1990年代中半の話。
オレはその頃名古屋の大学に通ってて、一人暮らしをしてた。
親には無理言って一人暮らしさせてもらってる手前、そんな仕送りも要求できないので、割のいいバイトを探すことにした。
大学入っていろんなバイトを転々としたんだけど、これといっていい条件のバイトに恵まれず、一人暮らしを諦めようかと思ってたところに友人から『とあるバイト』を紹介された。
それは、新聞の求人情報欄の1コマに掲載されていた地味なバイト。
気をつけて読まないと絶対わからないレベル。
条件は明記されてなかったが、『日給弐萬円也』の一文字が俺の心を突き動かした。
即決だった。
雇い主の家に電話をして詳細をたずねると、とりあえず一度会いたいと言われ、先方のお宅へうかがうことに。
先方からは「場所が入り組んでいてわかりにくいから、当日は迎えをよこす」と言われたので、当日オレは指定された駅で待機。
雇い主の家族?らしき人が乗ってきた車で雇い主宅まで向かったんだが、土地勘がさっぱりな俺は、途中から場所がすっかりわからなくなって、心配になって運転手に
「今から向かう先って、俺一人でも行ける場所ですかね?免許まだなんですよ」
と尋ねたところ
「ああ、何度も続けてもらうかどうかは娘が決めることだから」
とだけ回答が。
そのあとは特に会話も交わさず揺られること50分、市街地を離れ、緑がやや多くなってきた住宅街の一角、やや大きめの一軒家の前で停車した。
雇い主は、その家の奥さんらしい人だったようで、話を聞くと仕事の内容はいたって単純かつ難解なものだった。
その家には一人娘がいるんだが、幼い頃、何らかの理由で寝たきりになってしまったらしい。
意識はあるような無いような状態で、こちらの話すことには若干反応を見せるものの、言葉や態度で返すことは無いと言うことだった。
俺の仕事と言うのは、その娘が退屈しないように話しかけるだけの仕事。
返事も期待しなくていい、反応も見なくていい、ただ面白いと思うことを話し続けろという奇妙な仕事だったわけだ。
部屋に通されると、そこはあまり広くない和室で、部屋の真ん中に布団が敷かれて、そこに中学生くらいの女の子が寝ている状況だった。
なんか奇妙すぎて居心地悪かったけど仕事だしな、ということで早速女の子にあいさつすることに。
「こんにちは、きょう話し相手のバイトできました水野と言います」
まぁ、返事は無いわけだ。そこは前情報どおりなので気にせずに、とにかく色々話しかけることにした。
そして2時間くらい独り言を続けているうちに、オレは妙なことに気がついた。
この子の母親らしき人からは、娘は一人と聞いていたのに、なぜか学習机が二つ。そこにかかるランドセルも二つ。
話がネタ切れになりつつあったこともあり、気になったオレはそれをネタに話しかけてみた。
「もしかして姉妹とか兄弟とかいるの?オレは一人っ子なのでうらやましいな」
その瞬間、女の子のおなかの辺り、掛け布団の中で何かがはねるように動いた。
いままで人形相手にしてる気分だったオレは、いきなりの反応に驚いてしまい、そのまま女の子の顔を凝視してしまった。
しかし女の子は無表情、天井を見つめるだけ。
ただ、掛け布団のおなかの辺りで何かがもぞもぞと動いているのは見て取れた。
掛け布団の中が気になって、ちょっと覗いてみたくて、誰もいない不思議な雰囲気がさらにその気持ちを加速させて、掛け布団をそっとはがそうと思ったけれど、その直前で、やはり痴漢騒ぎでも起こされたらマズイと思いとどまった。
その後も蠢く布団が気になりつつも独り言を続けて、いつのまにかバイト契約時間も終わり間近に。
「それじゃ、今日はもう帰りますね。また機会があればお話しに来ます」
と返事も期待せずに声を掛けたんだ。実際もう帰りたかったし、二度と来る気もなかった。
立ち上がろうとした。
「なかを みなかった おまえは もういらん」
それまで表情一つ変えなかった女の子が、こちらを見つめながらそう言い放った。
そのときの女の子の目が不気味で、もうそこにいたくないという気持ちが強くて、あとはバイト代を速攻でもらって帰ることに。
奥さんらしき人からバイト代の入った封筒を受け取るときに
「すいませんね、あの娘があまり気に入らなかったみたいで、継続は無しで」
と言われたんだが、俺もすっかり続ける気はうせていたので、そのままバイト代を受け取って帰ることに。
駅まで送ると言われたんだが、ソレすらも嫌な気がしてタクシーを呼んでもらい、逃げるように家に帰った。
その後、その家がバイトを募集している記事を見たことはなかったし、そこに近づこうと思ったことも無い。
ただ唯一心残りだったのは、あの女の子の布団の下に何があったのか、ソレをもし見ていたらどうなっていたのか……
(了)