遠藤周作が高級クラブだかバーを出て、タクシーで帰ろうとしている時。
2003/05/01 02:12
顔見知りのホステスが「先生、御一緒させてください」と声をかけてきた。
方向が一緒だということで、遠藤周作はその申し出を受け入れ、ニ人はタクシーに乗り込んだ。
人気のない寂しい道に通りかかった時、その女性が手に持っていたライターを自分の足元に落としてしまった。
ところが彼女は、ライターが落ちたことに気がつかないのか、それを拾おうとする素振りを見せない。
そこで遠藤氏が、親切心でそのライターを拾って渡してやると、突然女性がタクシーを降りると言い出した。
こんな人気のない所で女性を一人で降ろすなんてとんでもない。
町の方まで乗れと言う遠藤氏の説得も頑としてはねのけ、自分の分の料金を払うとそのままさっさとタクシーを降りて、今来た方に歩いていってしまった。
訳も解らず首をひねりながら、それにしてもタクシーも、よくこんな所に平気で客を置いてけぼりにしたなと、ふと運転手を見たら、冷や汗を流しながら、後ろから見ても尋常でないくらい真っ青になっている。
どうしたのかと尋ねると、
「お客さんが下を向かれた途端、あの女性が恐ろしげな顔つきになり、お客さんの首筋辺りに噛み付こうとしていたのだが、丁度そのときに、バックミラー越しの私の視線に気が付くと、また元の普通の顔に戻った」
と、震える声で告白した。
町に着くまでは二人とも震え続けた。
それ以降、その女性は行方が判らなくなった……っていう話。
(了)
*管理人註
この話の詳細は、遠藤周作氏の短編小説集『蜘蛛(ふしぎ文学館)』で読めます。