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毒ガス島~地図から消された大久野島の悲しい歴史

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広島県は瀬戸内海に浮かぶ大久野島(おおくのしま)

かつてこの島では、昭和4年から昭和19年(1929年~1944年)までの15年間にわたり、国家機密の毒ガスが製造されていた……


[出典:http://blogs.yahoo.co.jp/kumamon_1199/63588257.html]

現在は、野生化したうさぎたちが多く生息している美しい島となっています。
しかし、一見のどかに見えるこのこの島では『死の露(つゆ)』として恐れられた殺戮化学兵器である致死性ガス『ルイサイト』が製造されていました。

国際条約で禁じられていた毒ガスを、密かに造っていました。

帝国陸軍により、化学兵器の生産基地として拠点を構えていた大久野島は、終戦を迎えるまで極秘機密を守るため地図上から消しさられていたのです。

 

[出典:ライターズラボ http://writerzlab.com/]

 

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参考資料

大久野島は瀬戸内海に位置する島で、芸予諸島の1つ。広島県竹原市から沖合い3キロメートルに位置し、周囲は4.3キロメートル。
1934年(昭和9年)に瀬戸内海国立公園に指定されている。住所は島全域で広島県竹原市忠海町。

「地図から消された島」や「毒ガス島」などと呼ばれ、第一次世界大戦以降の化学兵器製造の実態を今に伝えている。

また近年では多数のウサギが生息することでも知られ、ウサギ島とも呼ばれる。

大久野島には、明治30年代に日露戦争開戦に備え、芸予要塞の一角として砲台などが設置された。
その後砲台は撤去されたが、陸軍は、第一次世界大戦時に、地理的な条件や秘匿の容易さなどから、大久野島を化学兵器の生産拠点に選び出した。化学兵器は、1925年のジュネーブ議定書で戦争での使用が禁止されていたが、開発保有は合法だった(また、当時の日本は署名だけしており、批准はしていなかった)。

1929年(昭和4年)5月には生産施設の建設に着手した。陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所(後に東京第二陸軍造兵廠忠海製造所)と呼ばれており、主な生産施設には島内北西部の長浦工場地帯と三軒屋工場地帯の2箇所があったほか、発電所、材料・製品倉庫などの関連施設が置かれた。

昭和5年頃から毒ガスの製造が始まり、昭和17年頃には、年間1200トンの毒ガスを製造していたという。

毒ガス工場の存在は機密性から秘匿され、陸軍が発行した一般向け地図においても大久野島一帯は空白地域として扱われた。

日中戦争から第二次世界大戦中を通じ主に中国大陸で使用する目的の化学兵器が生産されたほか、殺虫剤などの民生品も生産された。大久野島で生産された毒ガスの総量は6,616トン、生産された毒ガスは、イペリットガス、ルイサイトガス、クシャミガス(呼吸困難)、催涙ガスの4種類である。

地元の農民や漁民、勤労動員学生ら6500人が一定の養成期間を経て従事していた。第二次世界大戦終期の1945年には戦局の悪化により化学兵器の生産は縮小され、通常兵器の生産に切り替えられた。このとき一部の毒ガスが海洋投棄され、処分された。

太平洋戦争終戦時に島内に残留していた毒ガスの量は、イペリットガス1,451トン、ルイサイトガス824トン、クシャミガス958トン、催涙ガス7トン、計3,270トンだった。

終戦後、GHQ(主にイギリス連邦占領軍のオーストラリア軍)や政府により施設解体や残された化学兵器の処分が、周辺海域への海洋投棄、火炎放射器による焼却、島内での地中処分といった方法で行われ、除毒措置も施された。しかし処分は十分ではなく、現在でも島内地下4~5メートルの土壌で高濃度のヒ素が検出されるなど、負の遺産を受け継いでいる。

大久野島で働いていた職員達にも被害はあった。気管支炎に似た症状を起こす者が出た。大久野島毒ガス傷害者厚生会の調べでは1967年1月頃までに三百数十人が亡くなっている。

1950年に元従業者から喉頭がんが初めて発見され、また激しい咳や膿性のタン、原因不明の頭痛に悩まされる人が相次いだ。また毒ガス後遺症の特性として知られる肺炎や慢性気管支炎、呼吸器系の癌になった者がいた。

しかし有効な治療法はなく、できるだけ栄養をとる程度の対策しか講じられなかった。政府は1954年に救済のため特別措置を適用したが、それが毒ガス障害者の全員に適用されたわけではなく、例えば1969年5月から1970年1月に写真家の増田昌彦が撮影のため現地を訪れた際に接した元徴用工の患者2人は認定されておらず、また1969年度に認定された患者はたった1人だった。

広島大学医学部和田内科の調査によれば、毒ガス関係者のガン発生頻度は全国平均の15倍と報告されている。行政は竹原市の忠海病院(現・呉共済病院忠海分院)を指定し、約4500人の中毒患者の治療にあたっている。また、当時の島民などの経験は文献に採録されている。

こうした歴史を風化させないという地元住民の願いにより、1988年には大久野島毒ガス資料館が開館した。大久野島には現在も危険な土壌汚染地域や倒壊の可能性がある建物もあるため、立ち入り禁止になっている場所も存在する。

[出典:Wikipedia]

 

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