彼が若い頃の話だ。
彼の親父さんが
「下流にある村に、お前の許嫁の娘が居る。近いうちに顔を見に行くがいい」
と話すのだが、本人はなかなか行く気にならなかった。
ある日、親父さんがあまりにしつこく言うので仕方なく出かけたんだと。
しばらく歩いていると、どこからか妙な音が聞こえる。
辺りは鬱蒼とした森。
耳をすませ、足音をたてないようゆっくりと音のする方へ近づくと、高い立木の上から聞こえてくる。
そこで見上げた彼は驚いた。
そこにはなんと大蛇がいたのだ。
太い三本の立木の、広い枝の上にとぐろを巻いて眠っている。
妙な音とは、この大蛇のいびきをかく音だった。
食われると思った彼は、走り出した。
すると大蛇はそれに気付き、木からスルリと降りて追いかけてきた。
彼は人一倍足は速かったが、大蛇はみるみる距離を詰めてくる。
もはやこれまでと思ったその時、前方にスズメバチの巣が見えた。
それを見た彼は叫んだ。
「蜂の神様!私を助けてください!」
「助かったら酒や*イナウでお礼をし、いつまでも神として奉ります!私を追いかけているあの化け物を殺してー!」
*イナウ(inaw, inau):アイヌの祭具のひとつ。カムイや先祖と人間の間を取り持つもの(贈り物・メッセンジャー・神霊の依り代)とされる。強いて言えば日本における御幣に相当するが、それよりも供物としての性格が強い。
叫びながら、蜂が群がっている木の下をくぐり抜けると、急に静かになった。
振り返ると大蛇の体を、蜂の群れが覆い尽くすように止まっていたそうだ。
大蛇は苦しみのたうち回り、やがて死んだ。
急いで家に帰り、親父さんに話すと、親父さんは泣いて無事を喜んだんだと。
その後、蜂の神のために酒を醸してイナウを削り、祭りが行われた。
そして彼は親父さんに
「今後三年間は山へ狩りに行ってはならん」
と、言われたので言いつけを守った。
三年後のある日
川の上流を目指して上って行くと、沢の上流に広い沼が見えたそうだ。
こんな所に沼なんかあったろうか?と思いながら近づくと、なんと驚いた事に、三年前の大蛇が沼の縁を囲むようなかたちで寝そべっていたそうな。
死を覚悟した彼は、どうせ殺されるならと思い、腰のタシロ(山刀)を抜いて大蛇めがけ斬りかかった。
すると思いのほかうまく斬れたらしく、三つに斬り分けると、大蛇はあっけなく死んだ。
死体から沢に大蛇の血が流れ、血に染まった水を見ていると無性にその水を飲みたくなって、我慢出来なくなった彼は、事もあろうに水面に顔をつけて、ゴクゴクと飲んでしまったそうだ。
我にかえると、あぁ、これでとうとう大蛇に負けた。
そう思った途端、悔しくて涙が出た。
草の上で横になり泣いているうちに、いつのまにか眠ったようで、夢か幻か、目の前で、見た事もないような美しい女が彼に語りかけてきた。
「アイヌの若者よ、私は蛇の神だ。私は神の国で似合いの男を探したが居なかったので、アイヌの国に目を向けるとお前がいた。
三年前お前が婚約者のところに出かけるのを見た私は、お前を殺して命を貰おうと思ったが蜂の神に邪魔されてしまった。
今日お前が山へ来るのを見た私はわざと殺され、お前に私の血飲ませたのだ。お前は近いうちに死ぬ。これでようやく私とお前は神の国で夫婦になれるのだ」と。
そこで彼は目を覚まし、急いで家に帰った。
家の外から父を呼び、山であった事を事細かく知らせた。
親父さんは一人息子を化け物蛇に取られてなるものかと、山の神の所、川の神の所に連れて行っては、ありとあらゆる神の名を呼び並べ、息子を守るようにお願いしたそうな。
しかし、蛇の呪術のほうが強力だったらしい。
彼の体は目も口もわからない程に腫れ上がり、噂を聞いた許嫁の娘も、二人の兄と一緒に来てくれたが、手の施しようの無い姿を見て、泣きながら帰っていった。
体は日一日と腫れ上がり、今度は肉が解け落ちていくようだった。
両親は、神々に救いを求めながら手当をしたんだが、とうとう彼は死んでしまったよ。
これもアイヌの伝承で、萱野茂氏の本からの出典ですが、アイヌの昔話は必ずと言って良いほど一人称で語られます。
そして、「~と語りながら世を去りました」と言う風に最後に死ぬんですが勝手にアレンジしてみました。
84 :あなたのうしろに名無しさんが……:2004/02/21 11:13
(了)
[出典:http://hobby4.2ch.net/test/read.cgi/occult/1077204044/]