1990年代はじめ、俺が小学生だったときの話。
俺の住んでた町は広いけど、その分、人の密度が少ない過疎った街だった。
で、小学校が町の中心にあって、学校が少ないから、あっちこっちの地区から子供が通ってた。
まだ変質者がどうの、防犯ベルがどうの、って頃じゃなかったから、みんな友達二、三人で下校してた。遠い子で一時間かけて徒歩で通ってたかな。
冬とか日が暮れるのが早いから、遠い子は部とかにも入らず一気に帰ってた。
山道だったり、普通の舗装された道路でも、街灯なんかないからね。
集落の明かりを目指して、二、三人で帰ってたわけ。今は通学班とか組んでるのかな。
でも中には、そういう友達がいない子がいるわけね。
俺の同じクラスにもそういう子がいた。
マコトはちょっと知恵が遅れてる子だったけど、養護学級とかじゃなくて普通学級に通ってた。
でも、やっぱり地区の遊びグループには入れなかったのね。
で、帰りはいつも徒歩三十分の道を一人。
田舎だし、子供が知的障害だからって、親が車で迎えにいったりとかはしなかった。
東門から出る俺は、西門にむかうマコトをときどき見かけたけど、たいてい一人だったなあ。
ある日の道徳の時間、先生が言ったんだ。
「最近、寄り道をしている子がいるらしいですね」って。
みんなドキっとした。
そりゃみんなちょっとは、ゲーム機が豊富な家でちょっと桃鉄やるとか……してた。
でも、いつもはそんな事黙認してくれてる。
先生は続けた。
「別に、暗くならないうちは友達の家によってもいい。でも、危ないところに遊びにいく子がいる。それはやめなさい」
危ないところ?
その話の真意を知ったのは、友達の噂話からだったんだ。
「あのさ、マコトだよ。あいつ帰り道、橋の下で遊んでんだ」
確かにマコトの家の方角には、ちょっと大きな川が流れていて、最近出来た新しい橋と、となりに古い橋が架かっている。
新しい方は街灯があるけど、古い方にはそんなものはない。石造りの古い橋だ。
橋のしたには河川敷が広がっていて、一応階段があって、そこにいけるようになっている。
河川敷は子供の身長くらいの草が茂っているが、橋の真下は光があたらないのか、ちょっとした空間が出来ている。
昼にはちょっとした秘密の遊び場みたいな感じで、マルイのエアガンを持って水面を撃ちにいったりしてた。
マコトはそんな遊びに来た事は無かったが。
それは新しい方の橋の話で、マコトは古い方の橋の下にいたそうだ。
聞けば同じ地区のやつらは、帰りに新しい方の橋から、マコトっぽいやつが、いつも古い橋の下にいるのを見ていたそうだ。
子供は馬鹿だなーとか思って放っておいてたんだけど、親にその話をしたらえらく気にして、学校に通報したんだそうな。
マコトは昼に職員室によばれていった。
でも、マコトはその寄り道をやめようとしない。
マコトが帰ろうとしたとき、先生が話しかけたのを聞いた。
「友達と遊ぶのは大事だけど、危険なところで遊ぶのはもうだめだからね」
釘をさされてる。俺はちょっと笑ってしまった。
だけど、なんか違和感があった。あいつはいつも一人でいるんだ。
それに、橋の下にいたのもマコトひとりって聞いたのに。
もちろん、いくら注意されようとも、それからマコトが寄り道をやめることはなかったんだ。
祭りの夜。俺は友達と友達の家にいた。
祭り囃子が聞こえる夕暮れの中、みんなで花火とかして、普段出来ない夜遊びを楽しんでた。
花火が終わり、俺たちはその家に一晩泊まる事になった。
「俺、マコトの友達、みたんだ」
一人が唐突に話し始めた。
『見てはいけないものをみた』
そんな言い方だった。
おそらく、あまりの気味悪さにずっと胸にしまっていたのだろう。
「あいつ、橋の落書きにむかって、楽しそうに話してた。いつも」
みんな一瞬しんとなった。
夕暮れ時、ひぐらしがなく頃、マコトはいつも『友達』といたのか。
ある冬の日、ついに最悪の事が起こった。
街の防災無線が子供の行方を捜している。
マコトがいなくなったんだ。
あまりに遅いので親が学校に連絡したところ、『とうに帰った』といわれたのだ。
折からの強い雨。公務員の俺の親父にはリンリン電話が舞い込み、コートを着て長靴を履いて出て行った。
「顔を知ってるか」ときかれて、俺は親父の車に乗せられた。
行く先は当然川だ。
すでに先生や近くの同級生、警察……台風みたいに人が集まってた。
でも、結局マコトは見つからなかった。
河川敷にも何もない。
ただ、橋桁には赤いペンキでマルが描かれ、その中には人の顔のような落書きがあったのを覚えている。
『行方不明』の貼紙も色あせた頃。
その落書きも消されたのか、もうあとかたも無かった。
……マコトの友達。
ひょっとしてマコトは今、その友達と一緒にいるのだろうか。
(了)