俺の先生の死因は溺死
310 :1 ◆cvtbcmEgcY :2013/12/08(日) 18:29:45.02 ID:93/u28YU0
今思えば、先生は水場というのが嫌いであった。
海は絶対に近づかないし、川にさえめったのことない限り近づかない。
水道とかでさえ、あまり使わずに、水分補給は、いつもペットボトルで、風呂は、浴槽にためたやつを使う。
昔、夏に先生を海に行かないかと誘ったことがあるのだが、もちろん断られた。
何でそんなに水が嫌いなんだとか聞くと、先生は、いつも自分には霊感があるから。
水辺とかそういう妖怪とか幽霊とかたまりやすい場所にいくと気分が悪くなる。と説明していた。
でも、一度酒を一緒に飲んでた時、先生はうっかりなのかわからないが口を滑らせて、自分は小さい頃港町で住んでいて、小さいころは、いつも海で遊んでいた。
潮干狩りしたり、釣りしたり、もちろん泳いだりもした。
しかし、あるとき、先生が海で泳いでいるたら、何かに掴まれた感触がして、それで溺れそうになった。
そして、ひとつ上の兄が溺れ死にそうだった自分を助けるため色々頑張って、結果自分は助かったけど、兄はかわりになくなってしまった。
とか言っていた。
先生はお酒が結構好きだった。
しかもどっちかというと強いほうで、居酒屋めぐりとかが趣味だったりした。
あんなふうにべろんべろんに酔うの俺が知っているなかではあの時だけだった気がする。
俺もまぁまぁ飲むほうなんだけど。
強いほうじゃないし、特にビールとかの美味しさがまだわからなくて、いつも果肉入りのなんとかサワーとかを頼むタイプだった。
ちなみに先生によれば、脱童貞できればビールのおいしさが分かるらしい。
本当かどうかわからんが。
酔ったその日の飲みは、ちょうどとある仕事を終えた後で、詳しくは先生の話だからあまり語らないけど、ある家の妖怪を追い出した。でも、その家の子供は多分だけど虐待を受けていて、その妖怪は子供のことをかばおうとしていたのかもしれないとか、少なくとも、俺と先生は推測していた。
そして、俺がサワー2杯くらい、先生がアツカン3合くらい飲んだ時に、お前は、俺のやっていることがあくどいと思うか?と聞かれたんだ。
俺はすぐさま頷いた。
すると先生は笑って。
実は自分でも、たまに自分のやっていることがすこし残酷じゃないのかとか思うことがある。でも、例えそうだとしても、後悔はしていない。
なぜなら、それは間違いなく自分のその時にやりたいと思ったことだからだ。
人間はセイチョクにいきるのが一番だ。とかなんとか。
俺はセイチョクって何ですかと聞いた。
すると先生はお酒が入ってか、すこし饒舌になって語り始めた。
セイチョクってのは「正直」ってかいて「セイチョク」って読むんだよ。
でも勘違いするな、セイチョクは「ショウジキ」じゃない。
「ショウジキ」はお坊さん用語で、嘘をつかないことを指している。
お坊さんたちの世界ではウソをつくと地獄に落ちる。たとえそれが人のためのウソでもだめだ。
まぁ、お前も酒が飲める年になったから、世の中には「良いウソ」ってものがあるくらいしっているだろうけど、でも、そんなことお構いなしに、ついたら地獄。
だからウソをつかずに「ショウジキ」にいないとだめだ。
でも、セイチョクは違う。セイチョク正直、文字通りまっすぐであるという意味だ。
何にまっすぐか、そりゃあ、自分の心にだよ。
そして、先生は、昔のすごい人で孔子ってひとの話をしてくれた。
ある日、孔子がある国の王様と話をしていたら、その王様が、
「うちの国のものはみんな正直だ!例えばAの家の父親がBの家のヤギをぬすんだ。
すると、Aの家の息子さんが、自分の父親が盗んだと証言したんだ」
すると、孔子はこう答えた。
「私が思う正直はそうではありません。もし親が盗みを働いたら、子供はそれを隠し、子供が盗みを働いたら、親はそれを隠ぺいする。これが本当の意味での正直だ」と。
自分の心に素直に従って行動する。
これがとても大切だ。妖怪と接する際も、人間と接する際もこれだけは変わらない。
自分の本当の心に従うんなら、うそついても、ごまかしても、なんか悪いことをしても、それはしかたないことだ。自分の本心なんだから。
セイチョクに生きるとどうなるかというと「満足」する。
「満足」している状態こそが一番心にとっていい状態で、それこそ、幽霊や妖怪なんて目じゃない。
「破ァ」でそういうのを追っ払うとか言う話があるけど、あれこそ真の意味で「満足」している人間だからこそできることが。
とかなんとか、確かそういう話をされた。
でも、そこで俺はふっと疑問を抱いた。
そして先生に、なら自分の心の欲するままに行動すればいいなら、●ックスしたいなら●イプすればいいし、ものがほしいなら盗んだり奪ったりすればいいけど、そういうのも仕方ないの?
すると先生は、それは、いい質問だ。といった。
自分の心の欲望を満たすために好き放題やる。
しかし、これも心にとっては良くないことだ。
なぜかというと、心が「満足」を忘れてしまう。
いつの間にか心の中では、いつも「もっと、もっと、次は、次は」とひたすらそれだけになってしまう。これが、「魔」だ。
お前は霊感ないし、術とかそういうものとも無縁だろうが、この魔というのが、この業界の人間を滅ぼす一番の理由だよ。
いつの間にか心が欲望だけになった、満足することも、自分の心の目指すべき本当の道も見失って、最後は妖怪よりもみじめなものになってしまう。
魔が差す。とはよくいったもんだね。
その頃にはもう先生から道とかの話しをされていたんだが、それについても、先生は触れた。
魔は、道をくもらす。
昔の修業するやつらはよく厳しい訓練とかしたりするんだけど。
なぜかというと、この魔を産まないためだ。
しかし。まがさす、という言葉のように。魔は駆除できるものではない。
ならどうすればいいのか。中国では無為自然という言葉がある。
なにもしない、何ともかかわらない。
そうすれば、魔はうまれない。
でも、これも無理だ。当たり前だが、なにもしないとか、死んじゃうwwww
じゃあ、どうするべきか。
まずは自分の心の中の魔を見つけて、それと向き合うこと。
自分の醜いこと、ダメなとこ、そういうのをちゃんと受け止めること。
それで卑屈にならないこと、なんか妙に自信かになったりしないこと。
あるべき現実をあるべきように受け止めて。
そして、それに振り回されて一喜一憂しないこと。
それができて初めて、人間としては一人前。
で、そこからも大切だ。
あ、ドヤ顔でまがさすとか言おうとしたら、先に言われてた。はずかしい。
魔を駆除ぜず、手を引いて、自分の心の敷いたレールの上をゆく。
これが本来の意味のセイチョクだ。
しかし、自分ひとりだけで生きていく場合ならこれでいいかもしれないが、世の中にはたくさんの人間がいて、その人たちと関わり合いを持ちながら、我々は生きていかねばならない。
この時、他人がわれわれの心をぶらしてくる。
例えば、どっかの会社のサラリーマン。自分の本心を保っているとしても、例えば嫌な上司がいて、その前で嫌なのにぺこぺこしたりする。
すると、自分がどんどんと自分の本心が嫌になってしまう。
そして、いつの間にか本心を拒絶してしまい。
セイチョクどころか、魔でさえも直視しない。
これが今はやりの「鬱」だ。
じゃあ、どうすればいいか?
そんなのわからん。わかっていたら私もとっくに「聖人」だ。
方法は自分で探すしかない。
先生には、いくつかのポリシーみたいなのがあった。
例えば、こういう清らかなことを言ったとすると、同じくらい卑猥なことをいうとか、誰かに親切をしたら、その直後に同じくらいの意地悪をするとか。
そういうところのある先生は、さらにこういうことを言った。
私は自分の魔を手なずけるのがへただ。
だからこうしていつも、行動で自分に言い聞かせないといけない。
自分は善人でも悪人でもない。
自分のやっていることに、自分の本心以外、別の理由をつけては、いけない。
善悪ではなく、自分が何を選ぶのかが大切だということ。
そして、自分の選んだことなら、決して後悔はしない。
こういうやり方を、中庸の道という。
私は、これが自分にあった道だとおもっている。
だが、多分、お前にこれは向かない。
じゃあ、お前はどうする?
お前にとっての本心とはなんで、どういう道をとるか?
その年だ。そろそろ決めなさい。
俺はそんな先生の話を聞いて悩んだ。
思うところはたくさんあったんだが、自分の道とかそういうのを言葉にして言えるほど、多分まだ俺はおとなじゃなかった。
先生が俺にこの話をしたのも偶然とかじゃなかった気もした。
かなり最初のほうで、うちの流派の話をしたが。「搬山」というもので、これの由来は愚公移山だ。
昔々、あるところにある村があった。その村は交通の便がかなり悪かった。
というのも、その村の目の前に大きな山があったからだ。
その村で一番頭の悪いじいさんは、これをなんとかしようとして、その山まで行って、土を掘って、その土を持って遠くの海までいき、その土を海に捨てた。
彼は毎日それをやった。そして、彼の息子と孫も、それを手伝った。
それでも、毎日海に捨てられる土の量は、微々たる量だった。
すると、村の最も頭のいいじいさんはその頭の悪いジンさんに言った。
「あんたがどんなにがんばったところで、それくらいのことで山が本当になくなることはないだろう」
それを聞いた頭の悪い爺さんはこう答えた。
「確かにそうだ。少なくとも私の生きている間に、この山は動かないだろう。だって、毎日これくらいしか捨てられないんだから。
しかし、私が死んでも、私の息子は毎日土を掘っては捨てに行く。
息子が死んでも、孫が毎日土を掘っては捨てに行く。
孫が死んでも、その子供が。その子供が死んでもその子供の子供が、毎日土を掘っては捨てに行く。そして、それを積み重ねば、いつかは山はなくなる」
村で一番頭のいい爺さんは、それを聞いて絶句した。
一方、その村の前の山の神さまがその頭の悪い爺さんの話を聞くと、やばい、この爺さん本気だし、多分マジでこれを実行される。
なら、山を無くされるくらいなら、どっか別なところに移ろう、と、自分で山を移動させた。
搬山流で最も大切なのがこの頭がわるい爺さんのような意志だ。
詩を歌う際とかも、この意志を持って歌う。
つまり、自分は決してあきらめない。どんなことがあってもあきらめない。だから、そっちのほうから折れろ。というようなことを妖怪に伝えるのが大切だ。
でも、それをやるには、自分の心の道をまずは見つけないといけない。
道しるべもなく、それほど強い心を持てる人間などありえないからだ。
ちなみに魔道も、道のひとつだよ。
自分の本心を完全にすてて、ひたすら、自分の欲のみに忠実に行動する。もちろん欲求はどんどん膨れ上がるんだけど。
もし、どんなにふくれあがっても、それを叶える手段をもっているとしたら、最終的に、この世のすべてを自分の思い通りにできるようになり、魔道にて、聖人に至るというわけだ。
先生の話を聞いて、少し俺は考え込んだんだが、やっぱり自分の道なんてまだよくわからなかった。
そして、ふと疑問がうかんだ。
そういえば、先生はどうやって自分の道をみつけたんだろう。
まぁ、人間なにも経験せずして、自分の道を見つけられるなんてめったにないことだから。もちろん先生にだって、きっかけとか、そういうのがあるはずだ。
俺が素直にその疑問を口に出すと先生はそこから、自分の出生を語り始めた。
まず最初にびっくりしたのが、なんと先生はある港町の小さなお寺の次男坊だった。ということだ。
やっぱり寺生まれはすごい。
焼きそばを書きこみながら、俺はそう思った。
先生は三人兄弟だった。
長男と、次男である先生、そして三男。
両親は厳しい人たちだったらしく。かなり躾とかにうるさかったとか。
そして、まぁ、お寺の生まれってこともあって、結構仏教とかに触れる機会が多かった。
先生は小さい頃、自分の両親が嫌いだった。というより、怖かったらしい。
兄である長男は、かなり優秀で、両親のほこりだった。
そして、三男は末っ子ということもあり、大人たちから可愛がられた。
そんな中で、先生は自分が一番親に愛されていないのではないかと考えていた。
なぜなら、兄は優秀さもあってか、あまり叱られることがなかった。
弟は可愛がられていたから、何かやんちゃしても、仕方ないなー、という風に流されていた。
でも先生だけは、何かをやらかすごとに、いつもこっぴどく言われていた。
失敗するときに叱られる言葉といえば、
「兄さんの小さい頃はこんなことはしなかった」とか、「お前は本当にダメな子だな」とかそういうやつ。
その割には、あまりほめられることもなかった。
学校で、自分としてはかなりいい成績をとっても、家では「もっと頑張りなさい、お前の兄さんのこのころはもっと高い点を取っていた」
とかであった。
先生の兄はやさしい人だったらしい。
先生が叱られて、一人部屋の中に閉じこもって泣いているときでも、いつも慰めてくれるのは兄だけだった。
でも、先生は家族の中で一番兄のことが嫌いだった。
兄は、いい人だと分かっていたんだけど。
それでも、嫉妬というか、兄のその優しさがかえって自分をみじめにしているような気がして、なまいきだった弟以上に、兄とは顔を見たくなかった。
そんな先生だったけど、ひとつだけ、自信があることがあった。泳ぐことだ。
先生の兄は、運動神経はかなりのものらしかったが、泳ぐことに関してだけはからっきしだった。
一方、先生は泳ぐことが大好きだった。
学校が終わると、いつも友達と海に潜っていた。
泳いでいるときだけは、兄より自分が優れている感じがしたらしい。
ことの起こりは先生が10歳の時のこと。
初夏の頃の話。普通の年なら、そこまで暑くないはずの時期だったんだけど、その時はかなりの猛暑だったらしい。
学校のプール開きはまだだったし、仮に開いていたとして、海のほうがたのしいから、そっちに行っていたんだろうけど、先生は友人たち何人かと一緒に泳ぎに行く約束をした。
しかし、それを親に伝えると、父親から反対された。
普段はそんなことないはずだったんだけど。なぜかダメだと言われた。
なんで?と父親に聞くと。これはお前の書いたものか?と先生に一枚の絵を見せてきた。
そこにはうねうねとしたミミズのようなものが書いてあった。
しかし、そのミミズからは足のようなものが3本伸びていて、全体的に真黒に塗りつぶされていた。
確かに、それは先生の書いたものだった。
以前海辺に遊びに行った時、岩場でみた変な生き物だった。
学校の美術の時間に書いたものだ。
先生が確かに自分が書いたものだと答えると、父親はさらに聞いた。お前が見たものなのかと?
先生がさらに頷くと、父親は、ならお前は今年、海にいっちゃいけない。と、そういった。
そんなことでもちろん先生は納得しなかった。
なんでいっちゃだめなの?と父親に聞いたが、父親は駄目なものは駄目だと一点張りだった。
さらにやっぱり行きたいと言い出すと、父親は怒り始めて、こっぴどく先生を叱った。そして、今日は一日中家を出るな。といった。
先生はあまりの理不尽さに、悲しくなって、また自分の部屋にもどると、また隠れて泣きはじめた。
すると、父親が叱っているのを聞いたのか、兄が部屋にやってきた。そして、何があったと、先生に聞いた。
兄は話を聞き終わると、少し笑って、なんだそんなことかといった。
そして、兄は先生にある提案をした。
先生の兄は親からかなり信頼されていた。
だから、今日は友達とドッジボールをするとウソをついて、弟の先生も連れて行きたいと親に言う。
先生は今日の間、家を出るなと言われているが、さすがに、いつもしっかりしている兄が世話をやくといいだすなら、外出は許可してくれるだろう。
まぁ、泳げない兄が先生を連れて海に行くなんて思わないだろうしね。
そんで、兄は先生と一緒に海に行く。水着とかは隠して持っていけばいいしね。
子供が考えるようなザルな作戦だったけど。
海に行きたかった先生はこの話にすぐに乗った。
兄はさっそく、その話の許可を父親からもとめた。
父親は、いいが、絶対に弟を海に連れていくなよ。と念を押したが、結局、許しを出した。
多分父親のほうも、次男を家に一日中閉じ込めておくのはすこし申し訳なかったのかもしれないね。兄も同行するし、とかで安心した部分もあったのかも。
しかし、兄と先生は家を出ると、すぐさま海に向かい始めた。
海についた先生は早速海に入って遊び始めた。
兄は泳げなかったけど、やっぱり猛暑に堪えたのか、すごく浅いところで水につかっていることにした。
ちなみにだけど、そこは砂浜とかそういう立派に整備された海水浴場のような場所ではなく。むしろごろごろとたくさんの岩が転がっているような場所だった。
先生と、その時待ち合わせしていたメンバーは、よくそこで泳いでいた。
岩が結構多かったためか、潮の流れがあまり急じゃなかったし。
溺れそうになっても、すぐにそこらヘんのでこぼこした岩に掴まれるから。
地元で泳ぐというと、そこだったらしい。
先生は待ち合わせていた友人たちと泳いでは、はしゃぎまくっていたんだけど。
そのうち、友人たちは疲れて一人また一人と、兄のいる水の浅い場所に移動して、兄とおしゃべりするようになった。
しばらくたって、気がつくと、先生は一人で泳いでいて、自分の友人たちは全員、兄と何やら楽しげに遊んでいた。
すると、先生はなんだか自分の友人をとられた気分になって。
なんだかいたたまれない気分になった。
先生は少しむきになって、自分は泳げるから、一人でも楽しいしとか強情を張って、正直少し疲れていたんだけど、浅瀬にもどらずにもっと水が深い場所に向かった。
そして、そのかなり水深があったところに着くと(実際は2メートルくらいらしいけど、子供からしたらかなり深いだろうね)
そういえば、あのヘンテコなミミズを見たのも、ここらヘんだなぁと、思い出した。
でも、なんで急に父親は海にいっちゃいけないとか言い出したんだろうとか、ぼんやり考えていた次の瞬間。
先生は右足のほうに何かひんやりとしたものが触れたような気がして、そんで、全身が急に動かなくなった。
あ、やばいとか、思う暇もなく。
何かに足をひっぱられたような感覚で、先生の体はぐっと、水面下に沈んだ。
あまりにもいきなりのことだったから、先生は何口も水をのみこんでしまった。
それでも、みずに慣れていた先生はなんとかして態勢を立て直そうともがいたが、やっぱり体は思うようにうまく動けなかったし、ぐいぐいとひっぱられる力のせいもあって、逆にどんどんと沈んだ。
息ができなくなって、半分パニックになって、水の中では上下左右もわからなくなって、先生の頭はどんどん真っ白になった。
そんで、ふとした拍子だったんだけど、先生は水中で目をあけた。
塩とか水中のゴミとかそういうのでかなり目は痛いし、みずの屈折とかもあるし、落ち着ける状況ならともかく。パニックな頭で一瞬で状況を把握できるわけなんかなかったんだけど。
先生はなぜかそれだけは奇妙なほどクリアに見えたと言っていた。
真黒で、毛むくじゃらで、目も口も鼻も耳も顔さえもなかったんだけど。
不気味なニタニタした雰囲気をだしていて、それからは何か黒いモヤのようなものが自分の足に伸びていて、絡みついていた。
そこからの先生の記憶はあいまいになったらしい。
深い水の中で、一体何が起こったのかはもう覚えていなかった。
しばらくして、意識をぼんやりと取り戻すと、まわりでは焦った、大人の声とかが聞こえてきた。
口の中からは激しい異物感がして、頭はガンガン痛く、体はピクリとも動かなかった。
なんとかして無理やり目をあけると、まず見えたのは、自分のすぐ隣に横たわっている誰かだった。
だれだろうとか、自分はどうなったんだろうとか、どこか思考が遠く、まとまらなかった。でも、目線を少しづつずらし、なんとか隣の人物の顔が見えた。
先生の兄だった。
顔は真っ青になっていて、目と口は半開きになっていた。
あれ?どうして兄がとかおもったのは一瞬。次の瞬間、兄の瞳はじろりとこちらを向いた。何かすごい感情がこもった目だった。
もちろん、言葉はなにもなかった。
でも、なぜか先生にはその目だけから、兄の言いたいことがわかった。
「おまえのせいだ。」
そこで、先生は再び、気を失った。
あとから先生が聞いた話。
先生が溺れてからしばらくたってやっとそれに気がついた子供たちは、あせって大声をだしたりして大人を呼んだ。
幸い、その日は暑かったから、近くで他の大人たちも泳いでいて、なんとか駆けつけた。
そしていつの間にか兄が子供たちの間から消えたこと。
たぶん、兄は弟である先生を助けようとしたこと。
兄は先生の近くの場所で溺れて死んでしまい、先生は助かったこと。
とかそんな感じの話。
でも、先生はそんな話を信じられなかった。
兄は泳げなかったのである。そんな兄が自分を助けるために水が深い場所に来るなど、ただの自殺であることなんて明白だった。
葬式やら、何やら色々あって。先生の両親はずっと泣いていて、病院に2,3日いた先生が家の中に帰ると、ひたすら居心地がわるかった。
だれも先生をせめなかったんだけど。
しかし、なんとなく、まわりは自分のせいで兄が死んだのではないかと考えているのではないかと思った。
父親ともまともに話せなかった。
なんせ、海に行くなといわれたのに、それをやぶって、しかもこの始末である。
というか、父親だけでなく、周りとも目もまともに合わせることができなかった。
目を合わせると、お前が悪いといわれている気がした。
誰とも話したくなかった。
学校にもいかず、ずっと一人部屋に閉じこもっていた。
食事は、いつもいつの間にか部屋の外に用意されていた。
そして、ひさしぶりに口を開いたのは、兄の四十九日だった。
夜になって、父親に無理やり部屋から引っ張り出されて、こういわれた。
「兄に会いに行こう」
先生と父親は月明かりの中、先生が溺れた場所の近くの岩場まで向かった。
そして、しばらく二人とも無言でじっと水面を見つめていた。
先生は兄さんはなんで死んでしまったのだろうかとか、あの水の中でみたものは本物だったのだろうかとか色々と考えた。
すると、暗い少し離れた水面のほうに、何かが見えた。
靴だった。
たしか、あの日、兄が履いていた靴だった。
なぜかその時は先生は、あれを拾わないと!とか思って、そんで、ニ、三歩海のほうに近づくと、ガシッと後ろの襟を父親に掴まれ、どうしたんだ?と聞かれた。
兄さんの靴があそこにある、と先生が答えると。
父親はどこにある?よく見てみろと言ってきた。
先生はもう一度、目をこらえて先ほど靴があった場所を見てみると、今度は何もなかった。
あれ?と先生がふしぎに思っていると。
父親は何かに納得したかのようにして、そして先生にこういった。
内地のほうに知り合いがある。お前をその家のほうに送る、と。
そこからの話を、先生はまぁ色々あったと略した。
とりあえず、わけもわからず急にある人のオウチに居候させてもらうことになって、その家はかなり遠い親せきの人で、歳をとった夫婦だったんだけど、子供がいなくて、それなりにかわいがられた。
そして、兄の死からしばらくして、先生は水の流れがある場所がこわくなった。
というのも、死んだはずの兄の声が聞こえてくるらしい。
最初はなにか聞こえないことをひたすらささやくだけだったんだけど。
だんだんと、その声はエスカレートしていった。
兄の声は様々なことを語りかけてきた。
実は兄も自分のことが嫌いだったこと。
確かに兄と三男は親から甘やかされたが、でも、兄弟の仲で、いつも先生が一番親に注目されていたこと。
両親は、いつも次男の先生と一緒にいることが多かったとこ。
自分はどんなミスをしても、親に軽く流されていて、どこかないがしろにされていた感覚があって、先生がうらやましかったこと。
先生が叱られると、良い気味だとおもっていたこと。
泣いている先生を慰めることで、自分はできた人間だと良い気分になれたこと。
そして、自分が死んだのは先生のせいだ、ということ。
先生は、その後実家に戻ることはなかったらしい。
なんだか、あの町の、あの海の近くに行くのがこわかったからだ。
中学に入って、高校に入って、そして大学で京大に入った。
大学に入ると、父親ががんで亡くなったと知らされた。
大学ではとにかくいろんなことを勉強して、いろんな人と出会って、やっと、自分を悩ます兄は「倀」という存在になったのではないかと分かった。
兄は、いまでも、あの海のほの暗いそこで、先生をおぼれさせたいとおもっているんだと。
自分には霊感のようなものがあって、自分の両親は自分を守るために、色々ときついことを言っていた。
自分は両親が嫌いなわけではなく、好きだからこそ、愛してほしかった。
自分が兄に対して複雑な感情を抱いているように、兄も自分に対して色々思っていたこと。
そして、先生は後悔した。
父親にも、兄にも、言いたいことはたくさんあった。
でも、周りの状況とか、自分の意地とかとういうのが邪魔して、素直になれず、何も言えずに二人はもうなくなった。
そうして先生は結局のところ自分という人間にとって、一番大切なものが何なのかを見定める力が足りないと、そう感じた。
まぁ、人間ならそういう部分少しくらいあっても仕方ないかもしれないが、先生の父親は頑固おやじで、先生も少しそれに似てしまったせいかもしれないが、素直になれなくて、それで苦しむことが多かった。
だから、先生は中庸の道を選んだ。
中庸はよく中途半端とかそういう意味で勘違いされるけど。
本来の意味はそういうものではない。
どんな時でもその時々に起きたことを判断する場合、どちらにも偏らず、自分の平常心で行動でする、という意味だ。
まぁ気になる人はググってみれば、もっと深い話とかあると思う。
前にも言ったが、先生はポリシーというかそういうのを持っていて、良いことをしたら、同じくらい悪いことをするとか、正直なことを行ったら、次はウソをつくとか、はたから見たらただのおかしい人なんだけど。
これは一種の願かけで、そういう風にして、いつも自分の素直な気持ちを見つめることにしているらしい。
これが先生が自分の道を選んだ経緯だ。
話を聞き終わった俺は、先生にではなぜ、俺にはこの道が向いていないんですか?
と聞いた。
まぁ、話を聞く限りこういう考え方とかも悪くないかなぁと思う部分もあったからだ。
先生は俺の質問にこう答えた。
世の中には霊だの幽霊だのが見える人間と、そういうのが全く見えない人間がいる。
そしてさらに、そういうのを見えると主張する人間には、本当に霊感があるひとと、霊感がないのにあるといっているひとと、二種類存在する。
でも、この二種類の人間、どっちにしても、どこか心がおかしい人間だ。
この世に本当にいるのかいないもかも分からないようなものが見える人間ってのは、どこか心に闇がある。そういう闇を通して、人間は化け物を見つけだす。
そして、見えないくせに見えるとか言い出すような人間も、心は不健康だ。そんなウソをつくやつはつまり、心がどこか満たされていない人間である証拠だ。
まぁ、見えない人間が全員が全員正常とは、いわないが。
でも、先生の見立てでは霊感のない俺は、精神的な部分においてはきわめて健全な人間であるということだ。
そうなれたのは、きっと俺が良い育てられ方をされたからだ。
もちろん先生にではなく。
もうすでにいなくなった。俺の家族のほうだ。
人格を形成する一番大事な時期に、俺は間違いなく幸せだった。
今でもたまに思い出すんだ。
ちょうど昨日金曜日だったけどさ。俺が小さい頃の金曜日は、よく家族全員で金曜ロードショーとか一緒に見てた。
俺は親父の膝の上で、妹は母親の膝の上。
そんでインディ―ジョーンズとか見て、重要なアクションシーンとかになると、俺は少し背伸びをして、わざと父さんの目線を遮って見えなくするといういたずらをした。
そんで父さんは、いつも、ちょ、おまwwwwみたいな感じで、なんとか見ようとして、頭をよこにずらしたりするんだけど、俺もそれに合わせて頭を振って隠したりして、最後は、父さんが顎を俺の頭のてっぺんに乗っけて、こら!つかまえたぞーみたいな感じなこと言って、となりでみてた母さんも、妹も、それで笑って。
少しエッチなシーンとかになると、急に父さんが手で俺の目をふさいだりして、いや、俺はもうこういうのわかるからとか、指の間から覗いたりもした。
そういう家族だった。だから先生がいう、俺が幸せだったというのは多分間違いなかった。俺は良い家庭で育てられた。
先生は自分は自分に素直になれない人間であるが、俺はそういう人間ではないと言った。
何か喧嘩した後でも、すぐに笑って人に謝ったり、許せたりして。
傷ついたりもするが、その分他人のこともおもったりもできて。
よくついついさぼっちゃうが、それでもなんとか自分を律することができて、自分の幸せのよりどころというか、そういうのがはっきりとわからないかもしれないが、ぼんやりとイメージできて、そしてそれを追い求めることを恐れない。
俺のそういうところが、間違いなくただの「普通の人間」であると、先生は評した。
でもだからこそ、そんな俺には、道についてのアドバイスはできないと先生は続けた。
この業界の人間は大抵どこかおかしい境遇があって。
正直、殆どのやつはみんな頭がわいている。
そんなどこか心が欠けている奴なら、それなりに苦労はするだろうが、自分の心に住む「魔」はすぐに見つかるし、自分にあった道もかなり分かりやすい。
自分でわからなかったとしても、少し人生経験があれば、そんなもの簡単に指摘できる。
でも、俺が「普通」であるゆえに、逆にそれが難しい。
俺の心に何が足りないのか?何が俺を不満足にさせているのか、客観的にみても、主観的に見てもそれは非常にわかりずらいものなんだ。
もっと簡単にまとめると、つまり
『お前はこんな仕事には向いていない』ということになるのだがwww
とか、その後先生はちゃかした。
そっかー、俺はまだなんとか「普通」の範疇にいれるのかー
とか、初めて聞いた先生の過去話や自分の道についてもやもやして、そのあとの飲みは普通のとりとめのない話をして、終わった。
先生は自分の霊感によって物の怪を惹きつけてしまい。そのせいで巻き込まれた形で兄の方が物の怪に捕まってしまった。先生は物の怪になってしまった兄の魂?を救える方法を調べて探していくうちに、だんだん妖怪と交渉する仕事をしていくようになった……
こんな感じかね?
んで、先生は一家で優秀な血筋を持っているからプライドが高く意地っ張りな性格。
小学生くらいだった君を引き取ったのは、自分と同じように妖怪に狙われてるからで、その君を救う事で、あの時の幼かった自分と兄を救えるような罪滅ぼしかな?
人って自分の過去にある大きな失敗と後悔の傷を、自身が投影出来るような似た人に対して、それを救済するような行動をする事により、自身の過去のトラウマという傷を少し癒やそうとするよね。
君の一家はイタチの呪いによって亡くなってしまったけど、先生は君を引き取る事が怖くなかったのかな?
きっと先生は、いつ死んでも後悔しないような人生の道を選んだはずで、1人の人間を養子に迎えいれて大人になるまで見守るって凄い事。
歳を重ねるほど人間の成長の難しさを知るから、それなりの覚悟があったのだろう。
どうなんだろうね……
今はもういないひとだし。何考えていたかなんてわからない。