これはちょうど去年のこのころの話
854 :1 ◆cvtbcmEgcY :2013/07/17(水) 22:03:55.00 ID:AtFE2iYh0
先生がマレーシアの友達に会いに行くから、お前も来るか?
みたいなことを言っていた。
その時はめずらしく、先生が交通費を持ってくれるという話だった。
ちょうど、その時はすこし稼ぎがいい仕事が終わった後で先生の機嫌がかなり良かったのが理由かも。
成人してからは、先生からなけなしだけど、給料をもらっていたんだけど。
仕事の時、新幹線とかの移動費用も自分持ちが多かったから、かなりめずらしい話だった。
特に仕事関係のものでもないらしくて、俺はどうせならと考えて、ついていくことにした。まぁ、軽い旅行気分だった。
ちなみに、この話は妖怪関係とすこし違う話で、どっちかというと、人が怖いみたいなやつ。
その先生の友達って人は、昔仕事ですこしお世話になったという人で、中国人のおっさんらしい。そんで霊感がすごいうんぬんで、金牌術っていうよくわからない分野のものに詳しく、妖怪から、除霊とか、風水とか、なんでもござれの感じな人だった。
現地ではそれなりに有名な人らしい。
俺としては、その頃にはそれなりに貯金があったから、到着してからはすぐに先生と別行動して、帰るときに合流するみたいな感じに持って行きたかった。
行く前にはそれなりホテルとか物価とかしらべて、ひとりでインジョイするつもりだったんだけど。
そんな俺の考えを知ってか、先生は飛行機で俺にマレーシアの女はすごいんだぜ、ゲヘへ、みたいな話をしてきて。
そんで、友達に会った後に、俺を東南アジアの女の素晴らしさを知ることができる場所に連れて行こうか?と聞いてきた。
俺は3、4分 グヌヌって悩んだけど、やっぱり男なわけで、童貞を異国で捨てるのも悪くないなぁとかなんとかw
一人でホテルを予約していたんだけど、キャンセルした。
そんで空港から、先生に連れられて、その人の家に行くことになったんだけど。
最初はバスに乗って、2,3回乗り換えて、さらにタクシーに1時間半揺らされて、その後さらに車が通れないような細い道(町中なんだけど、なんか細かった)を徒歩で1時間。それでやっと着いた。
ちなみに、その間の荷物持ちはもちろん俺だった。
もしかしたら俺は先生に荷物持ちとして連れられてきたのでは?
とかおもった。
先生の知り合いの住んでいる場所はかなり古い感じのアパートみたいなもので、そのアポート一つ、まるまるその人のものみたいな感じ?
ぼろいけど、中は結構きれいで、住むには、いい感じだった。
俺と先生を出迎えてくれたのは、かなりのイケメンで俺と多分ほぼ同じ年の青年だった。
日本語ペラペラで、先生と話していたんだが、俺はほぼ無視された。
たぶん、雇われた荷物持ちだと思われていたのかも。
そんで、話の内容から、その青年の名前は、ワンなんちゃらで、中国人で、先生の友達ので弟子的な人だった。
無視されて少しムッとしたから、わんとか犬かよとか、大人げないことを思ったりもした。
そんで案内されてやっと、先生の友達の人にあったんだけど。
これまたかなりのイケメンで、後から、先生よりも年上で50台後半だと知ったんだけど40代のナイスミドルみたいな感じだった。
少し前にも質問あったけど、うちの業界ではイケメンは少し少ないという話をしたよね。これはとくに理由というのは定かではないんだけど。
最近自分が思うに、たぶん、イケメンのほうが女性的な部分が強いからじゃないかな?
あくまで憶測だから気にしなくてもいいが。
そんなジンクスを真向に崩された気がして、俺はすこしこの子弟に興味がわいた。
最初ナイスミドルのおっさんは先生とひさしぶりとか日本語で色々話して、そんで、俺の存在に気がつくとこの子は誰だ?と聞いてきた。
先生は俺のことを紹介すると、おっさんはリーなんチャラだと紹介した。
リーのおっさんは物珍しそうにすこし俺を眺めたりしたんだが、俺と先生を座れる席に案内して、ワンくんにお茶を出させた。
その間に先生とリーのおっさんが世間話を色々していて、俺がちょうどお茶を口にしようとしたら、先生にそのお茶は飲まないほうがいいぞ、と、たしなまれた。
先生にえ?って感じな顔をしたんだけど。
先生は呆れたかのように、昔は教えただろ?綺麗な部屋には気をつけろって。
そんで、そこでやっと思い出して合点した。
この家ってもしかしたら蠱を飼っているんですか?
って聞いたら。リーのおっさんはそうだ。と答えてくれた。
まぁ蠱毒って割と有名だから、wikiにも割と詳しく書かれていてるんだけど。
多分みんなが思っているような式神みたいなものとはまた違うんだよね。
かなり前に、そういった式神みたいなものは多分使える人は、いない、といったよね。
じゃあ蠱ってのは実際のところどういうものかというと……
ではまずは蠱についてかな。
蠱ってのは一種の人工的に妖怪に似た何かを作り出す手法なんだよね。まぁ、作り方とかはwikiに色々書いてあるんだけど。
蠱は呪いの道具として使われていて、蠱をすりつぶして、呪いたい相手に飲ませると、相手は呪われて死ぬ、というもの。
ただ、うちの先生によるとそんなもんマユツバにもほどがあるとのことだ。
普通に現代の常識的に考えて、たくさんの虫とか蛇とかを共食いさせたりとかすれば、それだけ生き残ったやつにたくさんの寄生虫が集まるし、それがないとしても、かなり汚い。
そんなものをすりつぶして誰かにのませたら、病気の一つや二つにもなる。しかも昔は医療環境がひどいから、多分そのまま死ぬ。
ただ、これだけだと、蠱の使い方としては下の下。
結局のところ、ただ毒を盛るのと同じだからね。
本物の蠱使いってのはもっと恐ろしいものなんだよ。
最初に言った通り正しい蠱とは一種の人工的に作り出された妖怪で、人間に対してはかなり悪い方向の感情をもっているらしい。
そして、その力というのは、どっちかというと座敷わらしに似たもので、昔話では、とある金持ちの一家が歴代にわたって蠱を飼っていたんだけど。
新しく嫁が家に入り、嫁には蠱を飼っているとは言わなかった。ある日、その家の他の人が外出して、嫁だけが留守番していたら、突然部屋に置いてあった大きな桶から物音がして、嫁が確認すると中には大きな蛇がいた。
びっくりした嫁は急いで、お湯を沸かして、その蛇にかけてころした。
家の他の人が返ってきた後、その話を聞いたら、みんな泣きだして、すこししたら、家の人間全員が病気でなくなった。
というものがある。
蠱の専門家でも何でもないから、説明がうまくなかったり、詳しくなかったらごめん。結局のところ蠱はなんの働きをするか簡単にいうと「寄生虫」みたいなもの。
蠱を作った人は、それを他人に「憑かせる」
作られた蠱によっては、その憑いた人から運気とか寿命とか色々吸い取って、そんで憑かれた人間が死んだりすると、また作った人の元に戻っていく。
ただ、ここで気をつけないといけないのは蠱はより住みやすい環境に住みつく習性があるから、たまに憑いた人の家が心地よくてそこに居座ることもあるんだけど、その場合、作った人も、憑かれた人も色々吸い取られて死ぬ。
しかも、蠱は一定時期に人を殺したりしないと作り手を殺すので、いったんつくったら、三年おきぐらいに新しく人を殺さないといけないとのこと。
じゃないと、作り手を殺す。
さらに、もし蠱が見つかって、誰かほかの術者とかに殺されればそれでも作り手は死ぬ
大体こんな感じかな?
そんで蠱をどうやって放つかというと。
これも方法が色々あるんだけど。
どの方法でも、あげる→受け取る、というサイクルが必要みたい。
例えば、財布みたいなものに蠱を仕込んでおいて、それを道端に置いていく。
そんで、その財布をねこばばすると、蠱はねこばばした人につくとか、
放つ側としては「財布を上げる」そして拾う側としては「財布をもらう」みたいな関係ができて、そこで蠱は拾った人に憑く。
だから、道端に物が落ちていたらむやみに拾わないほうがいいし、拾ったとしても警察に届けたほうがいい。
そして、蠱の厄介どころとしては、作り手が仕込む場合もあるけど、蠱は式神とかと違って自分の意思があるから。
たまに、独断で誰かについてしまうことも多い。
例えば、蠱を飼っている人が友人を誘って食事をするとしよう。
その友人とは親しいとしても、飼っている人は「食事をあげる」
友人は「食事をもらう」って関係ができると、蠱が無断に友人について、友人を吸い殺すことも多いらしい。
まぁ、これでも軽いほうで。
ひどいと握手を求める、それに応じられるとかだけでも、相手に憑いたりする。
だから、蠱を飼っている人は碌な人間関係はつくれない。
身内から死んでいくからな。
ちなみに買い物の場合では、お金を渡す→かわりに何か貰う。というものだから、憑かれる心配はないらしい。
そして蠱を飼っている家の特徴としては、ほこりがひとつもないほど綺麗。
人がたくさん住んでいる場所に家が建っている。写真が飾っていない、とかなんとか……
もちろん、蠱の予防策的なものもあって、他人の家で、ご飯とかいただくときは、箸でまずお椀をたたく。
ネギを持ち歩いて、他人の家に入る前に、齧る。万能な塩たっぷりしょうが水を外出後に飲んでみるとかとか……
ちなみに、蠱のいる家でお酒飲むのは厳禁で、かなりやばいらしい。
ここで話を戻すんだけど、俺はそんなことを思い出しながら、口をつけそうになったお茶を置いた。
蠱を飼っているなら、相手側に何も悪意がないにしろ、むやみに何かをもらったりするのはかなり危ない行為だった。
同時に、なんて物騒なもん飼っているんだ。
しかも、お茶を出してくるとか憑かせる気満々じゃないかとも思った。
すると先生はそんな俺の考えを読みとったのか、リーのおっさんは好きで蠱を飼っているわけではないと説明してきた。
どうやらそれは親から受け継いだものらしく、俺でいうイタチみたいなものだという。
そんで、それでもお茶を出したりするのは、礼儀がなっていないと。
蠱に愛想尽かされる可能性があるかららしい。
それで、もし憑かれたとしても、それは自己責任だとのこと。
一通り世間話が終わると、リーのおっさんは先生に見せたいものがあると言って、先生を別の部屋に案内していたった。
俺も付いていこうとしたんだけど、リーのおっさんは若い人にとってはつまらないものだといって、ワン君に町の観光案内でもしてもらいなさいと言ってきた。
俺はしかたなくワン君について行って、そこらヘんを散歩することになった。
ワン君も日本語がすごく上手だったんだけど。
なんか態度が悪いというか、微妙にこちらを見下している感じがあって、すこし気に食わないやつだった。
しかしワン君の対応自体は丁寧だし、お願いごととかは普通に聞いてくれる感じだった。彼としばらく町をうろついて、屋台みたいなところで色々食べたんだけど。
ワン君は結構すごかった。
なにがすごいかというと、みんなからの人気がやばかった。
なんか現地の言葉は理解できなかったんだけど。
町の殆どの人と知り合いみたいで、みんなから挨拶してもらったり。
お店なら、普通に食べ物ただでくれたりした。
現地に到着したのが午後の3時頃だったんだけど、そのまま町を2、3時間回って、特に観光スポットはないけど、異国の文化というかそういうのが新鮮だった。
お守り屋さんとかもあったんだけど、物珍しさから色々買ってしまったら、そんなもの何の役にも立たないから、もしほしいなら、私が効力のあるものをあげると、ワン君が言い出した。蠱のこともあるから丁重にお断りした。
そんでなんだかんだでリーのおっさんの家に戻ると、リーのおっさんと先生が消えていた。
そんでワン君によると、どうやら書置きがあって、二人で飲みに行くらから明日の朝まで留守番を頼みたいとのこと。
まぁ、二人は古い友人みたいだし、2人きりで話したいことでもあったのかもね。でも次の日の朝までとは……
まさか例の東南アジアの女性のすばらしさを知ることができるいいところじゃないよな……とか思ったけど、先生は帰るときに連れて行ってくれるという約束を信じて我慢することにした。
ワン君は俺に部屋を用意してくれたあと、この家で夜を過ごす時の色々の注意を言ってくれた。
まずは夜の間、決して目を手で触っては、いけない。
もし触りたい場合は、何か布とかでクッションしてから触るとか、夜の間は決して「死ぬ」とかそういう系の言葉を言っては、いけない。もしどうしても言いたい場合は「ああいうこと」とぼかすこととか色々……
用意してくれた部屋はまぁ、ビジネスホテルみたいな感じな部屋で窓がなかった。
でも、割と快適みたいだったから、ネギを少し時間置くごとに齧って、ワン君のくれた蠱よけの笛みたいなのを一定期間おいて吹いて、風呂を浴びて寝ようとしたそのとき、事件が来た。
俺がちょうどベッドに入ろうとしたら、全部屋中に響き渡るようなブザーの音が鳴った。
どうやら誰か来客が来たようで、俺は、まぁワン君が対応してくれるだろう。とおもって放置するつもりだったんだけど。
しばらくすると、下の階ほう(俺は二階の部屋を使わせてもらっていた)がすこし騒がしくなって、子供が泣き叫ぶ感じの声がしたりして、好奇心がわいてきたから、パジャマから普段着に着替えて様子を見に行くことにした。
すると、朝に俺が案内されたあの応接室?みたいな場所で、現地の人っぽい男3、4人と女の人が一人いて、その人が子供を抱きかかえていて、子供は泣いていた。
男の一人がワン君となんか話していて、ワン君は話を終わらせると、部屋から出て行った。
なにがあったの?って聞いたけど、急いでいるみたいで無視された。
俺は、なんだなんだ?とおもって野次馬根性で眺めていたら、ワン君が聴診器をもって再び部屋に戻ってきた。
聴診器を持ってきたワン君は子供に診察のようなことを始めた。
そんで、難しい顔をして大人たちと話し始めた。
しばらくそれをぼんやり眺めていたら、ワン君と目があった。
するとワン君はやっぱり難しそうな顔で俺のほうにやってきた。
何かあったのか?ときいたんだけど、どうやらリーのおっさんとワン君が住んでいる街には正式な医者がなくて、普段彼らが医者まがいみたいなことをしていて、それで、今日も今着ている人たちの家の子供が朝からお腹が痛いと言って、最初は気にしていなかったんだけど、夜になってから急に痛すぎてわめき始めて、しかたないからリーのおっさんを訪ねた。みたいな感じだった。
それで、なんでワン君とかが現地の人にあんなに尊敬されているのかが少しは分かった気がした。近くにいる唯一の病気が見れる場所のひとなんだもんな。
それで、まぁ、弟子のワン君もまだ半人前だけど、一応それなりに知識を持っているみたいで、その子供はどうやら急性盲腸炎みたいだ、とのこと。
それでどうやら結構切羽詰まっていて、今すぐ手術をしないとやばい症状らしい。
一応リーのおっさんとワン君は外科的な知識もあって、普段は本当に極たまに小さな手術もやったりしているし、盲腸もきったことあるらしいんだけど。
いつもはリーのおっさんがメインで、ワン君がお手伝いみたいな感じだった。
まぁ、もちろん2人は医者免許なんてないんだけどね。
それで、今日リーのおっさんは出かけているし、近所のでかい病院までといっても歩きで30分、さらに車で3時間かかるらしい。
子供の盲腸は進行が急速で、穿孔しやすいらしいから。さすがにそれでは命の危機がある。だから、今からなんとか手術をしたいんだが、手伝ってほしいとのことだった。
俺は、ハァ?みたいな感じだったんだけど。
ほかに手伝えそうな人くらいいるだろと、初めてエヴァに乗れと言われたシンジくん状態だった。
その時はナンデ俺が?とかおもったけど、どうしても手伝ってほしいとお願いされたから。
どうなっても知らんぞと無理やりワン君と現地の人たちに懇願されて、手術室みたいなところに行くことになった。
手術室みたいなところはアパートでいう3階のはじっこにあって、確かに清潔っぽかったけど、でもやっぱり衛生的には気になる環境ではあった。あと、機材もすごい簡易的なものばっかで、おいおい、こんなんで大丈夫かよ!とおもった。
そんで、一応白衣みたいなのを着替えさせられて、新品みたいな感じで袋に入っている手術道具とかを使って、ワン君は手術を始めた。
でも、妙なことに、俺に手伝えとかいった割には、なんにも俺にやれとか指示はくれなかった。
棒立ちのまま、手術を眺めていたんだが、ワン君の手並みはみごとなものだった。ブラックジャックみたいでカッコよかった。それでよくわからないまま、手術は1時間半から2時間?ほどで終わった。
子供はすやすや眠っていたんだけど、ワン君は疲れ果てたみたいな感じだった。
そして、ついてきてくれと俺に言うと、切り取った肉片?多分盲腸みたいなとこだと思うんだけど。
それを持つように指示されて、彼は手術室の地面にあった出っ張りみたいなのをひっぱた。
すると、そこには狭い階段みたなのがあって、すまない、今これを一緒にやることを頼めるのは君しかいない、三尸虫は分かるか?ときいてきた。
三尸虫というのはわりとしっているものだった。
先生によれば、一番かかわりたくない系のものの一つらしい。
昔の人は、なぜ人が年をとるのか知らないから、虫が人の命を食べている。と理解していた。
三尸虫は人の体に住んでいて、人の精神力というか、気力というかそういうのを食べて生きている。しかも厄介なのはこいつらは吸えれば吸えるほど喜ぶやつらで、宿主のことなんか全く考えずに、ひとを殺すまで吸ってしまう。
その後、また知らん顔をして新しく生まれる子どもとかに憑いたりしているんだ。
人間が道行をつもうとする場合、まずは最初のこの虫たちをなんとか殺さないといけない。
だから、昔の道士とかは重金属の水銀とかでできた丹をたべたりしていた。
三尸虫をころして、自分が死ぬ前に入道してしまえば!
みたいなかんじだけど、そうそう簡単にいかないからなぁ。
あと、神さまも三尸虫に吸い殺されることがあるとか。
つまり、マジでやばいものなんだ。
悪い例かもしれないけど、もののけ姫とかで、最初にでてきたあの豚の神さまから、すごいくろいにょろにょろがたくさん出ていたんだけど、あれを三尸虫のイメージにしてもいいかも。
まぁ、そんな感じなのが三尸虫で、それがどうしたのか、と俺が聞いたところで、ワン君は俺をつれて階段を少しおりながら、断龍杭のことは?と又聞いてきた。
断龍杭ってのも結構有名な話だ。
これまた起源は昔の中国だったんだけでど、明朝をひらいた朱元璋は、自分の作った王朝がまた、別の王朝に滅びされるのをおそれ、部下に命じて、中国全土の龍脈つぶしにかかった。
龍脈はまぁ、なんか風水的にすごいところで、昔は、龍脈の力を借りないと皇帝になれないと信じられていた。
まぁ、借りたとしても、その後の地殻変動とかで、龍脈の流れが変わったりして、王朝が入れ替わったりするらしいけどね。
そんで、その龍脈をすべてつぶす方法に使われたのが断龍杭。
でも、明朝のその行為により、明朝の龍脈が弱くなっても、漢民族から別の王朝が生まれず、代わりに異民族の清によって支配されるとかなんとか……
近代でこれにまつわる話だと、二次大戦中の日本とかあるね。
小国の日本は東南アジアを占領したりしたんだけど、支配している国のほうが圧倒的に人が多いし、土地もでかいということから。
とりあえず、そこら辺にある龍脈をつぶしまくったらしいね。
まぁ、結果、これは無駄になったかは知らんが、東南アジアではなく、新大陸がわからたたかれたわけですが。
と、そういう話をしながら、階段を下りていたら、急に肩から、後ろに向かって引っ張られる感じがした。
階段の中は結構真っ暗だったんだけど、後ろに人がいないのは確かだった。
でも、後ろからたくさんの息づかいというか、そういうのを感じた。
そして、妙に焦げくさいというか、そんな匂いがした。
すこし立ち止まったから、ワン君は少し不思議に思ったのか、早く来てくれ、と言ってきた。
すまないけど、俺はこの先から降りていけないんだ。と、俺は答えた。
前の話でしたように、例の俺のじいさんが焼き殺したイタチたちは別に、完全に復讐を遂げて満足しているわけじゃない。
そいつらはずっと、いまだに、俺をいじめてあそんだりしているわけなんだけど。
俺もどっちかというといじめてほしかった。なんというか、おれはMじゃないんだけど。
でも、家族がみんな死んだのは俺のせいというかなんというか、妹をあの日とめていればとか、そういうことで結構罪の意識があるんだと思う。
だから、何か罰がほしかったのかもね。
そんなこんなで、どうやら、彼ら的には、まだ俺は結構いじめがいがあるみたいで、極たまにやつらが役に立つこともある。
俺が死んだり、それに近いことになってもらってはつまらなくなるらしいから。
だから、なにかとマジでやばいところとかに行こうとするときはこういうふうにとめてくる。
霊感皆無の自分としては助かるんだけど。
存在は迷惑だった。
仕事柄、そういう危ないところに行くのはしかたないことだから。
ただ、無駄に恐怖心をあおられるだけで、結局行かないとだ学んだから。
でも、今回は違って、別に行かないといけない理由は何もないわけだから。
危ないなら近寄らないのがいちばんだ。
だから俺はワン君のお手伝いを断ろうとした。
すると、ワン君は、いらいらしげに、この下に断龍杭が刺さってあるんだ。
ひとりじゃむりだから、手伝え。と言ってきた。
俺は、えええ?みたいな感じになったんだけど、それを聞いて納得した。
断龍杭と三尸虫の組み合わせでいうとかなりメジャーで、つまり、俺は手術の手伝いとして呼ばれたわけではなくて、「祝死」という儀式の手伝いをするためにおばれたわけだ。
「祝死」というのは中国の「清」の時代にうまれた文化で、薩満たちによってうみだされたものだ。
清は中国の女真族という少数民族によって作られた国家で薩満はその民族のオラクルみたいな存在かな。
そして、この「祝死」ってのは非常におそろしい儀式なんだよね。
これは、三尸を寸断された龍脈に植えてるというもので、詳しい、理屈とかはわからないんだけど、とりあえず龍脈の「死骸?」をかりて、ものすごい勢いで増える。
これで、人工的に三尸を増やすことができる。
これを利用して色々三尸でやるんだけど。
この儀式にはすごいデメリットがあった。
当時の薩満たちは将来とかのことはあまり考えていなかったみたいだけど。
植えられていた三尸が龍脈を食い荒らしながら、どんどん増えて、最終的にあふれだしてしまうんだよ。
中国の18世紀とか19世紀初頭とかはかなり戦争で人が死んだりしたんだけど。
それが、この「祝死」によって、最終的に三尸が増えすぎて、マンホール的存在だった断龍杭をふっとばして、湧き出てきてしまったのが理由とか何とか……
すごく複雑で、俺もうまく言えないんだけど。
まぁ、因果ってものがあるじゃん。
原因があって、結果が生まれる。この概念がとても大切なんだよね。
たとえば、そうだね。誰かからプレゼントをもらうとするじゃん。
その誰かは、多分好意とか、まぁおかえしがほしいとか、そういう感情があって、それをおくってくる。
そしてそれを受け取る側としては、たとえそれに対してどんな思いを抱いたとしても、その二人の間に、つながりみたいなものが生まれる。
このつながりのことを因果みたいなようにいうんだけど。
昔の仙人修業とかは、なるべくこの因果がないほうがいいらしい。
浄化する人とかの話だけど、実際にいるかわからないがもし本当にいたとしたら……
たとえば、道端になんかの妖怪があるとしよう。
その妖怪は何も悪いこともしないで、ただ人間って面白いなぁーって人間を観察していた。
そこにその浄化する人が通りかかる。妖怪は浄化されて、ちりいっぺんもなくなってしまう。しかし、その妖怪にも友達とか家族とかがいる。
その浄化する人はなんの悪意もないけど、いつの間にか、その妖怪のそういう仲間と悪い関係を結んでしまう。
悪い原因があれば、いい結果が生まれるわけがない。この悪い原因のことを俺は先生から『『業』』とおしえられた。
問答無用で浄化するのは、つまり、街に出て問答無用で町の人を無差別に殺して、町のものを無差別にぶっ壊すのと同じ意味だと思うから。すくなくても、俺としてはかなりヤバい感じはする。
あとは、そうだね……
例えば、借金を背負った人がいるとしよう。
そんで、ある人が、その借金を背負った人をころしてしまいました。
そして、その借金を、背負った人は返せなくなっちゃうよね。じゃあ、その借金はどうなるかというと、因果の世界では背負った人を殺した人が返さなくてはなくなる。
妖怪とか殺すと、その妖怪がした悪さの分のつながりは、殺した人のものになる。それが殺したほうの責任というかそういうものだとおもうんだ。
まぁ、簡潔にまとめると、悪いことをしたてるんだから、そのうち罰あたってもおかしくないよな?みたいな感じだと思う。
浄化するのがわるいこと?って思うかもしれないけど、たとえ汚いものでも、存在しているならば、それには一定の天の意思というか、自然の摂理というか、うまく表現できないけど、そういうのがあるから、それをただひたすらぶっこわすのはよくないと思う。
ただ、どんな方面でも、害をしている=じゃあ、浄化すればいいじゃん。っていうのは絶対に間違えていると思う。
現代社会でそんなことができる人がいるなんて、少なくても俺は信じないんだけど。
いたとしても、やっては、いけないことだと思う。
ちなみに『業』の話の続きだけど
悪いことをする=いつか報いが来るというわけじゃないんだ。
いじめをすれば、いじめをされた人から恨まれるじゃん。
なら、その恨んでいる人が急にぶち切れて、殺しにかかってくる「可能性」
というか、そういう感じのものが『業』なんだと俺は理解している。
悪いことがいい結果につながる可能性は少ないけど、いいことをしても、その結果が悪いことを引き起こす可能性はかなり高いのも因果をむやみやたらに結ぶなということなのかもね。
『業』についてだけど、清めることができないから、恐ろしいんだと思う。
少なくても方法は俺は知らない。
死んでもなくならないらしいし、他人に移すことはできるらしいけどね。
妖怪と幽霊とか念とかの違いは、妖怪は生きている。幽霊は死んでいる。
ってのが一番の違いかな。
幽霊は足がないっていう話があるけど、あれはつまり、幽霊は死んでいるから、実際に物理的なちからがないんだよ。
じゃあ、どう人とかとかかわりあうというと、人に幻覚とかみせたりている。
妖怪は物理的なものかな?例えば部屋の中でなぜか足音がするとしよう。
この場合、周りを探してもなにもなけてば、それは幽霊がきかせている幻覚の可能性が高い。
もし、なにか物理的な証拠、たとえば足跡とかあれば、それは妖怪だよ。
音は幻覚の可能性があるから、どっちかといえない。
妖怪なら、何かしら証拠みたいなのはあると思う。獣の毛とか、変な足跡とか……
人間が妖怪になる方法だけど
そういうのはあまりわからないけど、『人不死、即成妖』って中国の言葉があるから。
とりあえず長く生きればいいと思う。
まぁ、中国はほぼ自業自得で祝死の影響をうけていたんだけど。
実は、日本も結構これの被害があったりするんだよ。
これは前にも言った通り、第二次大戦中に日本は東南アジア諸国の龍脈を寸断してまわったんだけど。
その時の話で、どっかの国の、とある風水わかる人に、日本軍にむりやり道案内をさせたんだが、その人は日本軍の軍人たちをつれて、龍脈にたどり着くんだけど。
その人はかなりすごい術師だったらしくて、色々策を巡らせて、龍脈を切断させたあと、軍人たちを殺した。
そして、その軍人たちの死体と三尸を龍脈に埋め込んで、祝死をして、軍人たちのしたいとか持ち物とかも利用して、半永久的に、日本を呪うすごい術を構えた。
そのある術ってのが、降頭術の由来というか、そういうものの大本かな。
基本的な部分は、ほとんどそれに似ていて、当時これを考えた人はマジですごいと思った。それが今回の本題である、降頭術である。
日本が呪われているって話なんだけど、日本人はほかの国の人間と比べて、現在はうまれながら三尸が一匹多いらしいよ。
いろんな人が色々試していたけど、結局直すのは無理だって話になった。そのため、修業とかそういうのはほぼダメになっている。
それも、式神とか霊使役とかが無理な要因の一つかな。
ここでひとつ、そういった系の修業とかの話を
なんかよくわからずにそういうおまじないとかに手を出すのはよろしくないことだからね。
もともと修業はなんのためにあるかのかという話なんだけど。
聖人になるためらしい。
その聖人ってのがなにかというと。
例えば、この世界が将棋の盤上だとすると、一般人は全員ただのコマなんだよね。
でも、聖人はこの将棋盤から飛び出して、将棋を指す人となっている。
つまり、聖人は天地と合一した存在になるということらしい。
それじゃあ、それにむけて何が必要かという話になるんだけど。
道、法、術、器の4つの概念をまず理解する必要がある。
なんか難しそうかもしれないけど、これを簡単にたとえると、ある人が車で青森から、東京までいくとしよう。この場合、この車が器。いい車ほど、スピードが出て、早く目的地に着くよね?
ちなみに「器」は使う道具とかの意味じゃなくて、才能とかそういうものをさすらしい。
そして「術」は技術、つまり、車では確かに少しくらい差がでるけど、片方が車運転歴10年のベテランドライバーで、片方が免許取りたての新人ドライバーだとたとえ器に少しくらい差があったとしても、ベテランのほうが確実に早く到着するよね?
「法」はなにかというと、これは方法。
つまり、青森から東京までどうやっていくのかということ。
例えば、片方が車でいくけど、もう片方が新幹線か飛行機で行くとしよう。新幹線や飛行機で行くほうは、どんなに器がだめでも、技術がだめでもより早い方法をとっているから、確実に早く東京に着く。
そして、最後が「道」だ。
道はつまり青森から東京まで行く方向だ。
どんなに早い方法でいい技術で、すごい機材をつかったとしても全然違う方向に行ったら、地球一周しても、目的地にはつけないよね。
「入道」「入道」ってよく言うけど。これはつまりこの「正しい道のりをみつけ、入ることができた」
ということ、つまり、どんなに時間がかかろうとも、でも正しい方向はつかめたから。
いつかはたどり着けるだろう、のような感覚でいいと思う。
ただ、目的地は青森から東京までとかの比じゃなくて、何億光年も離れて星とかなんだけどね。
現在でいう、霊能力者とか霊感があるとかいうひとは、この概念でいうと、器に頼る人間。
そして、式神とか、お札とかそういうのをできるという(実際できるのかうたがわしいけど)が術に頼る人間。
俺の先生によれば、人と妖怪とかとの間の関係を正しく認識し、交流する。我々のような人間がつかんでいるのが「法」
単純に「道」をめざすものもいるんだけど、これは無理なので、ただのバカであるとのこと。
これは多分まじめなお坊さんとかそういう人のこと言っているんだと思うけど。
別にお坊さんとかをバカにするつもりはないんだけど。
何がいけないかというと、ただ単純に道を極めては、もしその道の途中で何かしらアクシデントに出会うと対処できないからである。
我々は人間だから、世の中にいる限り様々な『業』を知らずの内につくってしまう。その『業』のせいで、たまに悪いこととかとも出会ってしまい。それで命を落としてしまうかもしれない。それじゃあ、いままで頑張ってきた意味が全部パーになる。
でも、だからといって、だたひたすら法や術、器に頼っていてはどんどん道を踏み外し、悪い方向に行ってしまう。
歩く神社とかという浄化する人だけど、やっていることは、車で道端にいる人を目的もなくひたすらひきまくっているのと同じなんだよ。
じゃあ、どうすればいい?って聞かれても、俺にはどうしようもないけどね。
ひたすら自分の利益のために「術」を磨くのもよくない。これは目的は特にないけど、とりあえず、車で他人の道をふさごう!みたいな感じになる。
そして、方法だけど。
これ自体はどんなに間違えても少なくても他人には迷惑はかからない。ただ、法は人が決めるものだから、それで自分を縛ってしまうと、もし方法が間違いの場合、正すのはかなり難しくなる。
青森から東京に行くためには、飛行機が一番はやいのに、車で出発してしまい。取りかえしのつかない感じね。