしい。

放っておけばいいものを、何故かやたらと気になって、僕は先へ進んだ。

『あいつ』とも、よくこうやって好奇心で墓場に来たな、なんて思いながら。

そして、霊園の真中まで進んできたところで集団を見つけた。

老若男女問わず提灯を持って並び、何か楽しげに話している。僕は墓に隠れて話を盗み聞いた。

すると

「ここは俺の墓」「これは私」「僕のはここにはないみたい」「なら先に進もう」「そうしようそうしよう」

そんな会話が聞こえてきた。

逃げなきゃいけない、と思った。

霊にせよ生きてる人間にせよ、あんな会話の時点でマトモじゃないのは確かだ。

集団が会話に夢中になってる今なら逃げられる。僕は走り出す姿勢をとった。

だが

「お兄ちゃん、何してるの?」

ひどくノイズのかかったような声。

見上げれば、幼い女の子の顔が、隠れていた墓石の上から覗いていた。

そこでもう、あの集団はこの世のものではないと確信した。

だって、この女の子は、顔形から見てせいぜい3、4歳。

そんな女の子が、どうして大人の僕が隠れていられるほど大きな墓石の上から顔を出せるのか。しかも顔だけ。

数年ぶりに感じた恐怖に、僕は一目散に走って逃げた。

集団が追いかけて来るのがわかる。ノイズがかった声も聞こえる。ただひたすら怖かった。

あの頃は、危ないときはとなりに『あいつ』がいた。でも今はいない。

そんな今、あの集団に捕まったあとのことを考えると、洒落にならない恐怖だった。

霊園が、道が長い。逃げても逃げても道がある。それでも泣きわめきながら逃げた。

だが

「あっ」

何かに躓いた。

転んで座り込んだ。ああもうだめだと思った。躓いたのは墓石。

後ろから追いかけてくる提灯の光。

「くそっ」

躓いた墓石を座り込んだまま蹴飛ばした。そのとき。

「罰当たりな奴だな」

聞き覚えのある声がした。

視線を上げると、嘘だろう?『あいつ』がいた。

「ナナ……シ……?」

あの頃より少し大人びたナナシがいた。

苦笑して僕に手を差し出す。

「惚けてる場合か。走れ。追いかけてきたぞ」と呟いて、ナナシは僕の手を引いて走った。

ああ、この背中だ。いつも厄介なことやらかしては、ヘラヘラ笑いながら僕の手を引いて逃げた背中。

どんなに怖くても、この背中を追いかけてれば安心だった。

現に、ひとりで走った絶えがたい恐怖は、安心に変わっていた。

走って走って、霊園を抜けた。霊園を抜けると、もう提灯は追いかけて来なかった。

僕ひとりだったなら確実に捕まっていただろう。

ナナシにものすごく感謝した。ありがとうと何度も呟いて、泣いた。

「もう怖くないよ。怖いものは、もういない。怯えなくていい」

ナナシは言った。僕は、余計に泣いた。

僕は知ってる。

ほんとにそう言って欲しいのは、否、ほんとにそう言って欲しかったのは、あの頃のナナシだったこと。

ヘラヘラ笑いながら怯えていた、幼かったナナシだったこと。

なのにあの時、僕はそれに気付かずに、ナナシを頼ってばかりでいた。

あの時気付けていれば、ナナシはあんなことをしなくて済んだのに。

僕が許せなかったのは、あの時のナナシではなく、あの時の僕だったんだ。

僕は目の前のナナシに何度も謝った。

ナナシは大人になっても、やっぱりヘラヘラ笑った。

「じゃあ、気をつけて」

ナナシは駅まで僕を見送ると、ヘラヘラ笑って帰った。

僕も手をふり、駅からタクシーで実家に帰った。

またナナシとあの時のように、友達に戻れるかもしれないと、少し期待を抱きながら。

次の日、僕は母の命令で、祖父母の墓参りに行かされた。場所はあの霊園。

正直目茶苦茶行きたくなかったが、仕方なく行った。

昼間で明るいと、霊園は綺麗に手入れされていて、ちっとも不気味じゃなかった。

中ほどまで進むと、僕は何かに躓いた。昨日の墓石だ。

「昨日も今日も、蹴飛ばしてゴメンな」

謝り、墓石を見た。

そして僕は泣いた。

そこには紛れもなく、ナナシの名前が刻まれていた。一年前の昨日に亡くなっていた。

僕は泣いた。泣いて泣いて泣きわめいた。

僕の親友はもうどこにもいない。あの背中はもうどこにもない。

結局僕は一度もナナシを救ってやれないまま、最後までナナシに救われていた。

僕と、僕の親友の話は、これでおしまい。

第七話 最後の夜

物事には終りというものが必ずあって、それは突然に訪れるものだと知ったのは、15の冬の終盤だった。

卒業を目前に控え、慌ただしく日々が過ぎる中、僕の親友は学校を休みがちになった。

以前は学校を休む事などほとんどなく、たかが一日休んだだけで心配して見舞いに行ったくらいなのに、ここ最近は、教室にいるのを見ることが珍しいほど、彼は学校に来なかった。

時々学校に来ても、何を聞いてもヘラヘラ笑うだけで何も言わなかった。

会う度に目の下の隈は濃くなり、見るからに痩せて、声は掠れている。

それを心配しても、なんでもないと言い切り、そして他愛のない話をしては、またヘラヘラ笑って帰って行く。

そして次の日は来ない。それの繰り返しだった。

でも、そんな物足りないほど他愛ない日常も、幸せだったと気付く事件が起きた。

その日、やっぱりナナシは休んでいた。そのことに特別何も思うところはなかったが、帰り際。

「藤野、七島にコレ渡しといてくれ」

進路関係の書類をナナシに届けて欲しいと、担任から頼まれた僕は、ナナシに渡しに行くハメになった。

怖い思い出しかないナナシ宅に行くのは気がひけたので、電話で公園に呼び出すことにした。

そして夕方、ナナシはやって来た。随分とフラついた足取りで、ヒラヒラ手をふりながら。

隈はますますひどくなっていて、さすがに僕は心配し、ナナシを問詰めた。

「お前、どうしたんだよ」

「別に、なんもないよ?」

「んなわけないだろ。なんだよその隈。頼むから……答えてくれよ」

真剣に言った。

するとナナシは、ゆっくりと静かに言った。

「成功したと、思ったんだ。うまくいったって」

絶望的な笑顔をナナシは浮かべていた。泣笑いとでもいうのか、無理矢理笑ってるような表情。

「何が」と訪ねると、ナナシは声を震わせて言った。

「……大丈夫。今日、全部終わらせるから」

ナナシはいつものようにヘラヘラ笑った。

終わらせるって、なにを。そう思ったけど、聞くことはできなかった。

何故かその時、ナナシが別の世界の人のように思えた。

ナナシと別れてからも、頭の中はナナシが何をする気なのか、そのことでいっぱいだった。

自棄を起こさなきゃいいが、ナナシなら何をしでかすかわからない。

墓でも荒らすのか、黒魔術でもやるのか、見当がつかなかった。

ナナシが言う『成功したと思った』ってことの意味もわからなかった。

そんなことばかり考えていた深夜三時。突然、携帯が喚き出した。

表示される名前を見れば、アキヤマさんからの電話だった。

「もしもし」

『ヤバイことになったみたい。嫌な予感がする。早く来て。急いで!!!!』
それだけ言うと、アキヤマさんは電話を切ってしまった。どこに行けばいいのかも言わないで。

でも何故だろう、わかっていた。ナナシのあの家だ。

僕はパジャマのまま家を飛び出して、自転車を必死にこいでナナシの家に向かった。

道の途中、アキヤマさんと出会った。

アキヤマさんは僕と同じような出で立ちで、ガタガタ震えていて、顔面蒼白だった。

「どうしたの!!ナナシは!?」

「わからない。わからないけど、ヤバイ。ヤバイよ、どうしようもない。どうしよう」

いつも冷静なアキヤマさんが動揺している。どうしてしまったんだ、何が起きたんだ?わからない。

僕はアキヤマさんを後ろに乗せて再び走り出した。

すると

「あああああああああああああああああああああああの女があああああああああああああああ悪いんだあぁああああああああああぅううあぁあああああああああのおおおおおお女がああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

濁ったようなどす黒い声が聞こえてきた。

アキヤマさんかと振り返ると、アキヤマさんは鬼のような形相で

「はやくはしって!!!!!!追いつかれる!!!!!」と叫んでいた。

その後ろ、僕の自転車の後輪のやや後方に、四つん這いになって走ってくる女がいた。

目は窪んでいるのか穴が空いてるのか真っ黒くて、口は縦におおきく開かれていた。

そしてものすごいスピードで走ってくる。

怖かった。怖くて怖くて仕方なかった。

声は近くなるような遠くなるような状態を繰り返している。

ハッキリと呪いの言葉を吐きながら。

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!」

耳が痛かった。呪われている気分だった。それでも必死に自転車を走らせた。

アキヤマさんは僕にしっかりしがみついていた。でも、その手も震えていた。

声はいつの間にか消えて、その頃には僕はナナシの家に着いて居た。

自転車を降り、インターホンを鳴らした。

そのとき

「ギャアァアァアアアアアァ!!!!!!!!!」

凄まじい声が家の中から聞こえてきた。

断末魔って、ああいう声を言うんだろうか。腹の底から絞り出したような声。

僕とアキヤマさんはナナシが出て来るのを待てず、ドアを開けようとした。

すると

「……どうしたの」

ちょうどドアが開き、ナナシが出て来た。

虚ろな目で僕とアキヤマさんを捕らえていた。片手には包丁が握られて居る。

「晩メシ作ってたんだよ」

ナナシは包丁をヒラヒラとさせると

「用事ないなら帰れよ」と言った。

突き放すような言葉だった。直感的に、いつものナナシじゃないと思った。

さっきの悲鳴はなに?あの追いかけてきたものは?大体夜中の三時に晩メシ作るわけないし。

聞きたいことはたくさんあるが、なにも言えなかった。

不安になってアキヤマさんを見た。アキヤマさんは震えてうつむいていた。

そして静かに

「帰ろう」と呟いた。

僕はわけがわからないままアキヤマさんに手をひかれ、自転車を引きながら帰った。

アキヤマさんはずっと黙っていたし、僕も黙っていた。

そして曲がり角で、アキヤマさんがポツリと言った。

「もう、だめだ。どうしようもない。もう、手遅れだ」

泣きそうな声だった。

それだけ言うと、聞き返す間も無くアキヤマさんは走って行ってしまった。

その言葉の意味を理解することになったのは、その次の日のことだった。

そしてそれが、最後の夜になった。

第八話 屋上にはナナシがいた

昨日、無事に就職したことを報告する為に、今は亡き親友の墓参りに行って来た。

その小さな墓前には、あいつの好きだった忽忘草の押し花が置かれていた。

『死んだ人間は生きてる人間が覚えててくれるけど、 死んだ人間に忘れられた生きてる人間は、どうすればいいんだろうな』
そんなふうに笑っていたのを思い出す。

そして思い出す。あの日の事を。

その日、前日の夜のことを引きずったまま僕は学校に行った。

やっぱりナナシはいなくて、アキヤマさんは何事も無かったように教室にいた。

話し掛けてみたが、やはりいつもと変わらなくて、昨日のことは全部夢か嘘みたいに思えた。

そうだ、あの変なものは、たまたまかち合ってしまっただけだ。

あの悲鳴は、ナナシがタンスに足でもぶつけたんだ。

そんなふうに無理矢理解釈しようとした。

そして授業が終り、僕は荷物をまとめていたその時に

「藤野、ちょっと、い?」

アキヤマさんが僕を呼び止めた。

「何?」と聞き返すが、アキヤマさんは「ちょっとついてきて」と言うだけだった。

仕方なく僕は、アキヤマさんの後に続くことにした。

連れて来られたのは、僕も何度かお世話になった大きな病院だった。

アキヤマさんは無言で中に入り、僕も後を追ううちに、屋上にやってきた。

……寒気がした。そこは、ナナシの持つお母さんとの写真に写っていた、あの場所だったから。

「こっからね、おばさんは落ちたんだよ」

アキヤマさんは言った。ゾッとするほど淡々とした声だった。

「あたしがお見舞いに来たときにね、落ちてきたの。あたしの目の前に。
ケラケラ笑いながら。顔がゆっくりグチャッて潰れてね。気持ち悪かった」

いつも無表情なアキヤマさんが顔を歪めていた。

僕は何も言えず、黙って聞いていることしかできなかった。

「おばさんはナナシにすっごい執着してた。おじさんがよその女と逃げちゃったからかな。
頭おかしくなって入院してからも、ナナシにはほんとに過剰に。
だから、あたしが仲良くするのも嫌だったみたい。気持ち悪いよね」

と笑った。

僕はそんなナナシの過去は初めて聞いたし、そんなふうに笑うアキヤマさんも知らなかった。

でもアキヤマさんの話は終わらず、僕にとって最も衝撃的な一言を発した。

「屋上にはナナシがいた。この、あたしが立ってる位置に」

それが何を意味する言葉なのか、わからないほど馬鹿じゃない。

まさか、と思った。でも確信してしまった。

「ナナシが……お母さんを……?」

「ここのフェンス、おばさんが落ちるまでもうちょっと低かった。
寒い時期だったから、他に誰もいなかったし。ふふふ」

と、アキヤマさんは笑った。

アキヤマさんがおかしくなってしまったと思った。そのくらい怖い微笑みだった。

「その日から、ナナシは段々おかしくなった。パッと見何も変わらなかったけど、変なことをするようになった。
変なものも、あいつのまわりで見るようになった。
藤野もそうでしょ?いろいろ見たよね?ナナシの家におばさんいたもんね?あれは失敗だったみたいだけど。たいしたことなかったし。
でもね、とうとうやっちゃったの!!!あぶないとは思ってたよ?やりすぎなんじゃないかなって?でもやっちゃったの!!もう手遅れになっちゃったんだよ!!!知らない!!!!あたし知らない!!!もうなぁあんもできない!!!!!あははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!」

狂ったようにアキヤマさんは笑い出した。

怖かった。アキヤマさんじゃない。こんなのアキヤマさんじゃない。

僕はアキヤマさんの両肩を掴んで揺さぶった。

「なんで!!!!!なにが!!!なにが手遅れなの!!???ナナシなにやったの!!!!ねぇ!!!」

「だって!!!!!!そ こ に お ば さ ん い る ん だ も ん !!!!!」

アキヤマさんがそう言って指差した先を見て、僕は全身に鳥肌が立つのを覚えた。

言葉がなにも出てこなくて、嗚咽のようなものが漏れた。

そこには確かに女の人がいた。

ラピュタのロボット兵のように手を垂らして、顔はうなだれていて、真っ白いパジャマを着ていた。

そして、ゆっくり伏せていた顔をあげて、グチャグチャに潰れた頭をコキッと横に曲げて、目を見開いて、ニカッと笑った。

「うぁあぁっ!!!!!」

俺は叫んで後ずさった。

アキヤマさんは指差したまま笑っていた。

怖い怖い怖い怖い怖い。それしか頭に無かった。

以前にもナナシの家で見たはずなのに、全く雰囲気が違う。気持ち悪いとしか言い様が無かった。

「キョウスケぇ、どうして逃げるのお?ママ、悲しいなあ?」

おばさんがニタニタ笑いながらこちらに向かってくる。

『キョウスケ』はナナシの名前だ。おばさんは僕らを、ナナシだと思ってるんだろうか。
「ちが、僕は、ちが」

「キョウスケぇえぇええっ!!!????!!」

おばさんが走ってきた。嫌だ。気持ち悪い。気持ち悪い。嫌だ。

「いやだぁああっ!!!!」

目を瞑ったその時、なにかが燃えるような音がした。

顔を上げると、おばさんが燃えていた。否、炎の中に消えたとでも言うのだろうか、しかしその炎も消えていた。

「なに、いま、の……」

惚けていると、何かに腕を掴まれた。

振り向くと、アキヤマさんだった。

さっきまでと違い、ハッキリした表情を浮かべているが、すごく青ざめていた。

「ナナシんとこ、行こう。ヤバイ」

アキヤマさんは言った。

僕も同感だった。

僕らは手を取り病院を出て、ナナシの家に向かった。

どのくらい時間が過ぎていたのか、あたりはもう暗かった。

チャリを飛ばしてナナシの家に向かった。後ろにいるアキヤマさんはずっと無言だった。僕も何も言えなかった。

やっとナナシのバカでかい家の前まできたとき、何か嫌な匂いがした。焦げ臭い匂いだ。
「ナナシ!!!???ナナシいる!!!!??」

僕はドアに手を掛けた。すると、鍵は掛かっておらずすんなり開いた。

不法侵入だの何だの何も考えず中に入って、あたりを見回した。

ナナシはいない。匂いのもとはどこだろう?
そう思っていた時

「……よお?」

後ろから声を掛けられた。

振り向くと、そこにはナナシがいた。

いつものヘラヘラした笑顔と、片手に大きな斧。

「な、なし、何して……」

「どうしたんだよ二人して。なあ?」

ナナシは笑った。でも、目はぜんっぜん笑って無かった。

イッちゃった表情?というのか、知らない人みたいだった。

そして気付いた。ナナシの後ろの部屋から、煙が立ち上ぼっているのに。

慌ててナナシを押し退けて部屋を見ると、そこはもう真っ白だった。

薄く見える、グチャグチャに潰された仏壇らしきものと、赤い炎。

「ナナシっ……お前」

「母さんを殺したんだ」

僕を遮ってナナシは言った。

「母さん、俺のこと殴るから。
優しいんだよ?優しいけど、殴るから。親父の悪口言いながら、殴るから。殺したんだ。
でも、母さんいなくなったら、俺、誰もいなくてさ」

ナナシは楽しい思い出でも語るかのように、笑って言った。

僕もアキヤマさんも黙って聞いていた。

「だからね、もっかい生き返ればいいなあって。今度は優しい母さんかもしれないじゃん?だから、頑張ったよ?俺。頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って」

不意に、笑顔が泣きそうな顔に歪んだ。初めて見る表情だった。

「成功、したと、思ったんだ」

そう言うとナナシは、斧を壁に叩き付けた。斧は深々と壁に突き刺さった。

「なのにさあ、母さん。俺のこと殺そうとするんだ。俺あんなに頑張ったのに。
だからもっかい殺したんだ。
でも、何回でも生き返って、俺のこと殺そうとするんだ」

ナナシは泣いていた。子どもみたいだと思った。

そんなこと考えてる場合じゃないし、実際子どもなんだから不思議なことじゃないのに。
それはすごく不思議だった。

「だから、ハル、いっしょに死んでよ」

そんなことを考えていたとき、ナナシが言った。言ってる意味がわからなかった。

「……は?」

「友達でしょう、俺ら。母さんに殺される前に、いっしょに死んでよ」

ナナシは僕に言った。

ナナシの表情は、いつものヘラヘラ笑いに変わっていた。

後ろから煙がどんどんやってくるのも見えた。

僕は発作的に、アキヤマさんに「逃げて!!」と叫んでいた。

「僕は大丈夫だから!!火がまわっちゃう!!!誰か呼んできて!!」

迷っていたが、アキヤマさんは頷いて走って行った。

僕はナナシをなんとかしようと思った。

「な、何言ってんのナナシ。お母さんなんていないよ。死んじゃったんでしょ。大丈夫だよ、きっと疲れてて……」

必死に言葉を並べてナナシを説得しようとした。

しかし、ナナシの後ろから迫るものを見て、二の句が継げなくなった。

「ひっ……」

さっき病院で見たものと全く同じものが、ナナシの後ろにいた。

なんで?さっき消えたはずなのに?と考えていた時、ナナシが言った。

「ね?逃げられないんだ。もう」

そしてナナシは、僕の首に手を掛けた。

ゆっくりと力を加えられて、煙のせいか僕は抵抗もできなかった。

「怖いの、もう嫌なんだよ。いっしょに死んでよ。お願いだからっ……」

ナナシが泣き笑いの表情を浮かべていた。ゆっくり目が霞んだ。

なんだか、死んでやらなくてはいけない気がした。

そして目が覚めたとき、ありがちな話だが、僕は病院のベッドの上だった。

アキヤマさんが呼んできてくれた、大人たちに助けられたようだ。

火事も幸いひどくならず、僕も気を失っただけで済んだ。

アキヤマさんは全容を大人に話はしなかったようで、ただの火遊びによる火事だと思われたらしく、僕は親父に目茶苦茶叱られた。

そして大人たちの話では、僕は家の庭に寝かせられていたそうで、だから怪我もなにも無かったらしい。

「……あいつは?」

そう尋ねると、大人は顔を曇らせながら

「火元の部屋で手首を切っているのが見つかった」と教えてくれた。

幸い命に別状は無いらしいが

「しばらく入院した後に、隣りの市に住む親戚に引き取られる」と聞いた。

「火事を起こしてしまったから、責任感じて発作的に自殺しようとしたんだ」と言われていたが、それは違う。

ナナシは最初から死ぬつもりだった。僕を巻込んで。

そう思うと、許せないという気持ちが沸いてきた。

殺されそうになったこともそうだが、結局最後はひとりで死のうとしたことが許せなかったのだと、今は思う。

親友だと思っていたのに、いろいろな意味で裏切られた。それが許せなかったんだと思う。

結局僕は、その後ナナシと一度も逢うことはなかった。一度も逢うことのないまま、あいつは死んだ。

理由はよく知らないが、自殺ではなく事故死だったそうだ。

あれから数年がたち、アキヤマさんは去年めでたく結婚し、僕は少し寂しい思いをしたりした。

そんな中で思う。

あの頃、ナナシがしようとしていたことを止めていられたなら、ナナシが怯えていたことに気付いていたなら、ナナシは今頃、こんな冷たい石の下にいることなんか無かったのかもしれないと。

ただ、それは全部後の祭りでしかない。どうすることもできない。

だからせめて忘れないように、ナナシの話を書いてきたが、今日でそれも最後になる。

今度こそ本当に、僕と、僕の親友の話はこれでおしまい。

(完)

 

怖い人(1) [ 平山夢明 ]

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